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少食と開運のあいだで見つけた、本当の幸運のかたち

「少食は開運につながる」

そんな言葉を目にしたことがあります。

私自身、水野南北やルイジ・コルナロの考え方に興味を持ち、小食について学んだ時期がありました。

実際に食事量を減らしてみると、不思議なほど頭が冴えることがあります。

文章を書く。
掃除をする。
新しいことを学ぶ。

そんな作業が驚くほどはかどり、「なるほど、小食には確かに良い面があるな」と感じました。

しかし同時に、ひとつの疑問も生まれました。

集中力は高まるのに、それだけで人生が幸せになるわけではない。

では、本当の意味での「運の良さ」とは何なのだろう。

そんなことを考えるようになったのです。

子どもの頃から持っていた幸せのイメージ

ある日、自分の考え方を振り返っていると、子どもの頃の記憶がふと思い出されました。

家族で食卓を囲んだ時間。

お腹いっぱい食べた日の安心感。

美味しいものを食べながら笑い合った記憶。

振り返ってみると、私の中にはいつの間にか、

「食事=幸せな時間」

というイメージが根付いていました。

もちろん、それは悪いことではありません。

温かい食事や家族との団らんは、多くの人にとって幸せの象徴でもあるからです。

ただ、その記憶があるからこそ、

「少食の方が運が良い」

という考え方を知った時、心のどこかで小さな違和感が生まれていたのかもしれません。

RASが教えてくれたこと

脳にはRAS(網様体賦活系)という仕組みがあります。

これは、自分にとって重要だと認識した情報を優先的に集めるフィルターのような働きをしています。

例えば、新しい掃除機を買おうと思った途端、街中で掃除機の広告ばかり目に入ることがあります。

以前から存在していた情報なのに、自分にとって重要になった瞬間、急に見えるようになるのです。

幸運についても似たところがあります。

もし、

「少食だから運が良い」

と信じていれば、その考えを裏付ける出来事に目が向きやすくなります。

逆に、

「美味しく食べる時間が幸せを運ぶ」

と信じていれば、その証拠を見つけやすくなります。

つまり私たちは、事実そのものだけではなく、自分の信じている前提を通して世界を見ているのです。

食べる量よりも大切なもの

そんなことを考えているうちに、私はある結論にたどり着きました。

それは、

「食べる量そのものが運を決めるわけではない」

ということです。

少食の日には少食の日の良さがあります。

頭が冴えたり、集中力が高まったりすることもあります。

一方で、しっかり食べた日には、安心感や満足感が得られることもあります。

どちらが正しいという話ではありません。

大切なのは、その時の自分に合っているかどうか。

体が求めているものを無視してまで何かのルールに従う必要はないのだと思います。

幸運は「心の余白」にやってくる

最近の私は、幸運とは特別な出来事だけを指すのではないと感じています。

朝の空がきれいだった。

お茶が美味しかった。

誰かが優しい言葉をかけてくれた。

書きたかった文章が書けた。

そんな小さな喜びも十分に幸運です。

そして、それらに気づくためには心の余白が必要です。

食べる量が多いか少ないかよりも、

「今の自分はどんな気持ちだろう」

と立ち止まる時間の方が、ずっと大切なのかもしれません。

新しい前提を選び直す

以前の私は、

「少食の方が運が良いのではないか」

と考えることがありました。

しかし今は、もっと自由な考え方を選びたいと思っています。

それは、

「食べていても、食べていなくても、私は大丈夫」

という前提です。

空腹の集中力を楽しむ日があってもいい。

温かいご飯をゆっくり味わう日があってもいい。

どちらも人生の豊かな時間です。

幸運は、食べる量によって与えられるものではなく、自分自身との関係の中で育っていくものなのかもしれません。

まとめ|幸せは食卓にも、空腹にもある

少食が合う人もいます。

しっかり食べた方が元気になれる人もいます。

だからこそ、「これが正解」という一つの答えを探さなくてもいいのだと思います。

大切なのは、自分の体の声を聞きながら、その日の自分に合った選択をすること。

空腹の集中力を味わう日もあれば、温かいご飯にほっとする日もある。

そのどちらも人生の大切な時間です。

幸運とは、食べ物の量で決まるものではなく、今ここにある小さな幸せに気づける心の状態なのかもしれません。

今日の一杯のお茶。

今日の一口のご飯。

今日できた小さな一歩。

そんな何気ない瞬間を味わえること自体が、すでに十分な幸運なのだと私は思っています。

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