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古道の大神と犬の姫 序章 -元禄の世-

 青い晴れやかな空の下
草もまばらな荒地を、赤褐色の犬が走っている

 「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ」

舌を出し、息を荒げて、涎を垂らしながら
必死になって走っている
まるで恐ろしい何かに、追われているかのようにして・・・

 「キャゥウゥゥン!!」

突然
走っていたその犬は、聞くのも辛く耳に痛い甲高い叫び声を上げた
そして

 ザザーーーッ!

走る勢いのままに体を地面に激しく打ち付け、土煙を上げてながら激しく転がり
「キャウゥゥゥー・・・キャ・・・クゥゥゥン・・・ゥゥ・・・・・」
泣いている
左の腹部に矢が刺り、赤い血をトクトクと、流しながら・・・


 「流石です!若君!」

遠くから嬉しそうに言う男の声
「うむ、見事じゃ」
続いて、大きな日傘の下に構え腕を組んだ男が言う
「はい!
 有難う御座います!」
その言葉に騎乗したまま駆け寄って、嬉しそうに応える馬上の少年
手には体に似合わない大きな弓を持っている
周りの男達と比べればまだまだ小さいが、髷(マゲ)を結ている
この少年が先ほどの赤褐色の犬を射たのだろう
他の男達も髷を結わいて裃(カミシモ)で揃え、口々にその若君と呼ばれる少年を褒めて称える
「本当に若君は素晴らしい腕をお持ちじゃ」
「あぁ
 お世継ぎとしても頼もしいわい!」


 それらの賞賛を身に浴びながら、馬上の少年は嬉しそうに聞いた
「ふふっ
 どうだ新兵衛!私の腕は?」
その尋ねる先には、立派な体格の男
全身を筋肉で固めている
その新兵衛と呼ばれる男は、静かに答えた
「まぁ、中々ですな・・・」
「んーーー・・・」
不満そうな少年
新兵衛の近くに寄って行って馬の手綱を預けると、馬から降りて
「何が不満なのだ?」
「それは・・・
 色々ありますが、一番は矢に力が無い
 もっと力を付けねばなりませんな」
「・・・今日の、ハレの日ぐらい褒めてはくれんのか?」
「ハッハッハッ
 では!弓を射る姿勢、型は見事にございます」
「それは、そなたが教えたからか?」
「そうですな!ハッハッハッ!」
「ふふふっ」


「んぅぅん・・・」
その様子を、大きな日傘の下で羨ましそうに見ている幼い少年
日傘の下で腕を組んでいる男の前に踊り出る
「父上!ぁぃゃ、親方様!
 私も!私も兄上に負けぬよう見事に犬を仕留めてみせます!」
「そうか・・・
 ならば見せてみよ」
「はぁぁぁー、はいっ!」
その幼い声は嬉しそうに言うと、先ほど犬を射た少年の元へ駆け寄り
「兄上!私も!私も見事犬を仕留めてみせます!見ていて下さい!」
「はははっ
 どれ、見せてくれ」
「はい!」
2人は兄弟のようだ
そう言って傍にいる従者から少し小ぶりな弓を受け取る小さな体
そこに
「ほら、これが良いぞ」
そう言って兄は見繕った矢を弟に渡すが
「・・・兄上!子供扱いしないで下さい!
 この小次郎が選びます!」
「あっ、そうかそうか
 すまんな」
そう言ってその幼い少年、小次郎は矢を吟味する
「んん・・・」
真剣な眼差しで
 その様子を見ている大人達
「まだ八つとはいえ、兄に対抗して・・・
 可愛らしいですなぁ」
「いいや!
 武家の子として、あれくらいの気概はほしいとこよ!」
「うむ
 やはり犬追物(イヌオイモノ)は武家の遊戯にふさわしい!」


「よぉーし!これだっ!」
ようやく矢を決めた小次郎
子供が新しい玩具を手にしたように目をキラキラと輝かせて矢を見つめる
「兄上の為に、頼むぞー・・・」
そして用意された赤い絨毯の上に移動して、走っている犬達を見渡す
「ふぅー・・・」
と、静かに息を吐き・・・・
ゆっくりとした所作で、弓を持って矢をつがえて・・・
スッと、構える
その瞬間
先程まであんなに無邪気だっのに、まだ8つの子供とは思えない雰囲気を身に纏う
「・・・」

 見つめる先は、囲いの中の10匹程の犬達
馬に乗った男によって追い回されている
「ヘッ!ヘッ!ヘッ!ヘッ!」
赤、黒、茶に、黄色、白、まだら模様・・・
様々な色と大きさの犬達
「ハッハッハッハッハッ!」
舌を出し、息を荒げて、涎を垂らしながら・・・
必死になって走っている
そこへ突然

 ヒューーーッ!

小次郎から放たれた矢!
しかし
「あぁぁ・・・」
それは走る犬を大きく飛び越え、柵の向こうに消えていってしまう・・・
残念がる小次郎
口を青空に向けて大きく開けている
その様子を一番近くで見ていた兄
「ふふっ
 狙ったのは、あの赤犬か?」
「はい・・・・・
 兄上と、同じ色の犬を・・・・・」
「そうか
 次はもっと良く良く犬の動きを見て、観察してから射るんだ
 教えてやろう!」
「はい・・・」
「・・・どうした?
 そんなに落ち込むことでもなかろう?」
「でも・・・」
「・・・あれだけ学問の覚えも早いのだ
 武芸も直ぐに身に付くだろう」
「しかし・・・
 兄上様のハレの日に、面目無い・・・・・」
「いいや
 気持ちだけでも兄は嬉しく思うぞ!」
その一言に
「はぁぁぁー、はい!」
笑顔を取り戻して
「武芸においては兄上には全く敵いませぬが、学問におていは私も負けてはおりませんよ!」
「そうだな・・・
 これからは学問が頼りの世になると申す者も多い
 頼りにしているぞ、弟よっ」
「はい!私がしかと兄上をお支えいたします!
 力を合わせて、お家を守っていきましょう!」
その力強い言葉に兄はニッと笑顔を作って
「ははっ、それは頼もしいぞ!
 今日という日に、一番嬉しい言葉だっ!」
そして弟の小次郎の頭をクシャクシャっと撫でれば
「ふふふーっ」
満面の笑みの小次郎

 その様子を見ていた男達も声を上げる
「これはまた、頼もしいことよ」
「ああ!
 若君の元服の祝いにこのようなやりとりが聞けるとは、喜ばしいですなぁ」
「ハッハッハッ」

 日傘の下で腕を組んでいる男も声には出さないが、口元を緩めて満足そうな顔でその2人を見ている
親方様と呼ばれたこの男
二人の父であり、ここにいる武士達郎党をまとめる頭目でもあるようだ
そしてその隣に移動したあの新兵衛という男
武術の指南役だろうか
皆のやりとりを微笑ましく、眺めている・・・
 すると

 パカラッ!パカラッ!パカラッ!

その和やかな空気を乱すように一人の白髪の老人が馬で駆け付け土煙を上げる
そして男達のすぐ近くまで来ると馬を勢い良く飛び降りて、その勢いのままに怒鳴りつけた

 「親方様!不仁ですぞ!!
 将軍様の生類憐めとのお達しはどうなされましたか!?」

日傘の下で腕を組んでいる親方
舞った土埃に目をしかめ、土煙をはらうような仕草をしながら答える
「それはそうであるが・・・
 今日は我が子元服の祝い
 武家の子として、犬も殺せぬようでは恥ずかしいであろう」
「そ、そのような・・・」
白髪の老人は呆れながら・・・
また怒鳴る

 「そのような考えではなりません!
 犬追物は将軍様から禁止とのお達し!
 しかも鏑矢も使わずに殺生などと・・・・・
 犬を無暗に殺すことも!禁止されております!!」

武家の頭目にこのような遠慮の無い物言い
この白髪の老人は如何ほどの立場の者か・・・

 日傘の下、面倒くさそうにする親方
「先代の"左様せい様"と変わって随分と・・・・・
 上様にも困ったものじゃ・・・・・」


 必死になって走り回っていた犬達も静かになっている
見渡せば、他にも矢を受けて亡骸となった犬が2、3と見える・・・
 先ほど左の脇腹に矢を受けた赤褐色の犬
矢が、鼓動に合わせて微かに動いている・・・
まだ息がある
生き残った犬達は瀕死の赤褐色の犬の周りに集まる
ある犬は匂いを嗅いで
ある犬は顔を舐めて
そして皆が
「クゥゥン・・・」
「キウゥゥ・・・」
悲しい声を上げている・・・


 親方と白髪の老人との会話を聞いていた他の者達
硬直した空気を破り、親方の隣で腕を組む新兵衛が口を開く
「・・・しかし、あのような馬鹿げたお触れを守っている國が御三家以外にありましょうか?」
空かさず、親方
「馬鹿げておるのはそうであるが、そのような事、口にしてはならんッ」
「でも、しかし・・・」
「・・・新兵衛?」
「はッ・・・」
少しだけ、かしこまる新兵衛
そのやり取りを見ていた兄も一言
「・・・しかし、親方様はずっとこの悪法に対して反対のお立場を示し、上役に進言しておられると聞きました・・・」
「・・・・・」
「それに・・・
 我ら武士の手本、水戸の光圀公も父上と同じように反対し、犬の毛皮を将軍様に送り付けたと聞きます!」
「・・・・・」
頭目であり父でもあるその男
そう言った息子から目を逸らし、顎に手を当て・・・考えるような仕草をする
何か、思うところのあるのだろう・・・
そこに、また別の男が
「・・・若君の仰るように、御三家の中でさえ疑義のある御触れ!
 隣の藩も、そのまた隣の藩も従うふりをするのみで今まで通りに犬を扱っていると聞きます!」
「・・・」
また、別の男も
「刀の試し切りもできないようでは、どのように刀を扱う術を若君に教えれば良いのかと私も頭を痛めております」
「あぁ
 下々の者を斬るなというのはまだ良いが、犬畜生まで斬るなとは、なぁ・・・」
「外での殺生は畜生とて煩いのだ
 今は囲いの中でするしかあるまい・・・」
「そうです!
 むしろ、赤子や女子供を襲って喰らう犬の畜生など、斬ってやった方が下々の者達も喜びますぞ!」
次々に出てくる不満・・・

 その様子を黙って聞いていた白髪の老人
「うぬぬぬぬ・・・」
堪忍袋の緒が切れる

 「なりませぬ!
 皆々様は上様の御心を全く理解されておりませぬ!!!」

「・・・・・」

 「親方様!?お父上が泣きますぞ!」

黙ったままの親方の前に仁王立ち
顔を赤くして親方を怒鳴り、睨みつける
しかし親方は・・・
顎を手で支え、目を逸らしたままで・・・
「・・・」
「うぬぬぬぬぬぬ・・・
 また後程!お時間を頂戴しに参上いたします!」
そう言って白髪の老人振り返り、サッと馬にまたがる
そして
「これも!御家の為です!」
そう馬上から言い残すと、その場を去っていく・・・

 パカラッ、パカラッ、パカラッ、パカラッ・・・

 その後ろ姿
その場にいた大人達は皆、冷やかな視線で見送った・・・
親方の隣の、これまた大男
「後ろから、射てやりましょうか・・・」
ボソッと、呟いた
「はぁ・・・」
と、親方はまた面倒くさそうにため息をついてから
「冗談でも止めておけ」
「しかし・・・」
「そしてあの犬の畜生共はしかと処分せよ
 以前のように病気をまかれてもこまるからのう」
「はっ!
 いつものように鷹の餌に!」



 そのやり取りを黙って見ていた幼い、8つの小次郎
その無垢な心には疑問が芽生え・・・
それを素直に兄に聞いてみる
「兄上?
 どうして犬を殺すことでこのように揉めているのですか?」
「ん・・・?
 あぁぁ・・・・・」
「犬を殺しては、ならぬのですか?」
「それは・・・」
「・・・」
真っ直ぐに見つめる小次郎の瞳
兄は、目を逸らして
「・・・父上に、聞いてくれ」
そう言って、他の皆と共にその場を後にする
「兄上・・・?」
その背中
困った様子の兄の表情が頭に残る・・・

 戸惑う、小次郎
「・・・猟犬でもないし、何の役にも立たない犬を・・・・・どうして殺してはいけないのだろう・・・・・?」
小次郎は、間もなくその鼓動が止まるだろう兄の射た赤褐色の犬の下へ向かう
そして
「・・・・・」
しばらく間、眺めていた・・・





 さてさて
令和の世に生きる皆様には辛く、信じられない一幕を見せてしまったかもしれません
私は物語の語り部
この物語は元禄の世
それは、今とは全く人々の価値観が違う時代に御座います
この物語をより楽しんで頂けるよう少し、お話させて頂きたいと存じます



 時は彼の"生類憐みの令"で有名な"犬公方"こと、第五代徳川将軍、徳川綱吉公の御治世
御覧頂いたように、この元禄の頃の犬の扱いは令和の今と全く異なっておりました

 犬死に、負け犬、政府の犬、犬の糞、犬桜・・・
などなど
令和の今でも使われることのある、犬に形容される印象の悪い言葉達
これらは武家社会の価値観によって生み出した言葉とされます
 聞いた事もあり、最も顕著にその心が現れているのは"犬死に"でしょうか
それは犬のように価値の無い、無駄な死に方をすることを表現しております
そしてそれは、武士にとって最も不名誉な死を意味しました
犬の死が、路上や町中など日常の中に当たり前にあって、軽んじられていた社会を想像させます・・・

 その時代を強権的な政策でもって改革した人物
それが"犬公方"と後の世に揶揄され、今に伝わる徳川綱吉公にございます
 35歳になる綱吉公は、第五代徳川将軍に就任してから数年の後、あの"生類憐みの令"の数々を発布いたします
それは馬の保護や伝統行事として行ってきた鷹狩りの禁止に、町に住む犬の保護を目的とした交通事故への注意喚起
そして魚、鳥、亀、虫、貝の保護に売買、殺生の禁止などなど、今にも伝わります

 そしてその"生類"の中には武家に虐げられて来た人々も、庶民も含まれます
人と人とが身分の差も無く、当たり前に尊重し合う令和の世を生きる私達が見落としがちな視点で御座います

 その時代、今の感覚で例えれば武士階級には特権がございました
武士は刀の切れ味を試す為の"辻斬り"や、家に仕える奉公人の"無礼打ち"など・・・
言わば気分で人を斬ることが黙認されていたのです
後の世に名君として伝わる水戸光圀公も若い頃、夜な夜な何の罪も無い通行人を斬り捨てる"辻斬り"をしていた・・・
というのは当時の気風を表す有名なお話
他の武士も、子供が騒いで五月蠅いからとその母親ごと手打ちにした・・・
などと今では考えらないような話も多く記され伝わります
 武士が己の裁量で人を斬り殺すのが当たり前だった時代
庶民は一部の横暴な武士に怯えて、暮らしていたようです・・・

 しかし庶民とて、武士と同じく戦國の荒廃した世の習慣をそのままにしておりました
手に負えない家族を邪魔だと山奥へ連れていって放置してしまう"姥捨て"や"病人捨て"
身に余る赤子を江戸の町中にでも捨ててしまう"捨て子"
あの松尾芭蕉様も旅の道すがら、明日にでも死んでしまいそうな泣いている3歳ほどの捨て子に、手持ちの食料をあげることしかできなかった・・・
と、詠んでいます
そして、その捨て子は野犬の腹の中か・・・

 ですから、綱吉公は"生類憐みの令"の数々を発布し、決めたのです
「生きとし生けるもの全てを大切にせよ!」
「犬であろうと、人であろうと殺生はならん!
 赤子を捨てるなどもっての他である!」

 武家の統治者である征夷大将軍の徳川綱吉公が、武家社会では最も価値の低い死に様だったどうでもよい存在の犬の殺生を禁じること
きっとそれは、多くの武家や既得権益者達から反発を生んだでしょう・・・
きっと、多くの人から恨まれたでしょう・・・
 しかし綱吉公は刀を持ち、権力を握っていた武士階級から変わろうと申されたのでした
実際に、"生類憐みの令"の数々によって罰を受けた者の多くは武士階級の人々だったようで御座います



 その綱吉公の"生類憐みの令"による改革は、今の私たちに通じる近代的な人権感覚や社会福祉体制の基礎を築き、そして動物保護の先駆けだったと評価をされる機会が近年増えて参りました
つまり、今につながる日本人の価値観、その基礎が創られたことが伺える時代であったのです
 令和の今に
「人を殺すな!犬を殺すな!」
と言われても
「え?何言っているの?
 そんなの当たり前じゃない?」
と思う人ばかりだと思います
しかし、当時はそうでは無かったのです・・・
"生類憐みの令"の数々の御触れを出さなければならない風紀と、時代であったのです・・・



 前置きが長くなってしまいました
このような時代を人々は、犬は、どう生きたのか?

 物語の始まりに御座います

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