触れることは、生きること。~養護教諭だった私が感じた「からだの対話」
◆ はじめに
子どもたちと関わる中で、
あなたは**「言葉にならないサイン」**を感じ取ったことはありませんか?
私は、養護教諭として働いていたとき、
子どもたちとの距離を空気で感じ取っていました。
保健室に入ってくる子どもたちは、
それぞれにいろんな空気を身にまとってやってきます。
元気そうに「先生ーー‼︎」と入ってきても、
なんとなく悲しそうな空気をまとっている子。
そういう子ほど、話しているうちにポロポロと涙をこぼし始める——
そんな場面を、何度も経験してきました。
◆ 空気を感じながら、心の距離を近づける
不登校や不適応と呼ばれる子どもたちも同じ。
その子の空気を感じながら、
少しずつ、少しずつ心の距離を近づけていきました。
当時の私は、知らずにそうしていただけ。
でも、それがいちばん効果的なやり方だったのです。
◆ 「皮膚が聴いている」と知ったとき
後から学んで知ったのは、
私が感じ取っていたのは皮膚の感覚だったということ。
皮膚は「聴いている」「見ている」「味わっている」「嗅いでいる」。
さらに、心理的な変化を予知したり、考えたり、記憶までもしている。
そして、皮膚と皮膚がコミュニケーションしている——
そんな仕組みが、私の実感とぴったり重なったのです。
◆ 息が合う?肌が合う?——身体の機能から見ると
人間関係でよく使われる「息が合う」と「肌が合う」という言葉。
この違い、身体の機能から見るととてもよくわかります。
呼吸は、生理的な機能の中で唯一コントロールできるもの。
相手と呼吸を合わせることはできる。
でも、なんとなくの感覚(生理的な好き嫌い)は合わせられない。
「なんかこの人、生理的に合わない」と感じたら、もうどうにもならない。
物理的に「肌を合わせる」ことはできても、嫌悪感を感じるだけなんですよね。
◆ 「触れる」というすごいこと
だからこそ、
相手に触れることができて、しかも相手がそれを受け入れてくれるのは、とてもすごいこと。
赤ちゃんは、生まれてすぐお母さんに抱かれることで、
安心感と「人は信頼できるものだ」という感覚を学びます。
そして子どもたちって、小学生でも、中学生でも、高校生でも、
本当に触れ合うことが好きなんです。
信頼している人に触れていることで、安心できるから。
◆ 養護教諭という「触れる」特権
私は、養護教諭という特権として(笑)、
**「手当て」**をする人でした。
絆創膏を貼る
包帯を巻く
泣いている子の頭をなでる
自然に**「触れる」という行為**を通じて、
言葉よりも深いコミュニケーションが生まれていました。
◆ 大人になっても同じ——そして「性」の話へ
大人になっても、これは同じだと思います。
抱きしめられる相手が「お母さん」から「愛する人」に変わっただけ。
そして——
性という行為は、その最たるものかもしれません。
母親と自分。
それ以上に自分をさらけ出す行為。
性はいやらしいものではなく、
無視するものでもなく、
生きる中に自然に存在するもの。
◆ もっと生きやすくなるために
「性」をそんなふうにとらえられたら、
もっともっと生きやすくなる人がいるんじゃないかな。
——いつかの私のように。
◆ おわりに——あなたへの問いかけ
「触れること」は「生きること」。
あなたは今、
誰と肌を合わせていますか?
「触れる」を、どうとらえていますか?
【あとがき】
➡ この記事に感じたこと、あなたの体験など、コメントで聞かせてくださいね。
➡ 養護教諭・支援職・教育に関わる方とも、ぜひつながりたいです。
