『続グッド・バイ』告発(五)
舞台『真夏の夜の夢』の初日、銀座の小さな劇場の客席には、着飾ったハツと、その横で窮屈そうに襟をかきむしる例の大男の文士の姿があった。
舞台は進み、ミヨ演じる妖精の女王タイターニアが、魔法の薬によってロバの頭を持つ男に惚れ込む場面となった。観客がクスクスと笑う中、ミヨはロバ頭の男を抱き寄せ、客席に向かって、あの改変された台詞を朗々と語り始めた。
「ああ、愛しいお方。あなたは私に『貧しい妻とやり直す』という涙ながらの物語を語り、私の元を去ろうとするのね。私があなたに捧げたあの金の櫛も、あなたが七人の女たちに繰り返したその同じ口上の前では、ただの滑稽な小道具に過ぎなかったのね。私は、この愛の喜劇の、八番目の出演者だったというわけ!」
瞬間、劇場内が静まり返ったかと思うと、次の瞬間、ドッと大きな笑いが起きた。観客は、これを当時の流行語や風刺を交えた極上のアドリブだと思ったのだ。
しかし、客席の真ん中で、一人だけ違う反応を示す男がいた。あの文士である。彼は膝を叩き、腹を抱えて、周囲が引くほどの大声で笑い転げたのだ。
「ぶわっはっは! 傑作だ! まさかロバの中身があいつだとはな! 違げえねえ、あいつはロバだ!」
幕が下りた後、ハツは満足げな表情で文士に話しかけた。
「先生、いかがでした? あれが、あの男の正体ですわ。」
文士は涙を拭いながら、ニタニタと笑った。
「いやあ、堪能した。あの女優、なかなかやるじゃないか。田島の野郎を、シェイクスピアの喜劇のネタにするとはな。これ以上の『別れの挨拶』はあるまいよ」
「ええ。これで少しは、あの方も懲りて、世間の笑いものになればいいのですけれど」
ハツが期待を込めて言うと、文士は急に真顔になり、ハツの顔を覗き込んだ。
「若女将。笑いものになるのは、舞台の上だけで十分だ。現実でやれば、それは洒落にならん。……安心しな。俺が責任を持って、あいつに『お前は舞台でロバになっていたぞ』と伝えてやる。あいつは蚤(のみ)の心臓だ。それだけで震え上がって、二度と銀座を歩けなくなるだろうよ」
文士の言葉には、有無を言わせぬ凄みと、奇妙な包容力があった。ハツは、この古狸のような男に、自分たちの企てがすべて見透かされ、そして手打ちにされたことを悟った。
「……ええ、お任せしますわ。私たちはもう、あの方とは『グッド・バイ』いたしましたから」
数日後、三鷹の小さな屋台で、田島は文士と向かい合っていた。田島は青ざめた顔で冷や汗を拭い続けている。
「……本当か。ミヨさんが、舞台でそんなことを」
「ああ、本当だとも。客席は大爆笑だったぞ。お前の『貧しい妻』の口上は、今や銀座の洒落者たちの笑い種だ」
文士は焼き鳥を頬張りながら、楽しげに言った。
「だが感謝しろ。俺が周囲の連中に、『あれは俺が考えた演出だ』と吹聴して回ったからな。お前の悪評は広まらん。ただ『田島をモデルにした面白い芝居があった』という話で終わりだ」
田島は、深い溜息をついた。それは安堵と、底知れぬ徒労感の入り混じったものだった。
「女というのは、恐ろしいねえ。僕が必死で考えた別れの言葉が、喜劇の台詞になるとは」
「自業自得だ。だがまあ、これで八人目とも手が切れた。あと二人だ」
「いや、もう懲り懲りだ……」
田島は弱々しく首を振ったが、文士はニヤリと笑い、酒を注いだ。
「バカ言え。お前の『グッド・バイ』は、まだ終わっちゃいねえよ。さあ、飲め。ロバの旦那」
田島の「グッド・バイ」の旅路は、女たちの強烈な反撃と、男たちのいい加減な連帯によって、ひとまずの幕を閉じた。しかし、彼の受難が終わる気配は、まだない。
【続】
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【原作】
太宰治『グッド・バイ』(新潮文庫、1972年)
【小説/画像】
Geminiで生成しました。
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