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花には蝶――母のレモンの木が教えてくれた、実らない年の意味

我が家のベランダには、一本のレモンの木がある。
母が、私のライターネーム「椿れもん」にちなんで、2020年の誕生日にプレゼントしてくれた木だ。

正直に言えば、私は植木の世話が得意なほうではない。
鉢植えを買ってきて、枯れたらまた新しいものを買う。その繰り返しだ。
けれど、このレモンの木だけは別だった。

母が私に贈ってくれた、小さな命。
私の名前と重なる、黄緑色の実をつける木。
だから私は、この木だけは、自分の分身のように思って大切に育てている。
母が亡くなった今では、形見のような存在でもある。

2021年12月、脳梗塞で入院していた母のもとに、レモンを届けた。
庭で育った無農薬のレモン。爪楊枝で皮をそっとつつくと、爽やかな香りがふわりと広がった。
コロナ禍で面会も差し入れも思うようにできなかった当時、僅かに許されたタイミングで、レモンが大好きだった母に「「うちで育ったレモンやで」と見せることができたあの時間は、今も胸の奥でやわらかく光っている。

しかし、レモンの木にも、私自身にも、試練の夏が訪れた。
2022年6月から7月にかけて、私は舌がんの闘病のため入院していた。
家に残してきたレモンの木のことは、ずっと気がかりだった。
知人に頼んで、2~3日おきに水やりをしてもらってはいた。
それでも、夏の猛暑と日照りは容赦がなかった。
退院した私を待っていたのは、ひどく傷んで葉っぱが激減したレモンの木だった。青々としていたはずの葉は変色し、生命力を失ったように見えた。

その姿は、まるで治療を終えたばかりの私自身のようだった。
命はつながったが、以前と同じ身体ではない。
声も、舌も、体力も、食べる力も、何もかもが回復の途中だった。
懸命に水やりを続け、何とか枯らさずに済んだが、秋冬にはさらに葉が落ちた。

目に見える成果が出る前に、まず葉を回復させる時間がある。
根を守る時間がある。
花も実もつけられないほど弱っているときは、ただ生きているだけで精一杯なのだ。
そして2023年4月、母が亡くなった。
母から贈られたレモンの木は、少しだけ花は咲いたが、実にはならなかった。

後から知ったことだが、レモンは前年の夏の葉の状態が、翌年の花や実に大きく影響するらしい。つまり、夏にどれだけ葉を守れたかが、次の年の実りを左右する。
そのことを知ったとき、私は思った。
人の人生も、同じなのかもしれない、と。

私自身もまた、その年は大きな喪失と、身体の試練の中にいた。
前年の手術に続き、2023年の夏は放射線治療の後遺症に苦しんだ。
痛み、声がれ、味覚異常、食べづらさ。
私は、後遺症をどうにかこうにか乗り越え、寛解へ向かって歩みを進めていた。

レモンの木は、花を咲かせながらも実を結べなかった。
私もまた、生きてはいるけれど、まだ実りを語れる季節ではなかった。
母を亡くした喪失感。
治療の後遺症。
弱った葉。
実らない枝。
すべてが静かに重なっていた。

私は木を見捨てなかった。
傷んだ葉を見つめ、水をやり、肥料を与え、できる限りの手をかけた。
自分の身体を少しずついたわるように、レモンの木にも手をかけた。
すると2024年、レモンの木はたくさんの実をつけた。
小さな実は30個ほどついたが、途中で落ちてしまったものも多かった。
それでも最終的に、8個のレモンが大きく育った。

8個。末広がりの八。
母からのエールのような数だった。

その年、私は本気でエッセイコンテストに挑戦していた。
魂を込めて書いた作品が最終審査に残り、そして佳作に入賞した。
ああ、やっぱり。
収穫した8個の実は、2024年の私そのものだったのだ。

もちろん、レモンの実とコンテストの結果に、科学的な因果関係があるわけではない。
でも、私にはどうしても偶然とは思えなかった。

2022年に葉を傷め、2023年に実らず、2024年に再び8個の実をつけたレモンの木。
手術を受け、後遺症に苦しみ、母を見送り、それでも書く力を取り戻し、入賞という小さな実りを得た私。
木も、私も、同じ時間を生きていた。

ベランダにレモンの花が咲く頃、アゲハ蝶がやってくる。
目隠しフェンスがあるのに、どうしてここにレモンの木があるとわかるのだろう。
蝶だけに届く香りの知らせがあるのだろうか。

その姿を見るたびに、私はお好み焼き「千房」の中井会長の言葉を思い出す。
「花には蝶、うんこにはハエ」

強烈だけれど、本質を突いた言葉だと思う。
自分がどんな香りを放つかで、引き寄せるものは変わる。
花のように咲けば蝶が来る。
腐った匂いを放てばハエが来る。
人生も、人間関係も、仕事も、きっと同じだ。

弱っていた時期にも、私はできるだけ腐らないでいたかった。
痛みや悲しみの中にいても、いつかまた花を咲かせるほうへ、自分を向けていたかった。

2025年は、引っ越しで環境が変わったこともあり、実ったレモンは2個だった。
ハチがあまり来なくなり、受粉がうまくいかなかったのかもしれない。
それでも、小さな実が2つついて、その2つがどちらも大きく育った。
2分の2。
数は少なくても、確かな実りだった。

そして2026年。今年は今のところ、20個ほどの小さな実がついている。
5月半ば、伊勢への旅で2日半ほど家を空けた。
帰ってくると、季節外れの暑さと水不足で、葉が変色し、小さな実も少し萎んだように見えた。
胸がきゅっと痛んだ。あの入院の夏の記憶が、ふいによみがえった。
けれど、今の私はすぐに手当てができた。
変色した葉を取り除き、水をやり、肥料を与え、様子を見守った。
すると、小さな実たちは、また少しずつ膨らみ始めた。

命は、思っているよりもたくましい。
傷んだ葉は、すぐには元に戻らない。
落ちてしまった実も、戻ってはこない。
亡くなった母に、もう新しいレモンを手渡すこともできない。

けれど、木は今年も花を咲かせる。
蝶は香りを見つけてやってくる。
小さな実は、青くかたく、未来を抱いて育っていく。

母がくれたレモンの木は、私に何度も教えてくれる。
実らない年にも意味があること。
花だけで終わる季節も、無駄ではないこと。
弱った葉を責めるのではなく、根を守ることが大切だということ。
そして、大切に手をかけた命は、時間をかけて、また香りを取り戻すということ。

私は今日も、ベランダに出る。
葉の色を見て、小さな実を数え、水をやる。
母からもらった一本のレモンの木。
それは、喪失のあとにも人生は実ると教えてくれる、私だけの黄緑色の希望である。


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