キリスト教では「労働は神の罰」である苦役という誤解
日本では「キリスト教では、労働は罰として神から与えられた苦役。それが欧米の労働観だ」という話が定説と言っていいほど広く流布しているが本当にそうか?日本の聖職者の見解も紐解き検証する。
「労働は神の罰」である苦役?
どういうわけか日本ではしばしば
「キリスト教では、労働は罰として神から与えられた苦役であるので、一刻でも早く、苦しみから逃れたいというのが欧米の労働観だ」
という話が、定説と言っていいほど広く流布されています。
どうしてこんな話が広まったのか定かではありませんが、
旧約聖書『創世記』第三章の一節を恣意的に
切り取り、歪曲、過大視して不当に
キリスト教の労働観を貶めるものだと思います。
エデンの園追放後、罰とされる
「苦しんで地から食物を取り
顔に汗してパンを食べる」ことは「原罪」として
労働には苦しみが伴うことを直視して受容せよ
ということであり、労働そのものの価値を全否定したものではないと考えます。
何よりおかしいのは、
ユダヤ教とイスラム教も同じく旧約聖書を聖典
としているのに旧約聖書を材料にキリスト教をことさら誹謗することです。
日本では、
ユダヤ教徒は勤勉というイメージを持つ人が多いと思います。
しかも
ユダヤ教は旧約聖書のみを聖典としています。
キリスト教には新約聖書もあるのに、
なぜキリスト教徒だけを旧約聖書のわずかな断片を取り上げて「勤勉でない」と多くの日本人は貶めるのでしょう。
その論法で行けば
「仏教は四苦(生・老・病・死)
を説いているから、
仏教は生の喜びを否定する苦しみのみの人間観だ」
となってしまいます。
聖職者の見解
キリスト教の専門家の見解を見てみましょう。
神学博士、元神奈川大学教授、司祭でもあった、
犬飼政一の
『人間にとっての労働-そのキリスト教的理解-』
から引用しておきます。
“あなたは一生、苦しんで地から食物を取る”(創 3)。
この一節から人間の労働は神の罰、人間の宿命として誤解されてきたが、
これはむしろ人間の労働の蹟罪的性質を示すものである。
もともと旧約聖書では、人間にとって労働は神の創造の働きに参与し、完成させることであり、神のわざは人間の労働によって継承されるということであり(創1,0,7)、
労働は人間存在の基本的規定である。
だから人間は自己の実存とその尊厳のゆえに働くものである。
”すべて主をおそれ、主の道を歩む者はさいわいである。
あなたは自分の手の勤労の実を食べ、幸福で、かつ安らかであろう”(詩篇128.1以下)
とも言われている。労働における労苦と祝福は不可分なものである。
"仕事の中にこそ幸福"と説くプロテスタント
これを裏付けるように、むしろ敬虔なキリスト教徒ほど勤勉であり、
仕事に神聖な使命感を持って取り組もうという、強い意志を感じます。
例えば、
三大幸福論で有名なヒルティは敬虔なプロテスタントですが、
『幸福論』の中で、仕事の中にこそ幸福があることを説き、
仕事に勤勉に取り組むこと、
享楽を慎み質素な生活を送ること
をくり返し推奨しています。
ヒルティの幸福論は聖書からの引用が非常に多く、
正直言ってあまりの聖書からの引用の多さに辟易するほどですが(ヒルティ先生ごめんなさい)
これをもってしても、
キリスト教が勤勉な労働を後押しすることはあっても、労働を苦役として忌避するものでない
ことは明らかです。
全ての仕事は「天職」
全ての仕事に「天職」としての宗教的意義を認めた
プロテスタンティズム、ルター、カルヴァンらの宗教改革によって、
キリスト教の労働の意義肯定は、さらに積極的なものとなりました。
マックス・ヴェーバーによる
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
はあまりにも有名ですが、
英語で「Calling」という言葉は「天職」を意味しますが、
これには「召命」、すなわち
神からの呼びかけという意味が込められています。
ルター、カルヴァンらによる宗教改革が画期的であったのは、
世俗的職業に宗教的意義を認め、
これを義務として遂行することが最高の道徳的実践
であるとしたことです。
マックス・ヴェーバーによれば
このような世俗的職業の全てを「天職」と呼び、
宗教的意義を認めるような言葉は
宗教革命以前には見られなかったということです。
世俗的職業を聖職より下位に置く
カトリックの理念は破棄され、
修道院での生活は現世の義務から逃れようとする
利己的なものとさえ考えられました。
カルヴァン派、ピューリタン諸派では、さらに
「天職」の概念が職業選択の自由にまで
押し広げられました。
自らが天職を選び、
神のために禁欲的に遂行すべきとされ、
自らの個性の発揮と能力の伸長、
高度な専門性習得と仕事の責任感、仕事の方法、
生産のしくみの改革を促進しました。
それは近代資本主義の発展に繋がったとされています。
まとめ
キリスト教では「労働は神の罰」である苦役というのは広く日本にある誤解である。
旧約聖書では「人間にとって労働は神の創造の働きに参与し完成させること、神のわざは人間の労働によって継承されるから、労働は人間存在の基本的規定」というのが聖職者の見解。
「仕事の中にこそ幸福がある」と熱心なキリスト教徒で三大幸福論著者の一人、ヒルティが主張。
全ての仕事は「天職」である。ルター、カルヴァンらによる宗教改革により世俗的職業全てが「天職」と宗教的意義が認められ、これを義務として遂行することが最高の道徳的実践とされた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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イーハピネス株式会社 代表取締役 松島紀三男
<参考文献>
ヒルティ『幸福論』草間平作訳、岩波文庫
マックス・ヴェーバー、大塚久雄訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫
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