「不幸」を招く比較と「幸せ」を育む比較
「幸せになりたければ他人と比べるな」は古代から多くの先人が共通に指摘するところである。しかしひたすら比較を拒絶するだけでは限界と弊害すらある。その限界を突破し「幸せ」になる比較を考える。
比較という病
自分と他人を比べないこと
幸せになるためにはそれが大事だと
幸福について語った古代の哲学者、宗教家から
現代の研究者に至るまで考え方は共通しています。
「比較という病の呪縛」から逃れることが
多くの場合「幸福」への道であるのは
確かでしょう。
「他人との比較」が自らの幸福感に及ぼす影響力
は昔とは比較にならないほど大きくなっています。
比較の影響力が増大の糸をたどっている要因は
情報流通の発達、とりわけインターネット、
SNS の発達、スマホの登場によるものです。
限りなく拡張された"準拠集団"
人の幸福感は身近な他者の集団に強く影響を受ける
ことが明らかとなっています。
幸福感の比較対象のことを
社会心理学では「準拠集団」と呼びますが、
この「準拠集団」の範囲がインターネット
の登場によって、爆発的に広がっているのです。
今でも、現代文明から隔絶した部族では
比較と言っても仲間同士の狩猟採集の成果や
農業の収穫物の多少がせいぜいかもしれません。
しかし現代の日本では
バーチャルに拡張された準拠集団の
世界的規模での水平的な広がり
私生活の奥底までの深まりなど
その拡大は留まるところを知りません。
この準拠集団のバーチャルな拡大は
ニュートラルなものではなく、
ポジティブなバイアスが多く、
現代人はキラキラの虚構に振り回され
幸福感低下に悩むことが少なくないのです(注*)。
だから幸福感の振れ幅は
危険なほど拡大しているのです。
何の為の比較かで「幸・不幸」は決まる
しかし比較が全て悪いことではなく
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「何のための比較か」
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が問題と考えます。
幸福の基準を他人の結果との比較に求めることは
幸せの価値を貶めることになりかねません。
幸せの果実が
鼻持ちならない優越感や卑屈な劣等感
でしかないとしたら悲しいことです。
しかし幸せの基準を、
ひたすら自分の内側に求めるだけでは
やはり限界があるように思うのです。
気づき・学びの機会とししての比較
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「何を気づき、何を学ぶか」
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比較するなら、そこから
どんな「気づき」「学び」を得るか
自己、会社等の問題の発見に「気づき」を活かし
いかに「学び」を行動に移すか
が問われるでしょう。
私の仕事でもこれまでの経験で
調査・診断結果を虚心坦懐に受け入れ
他の成功事例を積極的に採り入れる個人や会社は
みるみるうちに成長しますが
「あれは特殊だから」「うちは状況が違う」
とか、あれこれ難癖をつけ拒絶する人は
気づき、学びを得て行動し
変革と成長につなげることは困難です。
他者の「結果」のみと自分を比べれば
不幸を招きかねませんが
他者の努力と行動のプロセスと
自分のそれとの違いを比較し
鍵となる成功要因(KFS)に気づき
他者からの学びに変えれば
自らの幸せに結びつくでしょう。
比較をベンチマーキングに昇華する
比較の目的と活用の仕方次第で
比較は不幸の原因とも幸せの源泉ともなり得ます。
Web の力をうまく活用すると
無限の他者からの学びを得ることができ
「自己成長のベンチマーキング」
の幅も深さも飛躍的に拡大することができます。
他者の成功や失敗の結果に一喜一憂するのでなく、
結果がどんな努力や行動によって生じているのか、
そのプロセスに着目して、
「他者から学ぶ」ベンチマーキングに昇華する
ことが大切だと考えるのです。
今回の記事を読んでいただき
ありがとうございます。
今後も幸福に関連する記事を
毎週数回は投稿してまいりますので、
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いただけますとありがたいです。
イーハピネス株式会社 代表取締役 松島紀三男
(注*)
『Instagramの利用と幸福度の関係における社会的比較と承認欲求の影響
新井 学』成城・経済研究 第 235 号(2022 年 2 月)他多数の調査、研究あり。
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