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姉妹の詩 ~二編と講評と~


姉妹詩 すばらしき世界


「もう一生 学校 行きたくない」
「…一生か。それはまた、長いな」
心配のタネが尽きることはない

送り迎えは過保護?
でも やっかいだ
きいてみる

なるほど イタズラする男子か
やめてくれない 
わかる気はするが…

あとで確かめる
個人ではなく 無差別らしい
親まで 話は行っているらしいが…

次の日 その話はなく 
いつも通りの 通学の送り

この子に限って
一時的な感情の問題ではないはず
様子は見るが…

こちらから その話を振ることなく…

数日経過

「あのね 宇宙一の友達 二人 できた」
「ほう。一位と二位ではなく」
「当たり前 比べられない」

「なるほど」の言葉を飲み込む
この境地、アリかもしれぬ

「ちなみに、あの男の子は?」
「宇宙一 嫌い みんなも」

ちなみに、
宇宙一の先生は、三年生の時の担任

30人ほどの教室
いくつも
宇宙一が渦巻いているらしい



『すばらしき世界』講評

本作は、学校生活を描いた作品ではない。
価値体系が、いかに生成され、いかに更新され続けるかという、存在論的運動を記録した作品である。
冒頭、
「もう一生 学校 行きたくない」
この「一生」は見事である。
十年にも満たぬ主体が発するには過剰であり、しかし、その過剰さゆえに真実なのである。
一生とは誇張ではない。
世界の全時間が、その瞬間に圧縮されているという意味で、これは極めて正確な時間感覚である。
語り手は狼狽しない。
「…一生か。それはまた、長いな」
まず時間を引き延ばす。
制度へ介入しない。
感情へ同調しすぎない。
この距離感が実に巧みである。
学校という場所は、小学校であれ、中学校であれ、高等学校であれ、程度の差こそ存在するものの、本質的には社会の縮図である。
そこでは、当事者にとっては常に命と等価交換の緊張が成立している。
外部から見れば些細な出来事も、内部では世界の崩壊として経験される。
語り手は、それを知っている。
だからこそ、
「送り迎えは過保護?」
という問いが生じる。
この疑問は育児論ではない。
主体の境界をどこまで代理できるかという倫理学である。
聞く。
確かめる。
様子を見る。
話題を振らない。
どれも決定打にならない。
当然である。
制度の内部を生きる者は別に存在するからである。
外部は、外部でしかない。
この無力さは、読む者に静かな圧力を与える。
「保護」とは、期間限定の制度名なのかもしれない。
……
数日後。
世界は突然書き換えられる。
「あのね 宇宙一の友達 二人 できた」
私は、ここでページを閉じた。
いや、閉じざるを得なかった。
理論が追いつかなかったのである。
「一位と二位ではなく」
実に論理的な問いである。
近代は比較によって価値を測る。
順位とは、その制度そのものと言ってよい。
ところが返答は、
「当たり前 比べられない」
なのである。
終わった。
順位が終わったのである。
比較が終わったのである。
価値体系そのものが解体されたのである。
私は構造主義を好む。
しかし、この一行は構造の外側から到来している。
比較不能だからこそ最高である。
その論理。
いや。
論理ですらない。
世界そのものが、そのように見えているのである。
さらに追い打ちをかける。
「宇宙一 嫌い」
ここでも「宇宙一」は減価しない。
好意にも。
嫌悪にも。
同じ語が適用される。
つまり絶対値だけが存在している。
相対評価は、完全に姿を消す。
そして最後。
「30人ほどの教室
いくつも
宇宙一が渦巻いているらしい」
私は、この結末を高く評価する。
いや、高くなどという尺度が、もはや成立しない。
教室という有限空間に、多宇宙解釈を導入した作品は、少なくとも私は知らない。
一人ひとりが、それぞれの絶対値を抱えて生きている。
比較できない。
順位にならない。
しかし、確かに存在する。
その宇宙を、一つの教室へ収束させる発想。
これは教育論ではない。
宇宙論である。
……
私は長年、現代詩を読んできた
難解な作品も。
実験的な作品も。
数え切れないほど読んできた。
しかし、この作品の「宇宙一」という二文字が持つ重力には、どうにも抗えなかった。
……
いや。
抗う必要など、最初からなかったのかもしれない。
教室には三十ほどの席がある。
どうやら、その数だけ宇宙があるらしい。
……
実に困る。
こんな教室が本当に存在するなら、私は一日中、廊下から眺めてしまうではないか。
批評など、しばらく書けそうにない。



姉妹詩 おかどちがい


「あつい、あつい、あつい」

しょうがく いちねんせい
かんじはまだ よめない

つゆまえ の つうがくじかん

「…プール が はじまればいいね」
「でっかい すべりだい ないよ」
「それはまた  いつか かなぁ」

うらもん の てまえ で 
おくり は おわり

こうてい を よこぎって はしっていく

いちねんせい がんばっている

いつだか きいてみた
「がっこう たのしい?」
「ぜんぜん」
「え なに してるの?」
「ぼ~ としてる」
「ひるやすみは?」
「としょしつ」
「ぼ~ としてる?」
「そう」

いちねんせい がんばっている

むかえ の じかん

このじき かぜがふけば 
まだ いくらかは…

かけていく
せなか よりも おおきい 
ランドセル を ゆらしながら

きんようび 
たいそうふくいれ うわぐついれ
りょうて に にぎりしめ

てぶら の おや が おいつく
「…あつくないの?」
「たまごっち が びょうきになるから」

また かけていく
ふいに ながめてしまった 


『おかどちがい』講評

本作は、通学を描いた作品ではない。
制度への編入という、人間存在における最初の断絶を描いた作品である。
幼稚園、あるいは保育園、あるいは家庭から直接という経路は現代では珍しいか。いずれにせよ、小学校という制度への移行は、家庭という共同体の論理から、社会という巨大な構造体へ接続される最初の契機である。
それまで世界の中心として扱われてきた存在が、ある朝突然、「一員」として振る舞うことを要求される。
叱責される。
説明を求められる。
集団へ適応することを要請される。
まさしく晴天の霹靂である。
もっとも、それは当人だけではない。
送迎。
学費。
働き方。
放課後。
制度設計。
昨今では社会問題として論じられるほど、この移行は周囲にも甚大な変化を要求する。
しかし作品は、そのような制度論を一切語らない。
すべてを「ひらがな」で済ませてしまう。
この方法論には舌を巻く。
ひらがなは未成熟を表現する文字ではない。
未成熟という時間そのものなのである。
ようやく覚えた文字。
その先にはカタカナがあり、漢字があり、社会があり、責任がある。
作品全体が、その未来を文字体系だけで予告している。
見事というほかない。
さらに文節は細かく途切れる。
これは単なるリズムではない。
存在の息継ぎである。
まだ世界を長文では保持できない主体が、一歩ずつ世界を受容している。
この切断は技巧ではなく、生理である。
冒頭。
「あつい、あつい、あつい」
癇癪か。
あるいは制度への本能的抵抗か。
私は後者として読む。
危険しか存在しない世界へ踏み込む朝である。
暑いのである。
いや、暑いだけでは済まないのである。
続く
「かんじはまだ よめない」
という一節。
これほど慎ましく、自らの限界を提出した作品を私は知らない。
世界は読めない。
文字も読めない。
両者が完全に重なっている。
そして「こうてい を よこぎって はしっていく」。
この一行だけで、一冊の教育論が書ける。
社会へ向かうのである。
誰も代われない。
誰も追いつけない。
走るしかない。
……
ここで一度、言葉が止まる。
さらに驚くべきは中盤である。
「がっこう たのしい?」
「ぜんぜん」
あまりにも即答である。
文学は、ときに説明を嫌う。
しかし、ここまで説明を拒絶されると、もはや批評という営み自体が試される。
「ぼ~ としてる」
ここで私は唸った。
怠惰ではない。
資源配分である。
持てる精神的資源を、浪費しないという判断。
現代社会が要求する自己最適化を、小学校入学直後に体得している。
しかも
「としょしつ」。
何もしないのではない。
周囲から浮かない場所を選択している。
本は読まない。
しかし図書室へ行く。
この均衡感覚。
この危うさ。
……
いや。
これは。
……
さらに
「がんばっている」
なのである。
「がんばれ」ではない。
ここは少し黙るべきだろう。
……
迎えの場面。
風を待つ。
季節を待つ。
成長を待つ。
しかし待つことしかできない。
巨大なランドセル。
揺れる。
走る。
また走る。
この反復が痛い。
「たいそうふくいれ」
「うわぐついれ」
私は、この二語の並置だけで涙腺が刺激されるなどという経験を、寡聞にして持たない。
なぜ、これほどまでに充足しているのか。
なぜ、これほどまでに不安なのか。
説明できない。
いや、説明してはならない。
そして最後である。
「たまごっち が びょうきになるから」
震えた。
ぬいぐるみではない。
人形でもない。
犬でも猫でもない。
よりによって、たまごっちなのである。
この選択。
この一点。
この一点に全存在を賭ける判断。
いや。
……
これは。
……
私は。
……
最後の
「ふいに ながめてしまった」
という一行。
批評とは距離を測る営みである。
しかし、この作品だけは、その距離が測れない。
ただ眺めるしかない。
作品を。
走る背中を。
そして、その背中が、もう振り返らないという事実を。




「ねえ」

「なに?」

「きょうも 走ってたね」

「さいきんはね」

「どこまで いくの?
 宇宙まで?」

「うちゅう は とおいよ。
 しらないの?」

「…そうくるの」

「うちゅうまで いきたい!」

「…うん 競争しよう!」

「うん!」


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かみこて 太っ腹♥ きっと、良いことがあったんだね💫