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祖母に会うための松山帰省 ― 子規堂の三畳から考えたこと

松山に着いたのは、朝の空気がまだ柔らかい時間だった。

三月の空は曇りがちで、春特有の白い光が町の上に広がっている。
長い移動のあとにもかかわらず、不思議と眠気はなかった。

祖母に会う予定があるからだろう。
胸の奥に、わずかな緊張が残っている。

予定まで少し時間があったので、
僕は道後温泉の方へ向かった。


道後温泉とガラス

松山といえばまず思い浮かぶのが

道後温泉

日本最古級の温泉として知られ、
文学作品にも登場する松山の象徴的な場所である。

その温泉街の近くにあるのが

道後ぎやまんガラス美術館

江戸期のぎやまんや、明治・大正の和ガラスなどが展示されている美術館だ。

僕はこの場所の静かな空気が好きで、
松山に戻るとたまに立ち寄る。

展示を見ていると、
棚の上に魚の形をしたガラス皿が置かれていた。

淡いピンク色の透明な皿である。

展示用のライトが上から照らしている。
その光を透かして、棚の上に魚の影が映っていた。

ガラスの魚と、影の魚。

二匹の魚がそこに泳いでいるように見える。

そこで一句。

春灯や
玻璃の魚影
棚に浮く

透明なものは、ときどき現実よりも美しい影をつくる。


欲しい😍

子規堂

次に向かったのは

子規堂

正岡子規ゆかりの場所である。

子規堂は

松山市駅
の近くにあり、

いよてつ髙島屋
から歩いてすぐの場所にある。

現在の建物は、
戦災で焼失した子規の旧居をもとに、
戦後に当時の間取りを再現して建てられたものである。

松山の中心市街地の中にありながら、
そこだけ時間が少しゆっくり流れているように感じられた。



正岡子規

正岡子規は、
近代俳句を確立した人物として知られている。

それまでの俳句は
観念的なものが多かった。

子規はそれを変えた。

自然を観察し、
そのまま詠む。

写生という考え方である。

彼の代表句として広く知られているのが

柿くへば
鐘が鳴るなり
法隆寺

という句である。

目の前の現実を、
そのまま言葉にする。

それが近代俳句の出発点だった。


三畳の空間

子規堂の中には、
三畳ほどの小さな部屋が再現されている。

決して広い空間ではない。

しかし、
その場所から近代俳句は生まれた。

窓から入る春の光を見ながら、
僕も一句。

三畳に
春の光の
筆走る

小さな場所でも、
言葉は世界へ広がる。




漱石と松山

松山を語るとき、
もう一人の文学者を忘れることはできない。

夏目漱石

漱石は1895年から1896年まで、
松山の中学校で英語教師をしていた。

その体験をもとに書かれた小説が

坊っちゃん

である。

松山城の城下町や道後温泉など、
松山の町の風景がこの作品の背景となっている。

松山の町を歩いていると、
文学の気配を感じるのはそのためかもしれない。


僕の三畳

僕にも三畳ほどの場所がある。

チョコザップの
カラオケルームだ。

そこで僕は、
歌を練習している。

子規は俳句。
僕は歌。

分野は違う。

しかし
狭い場所で何かを磨くという点では
少し似ている気がする。

春曇や
子規なき部屋
我来たる


山の墓

その後、
実家の墓参りへ向かった。

松山の町を離れ、
山の方へ車を走らせる。

山間の天気は変わりやすい。

墓に着く頃、
空が急に崩れた。

激しい雨が降り、
遠くで雷が鳴る。

春の雷は、
低く長く響く。

そこで一句。

春雷や
山の墓地打つ
雨しきり


祖母

その後、祖母のいる施設へ向かった。

面会時間は
十五分。

短い。

家族や職員が多いと、
会話はどうしても散ってしまう。

人は一度に
多くの声を聞き取れない。

祖母の顔を見て、
最後に一句。

春雨や
祖母のまなざし
胸に置く


春の道

今回の帰省の目的は一つ。

祖母に会うこと。

それは達成できた。

それで十分だと思う。

松山の町を歩きながら、
最後に一句。

春の道
声を磨いて
また歩く

小さな場所でも、
人は何かを磨きながら生きている。

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