【創作大賞2025応募作品】 時を超えて語るダイヤモンド
父は、わたしが十五歳のときに亡くなった。経済的な理由で首を吊ったのではないかと言われた。
ずっと普通の幸せな家庭だと思っていたんだけど、わたしが中学に入った頃には、そうではなくなってきた。
父は突然、母と弟とわたしの三人を家に入らせないようにするなど、嫌がらせをし始めた。
母と離婚した父はわたしたち3人を追い出したが、寂しくなって母と再婚してわたしたちを家に戻したり、また離婚して追い出したりした。
中学の三年間は一日が無事に終わるように祈るだけで、わたしは家の中だけでなく学校生活でも上の空だった。
父は、母の月給8万円でなんとか暮らしていた古くて小さな借家によく遊びに来た。
お菓子をたくさん持ってくる父は、かつての優しくて楽しい父そのものだった。
わたしと弟はその訪問を喜んだ。
母も喜んでいるとばかり思っていたが、大人になって聞くと、一度も養育費を払わないのに子供に会いにくる父を実は腹立たしく思っていたそうだ。
わたしが高校に入ってまもない夜のこと。
父の姉、しずかおばさんから電話がかかってきた。
わたしはテレビを観ていたが、母があまりに長く話しているので聞き耳を立てることにした。
父と連絡が取れないので様子を確認したい、合鍵を持っていないか、ということのようだ。
父は十人兄弟で仲がよく、週に一度は兄弟で連絡を取り合っていたらしい。
何度も「合鍵は持ってない」と言う母に、おばさんはしつこく食い下がっていた。
実は、わたしは父の家の合鍵を持っていた。
家族それぞれが持っていた合鍵を、追い出されるときに返していなかったのだ。
精神的に不安が強かった当時のわたしは、なぜか鍵をコレクションしていた。
あと、手のひらの絵をたくさん描くと見えない存在が助けてくれるような気がしていた。
小さい頃からイラストを描くのが好きだったが、この頃は手のひらの絵しか描いていない。
話を戻すと、
しずかおばさんのしつこさに、いつもは弱気な母がちょっとイラついていた。
そんな母にわたしは、「鍵持ってるよ」と打ち明けた。
合鍵を渡すために、母は元わたしたちが住んでいた家に向かった。
夜中だったが、しずかおばさんや父の兄弟たちが集まったらしい。
深夜になって帰ってきた母は、そそくさとした感じでわたしと弟に言った。
「お父さん、死んでたんだから。」
わたしと弟は「ふぅん」「やっぱり」と言った。
何が「やっぱり」なのかわからなかったが。
全くそのようには感じられなかったけれど、本当はすごく悲しくて、瞬間的に感情が凍ってしまったのかもしれない、と今になって思う。
警察によると死後三週間とのこと。
遺体の腐敗が激しいのですぐに火葬することになった。
父が最後にわたしたちに会いに来たのは昼間だった。
スーツ姿だったので、仕事の合間だったんだと思う。
「海に行こう」と、わたしと弟を連れ出した。
車で一時間半。
海水浴のできない大きな波が打ちつける岩場が一番近い海だった。
それでも、めったに連れて行ってもらえない海は嬉しかった。
小さな水族館の触れ合いコーナーでウミガメに鼻息をかけられ、父と弟とわたしは笑い合った。
ラーメンを食べて「胃が痛い」という父に、わたしは冗談のつもりで「悩み事があるんじゃない?」と言ったのを覚えている。
確かそれが、三週間前くらい。
そのあたりのある朝、わたしは家族の夢を見た。
父は見知らぬ建物の前に車を止め、母、弟、わたしの三人を降ろし「ちょっと待ってて」と車でどこかへ行った。
しばらく待つも父が戻らないので三人で歩き出す、という夢だ。
目が覚めると、同じ部屋で寝ている母も目を覚ました。
「お父さんが死ぬ夢見ちゃった。お父さんに言わないでね」。
きっとこのとき、父は亡くなったんだと思う。
翌朝、喪服がわりに高校の制服を着て、元住んでいた家に行った。
六月の北海道にしては暑い日が続いていて、この日も気温が上がりそうだった。
家の中はひどい悪臭だった。すべての窓を開けても匂いは弱まらなかった。
母と弟は嫌がって見なかったが、わたしは父が首を吊った部屋に入った。
そこは増築した父の事務所。
中卒で足寄から帯広に来た父は、宝石店に就職した。
長年勤めたその会社が倒産し、自営を始めるための部屋だった。
クローゼットの扉に掛かる切断されたビニールの紐、真下には新聞紙を被せた椅子。
床の三畳分ほどを新聞紙が覆っている。
その端からのぞくコゲ茶色に染まったカーペット。
首を吊るとこんなに血が出るのだろうか。
この数年後のことだが、集合住宅で孤独死する高齢者のドキュメント番組を観た。
救急隊と一緒に立ち入らなければならない町内会の会長さんが
「暑い部屋に放置された死体は溶けて石油みたいになる」と言うのを聞いて、
父も石油になっちゃったんだ、と思った。
あの夜、そんな父をロープから外したのは、父の弟だったらしい。
電気は止まっていて、懐中電灯で照らしながら降ろしたという。
少し待てば警察が来ただろうに、きっと早く父を降ろしてあげたいという一心だったんだ。
そんなに兄弟に愛されていたのに、父が最後に会いたいと思ったのは子どもであるわたしと弟だった。
自らの死に「やっぱり」としか言わない子どもたちに。
部屋の隅にあった大きな金庫の扉は開け放たれていた。
すっからかんに見えたが、近づくと一つだけ小さなケースが残っていた。
ダイヤモンドの裸石だった。
わたしは大人たちに言わずに持って帰った。
高校を卒業して上京したわたしは、定職につかずに思いつくままに暮らすようになった。
三十歳のとき、知人に「宝石の仕事が似合いそう」なんて言われた。
そういえば父は、紺色のスーツにタッセルのついたスリッポンを履いて、腕には皮ベルトの外国製の時計と十八金のブレスレットをつけていた。
いつもキラキラしていてカッコよかったな。
宝石の販売には高齢の方が向いているのか、三十過ぎの未経験者でも求人はあった。
住まいから近い会社があり面接してもらえることになった。
社長との面接の手応えは良かった。
でも、採用を決めるのは社長ではないのだという。
「俺はあんたのこと気に入ったけど、兄貴の占いで決めてるの。
兄貴の占いを無視して採用した人は、みんな問題を起こしてね」
「あんたと会社の相性、それと宝石業との相性も兄貴に視てもらうから、連絡はその後ね」
社長の実家は先祖代々祈祷や方位学を行う家系で、お兄さんがこの家業を継いだのだそう。
数日後、郵送で届いたのは不採用通知。
「宝石、向いてないのかな」
そう思って宝石ではない仕事を探し始めたころ、「話がある」と社長がファミレスに誘ってくれた。
「兄貴の占いでは、過去最高だって」
「いずれ俺と肩を並べる存在になるって」。
「でも、あんたは昔雇っていた社員に似てるの」
「俺その人と不倫しちゃって、会社の中がグチャグチャになっちゃったんだ。
だから常務が、あんただけは絶対に入れるなって言うの」
「でも、本当に宝石の仕事に向いているから、この本で勉強して宝石商になって」
「兄貴によると、絵の才能があるからデザインの勉強もして」
こう言って、社長は分厚い宝石学の本二冊とジュエリーデザインの本をくれた。
気をよくしたわたしは、またいくつかの宝石会社の面接を受けた。
実際には三十過ぎ未経験で採用してくれる会社はなかった。
なんとかわたしが入れたのは、銀座のブライダル専門のダイヤモンド屋さんだった。
みんなに、0.3カラットほどの三十万円台のダイヤモンドを勧める。
機械的で事務的、でも上品ぶって販売するつまらない仕事だった。
二ヶ月ほど勤めた頃、不採用になった会社に呼ばれた。
社長が宝石の勉強会に誘ってくれたのだ。
ここで、わたしを不採用にした常務に「とてもいい人だ」と思われ、
後にジュエリーデザイナーに育ててもらうこの会社に入れることになった。
この会社に勤めて二年くらい経った頃、なんとなく父の金庫に入っていたダイヤモンドのことを上司に話した。
先祖供養を大切にしているその上司は「娘の婚約指輪のためにとっておいたんじゃない?」と言った。
思い返すと、父のダイヤモンドは0.3カラットちょっとの大きさ。
ケースには値札が入っていて、三十数万円の値段がつけられていた。
ああ、まさに婚約指輪用のダイヤモンドだ。
ブライダル用のダイヤモンドとそうでないダイヤモンドは好まれる種類がまったく違う。
ブライダル用は、デビアスのプロパガンダのせいで、「カラットは0.2~0.4」「価格は給料の三ヶ月分」といった価値観が広まっている。
新たに入った会社ではブライダル用は扱わないので、銀座のあの店に勤めなければ婚約指輪のダイヤモンドについては知らないままだっただろう。
あれ?
いや、あのダイヤモンドを置いておいた意味を、
いい歳になった娘に教えるために銀座のあの店にわたしを勤めさせたのか。
父は、全く結婚する気のない人生を歩むわたしに何と言うのかな。
このダイヤモンドの意味を知らなければ、叶わなかった親子の会話を想像することも、きっとなかった。
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いつも心温まるポテトチップをありがとう🍿💕
メッセージはすべて読んでいます🙇♂️❣️うまく言葉にならない気持ちもそのまま大切にできて、みんなが安心して本音を置いていける、そんなnoteでありたいなぁと思っています❣️
ここから、みんなの愛と感謝が広がっていきますように🌈