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【日記】NPO法人にじいろ学校のAro/Ace交流会に行ってきた!そしてGoodRackで休日読書タイム


■はじめてAceコミュニティのイヴェントに参加


年末辺りから超ソワソワしてました。
何故かと言うに、勇気を出して初めてAceコミュニティの交流会に行こうと思ってチケットを押さえていたからです。

そんな訳で「初参加」のグループに入れていただき、色々とお話させていただきました。
結論、行ってよかった。

具体的な内容については守秘義務が有りますので触れませんが、会の印象と感想だけざっくりと。
スタッフの方がこまやかな配慮を持って進行してくださいますので、人見知りコミュ障でもなんら問題ありません。
心理的安全性の高さに、ついつい喋り過ぎてしまいました(いつもの)。
普段なるべく人と喋らないように生きてると、おしゃべり止まらなくなるので毎度反省会…。

それはさておき。
セクシュアリティについてはもうある程度自己完結をしてるし、毒親および毒親族とも絶縁しているんで周囲からのプレッシャーも1ミリたりとも無いからもう良いか…とか思ってるんですが、それでもやっぱり同じような意識を持ってる人と実際に対面でお話するのはとても勇気づけられるなぁとしみじみ思った。
このような機会を作ったほうが、心が健康になれる。「当事者会」というものに参画することが人間の精神に及ぼす効能は、計り知れないものがあります。メジャーな方法というのは、やはりそれだけの実績を積み重ねてきた歴史があるんだなと痛感します。

生活人としてはやはり基本的に(異)性愛規範に殴られ続けてる毎日ですし、まあさすがに特大のハラスメントを受ける事は減ってきましたが、それでもジワジワと精神を摩耗させられていたのだなあとこういう時に改めて意識します。
「普通」、「常識」、「世間」、この、時代や土地によって流動する儚い一過性の観念を、絶対不変だと信仰する人々と接していると、直接的な話はしなくとも「ズレ」によって異端者は消耗する。

にじいろ学校さんもまたぜひ伺いたいし、他のところにも顔を出したい2026であります。


■急ぎ足で高田馬場 GoodRackへ

さてAceの会で見聞を広めてきましたが、午後がまるっと空いてたのでそれなら高田馬場へ行くしかないよね、と朝起きた瞬間から決めてました。
読み進めたい本がありましたから、本に没頭できるカフェ GoodRackにお邪魔。

日中伺えたの初めて!コーヒー(コスタリカ)をいただいたが、とても美味しかった

ナチの強制収容体験をしたユダヤ人精神科医、ヴィクトール・E・フランクルの『それでも人生にイエスと言う』ですね。以前部分的に読んだのですが、確か通しで読んだことはなかったはず。
コレがなかなか耳が痛い内容でキツイ。
声を荒げて反論したくなる場面がいくつもある。
なんとか感情の波をやり過ごしながら、読み進めてます。

コピ・ルアック飲みながら読む本じゃないぞ

並行して『夜と霧』も読んでます。新訳しか読んだことないんですが、旧訳をお勧めしてもらって、いい機会なので着手。

中年に差し掛かり、人生における巨大な危機を乗り越えたのち、ここ半年くらいは「人生の意味」について考えてばかりいます(トマス・ネーゲルも読んだよ)。
「生まれたくないのに生まれさせられた」という理不尽への憤り、そしてこの「ハズレ」の人生をまったく好きになれない苦しさ、そういうものとばかり日々直面しながら生活をし、好きでもない仕事をして高い税金を払っていて、一体何故こんな拷問じみた生を続けなくてはいけないんだろうという疑問は尽きることがありません。
キーワードは「実存」なのかもしれない。
自分の存在の空虚さに吐き気を覚えながら、耳が痛い内容にこそ立ち向かっています。

苦悩がこの人生に意味を与えるとフランクルは言うが、はたしてどうなんだろうか。
私の人生は無意味で無価値でその事がとても苦しいが、それを自分に鞭打って「人生に試されているんだ」なんてマッチョな思考を燃やし続けなければ赦されないのだろうか…苦…絶望…一切皆苦…(濁った目)。
生きる事、しんどすぎ。絶望。

ともあれ、フランクル著2冊の通読を目指そう…。


お庭見れたのも初!
いつも夜だからな…


人と話したり、関わったりするのを諦めない。
そういう強い意志を持って、コミュ障ゴリラはたまにこうして人里へ降りていく。
「野人」になれたらと思うけど、今日それは難しい。
ニンゲンと共生していくために、日々精進です。


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