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親たちを見ていた

昨日の晩、先週記事にしたプラハから家に戻り、いつもの2階のリビングに座っている。

窓の外は、いつもと変わらない初夏の緑の景色だ。

持って行ったリュックはまだ部屋の隅に置いたまま。

洗濯物も残っている。

仕事は有休をもらった。

旅から帰ったばかりの部屋には、まだどこか外国の空気が混ざっているような気がする。

奥さんと朝食をとりながら、旅の中で感じたことを話した。

こうして家に戻ると、旅先で見たものよりも、旅先で考えていたことの方がゆっくりと浮かび上がってくる。

今回参加した父母同士の婚活パーティーには、40人近い方が集まっていた。

イギリス、フランス、スペイン、ベルギー、スロバキア、ノルウェー、ロシア、チェコ、ハンガリー、ポーランド。

ほかにも様々な国の方々がいて、気がつけば、いろいろな夫婦と話をしていた。

ほとんどが私たちと同じ国際結婚だった。

文化も違う。

言葉も違う。

育った環境も違う。

それでも人生を共に歩いてきた人たちだった。

会場にいる間、頭の中はずっと英語だった。

聞き取れたと思ったら、次の話題が始まる。

知らない単語も出てくる。

相づちを打ちながら必死についていく。

久しぶりに頭をフル回転させていたように思う。

スタッフの一人が、家族の写真を見せてくれた。

パワーポイントに映し出された一枚の写真だった。

その方には五人の子どもがいて、そのうち四人が結婚しているという。

しかも全員が国際結婚だった。

さらに結婚相手のご両親も国際結婚。

本人も国際結婚。

気がつけば、八カ国を超える国々につながる大きな家族になっていたそうだ。

五人の孫たちが並ぶ写真を見ながら、その方は本当に嬉しそうに話していた。

国籍も文化も宗教も違う。

けれど、その写真から伝わってきたのは違いではなく、家族の温かさだった。

私はその姿が、とても印象に残っている。

その方が嬉しそうに語っていたのは、違いではなく家族のことだった。

子どもたちのこと。

孫たちのこと。

その姿を見ながら、私は気づけば親たちの方を見ていた。

子どもの写真を見る会のようでいて、

私の関心は、むしろ親たちがどんな人生を歩いてきたのかということに向いていた。

どんな出会いだったのだろう。

どんな困難を越えてきたのだろう。

何を大切にして生きてきたのだろう。

そんなことを考えながら話を聞いていた。

その中で、一人の参加者が話していた言葉が印象に残っている。

その方には、障がいを持つお子さんがいた。

「普通とは何だろう。」

「障がいを持つ子にとっての普通とは何だろう。」

そんな問いと長く向き合ってきた方だった。

けれど、その方の表情はとても穏やかだった。

お子さんのことを話す姿も、どこか幸せそうだった。

私はその姿も印象に残っている。

その方が話していたのが、四角いメロンの話だった。

まだ小さいうちから四角い箱に入れて育てれば、メロンは四角く育つ。

日本では観賞用として作られることもあるらしい。

その話をしながら、

「私たちは、子ども自身を育てているのだろうか。

それとも箱に合うように育てているのだろうか。」

そんな趣旨のことを話していた。

その場では何気なく聞いていたのだが、その後も何度か思い出していた。

メロンを育てるために箱があるのか。

箱に合わせたメロンを作るために育てるのか。

子育ても。

教育も。

案外、同じ問いを抱えているのかもしれない。

親として、子どもに幸せになってほしいと思う。

それは誰も同じだろう。

けれど、幸せになってほしいと思うことと、自分たちの考え方や生き方をそのまま受け継いでほしいと思うことは、少し違う。

結婚という形。

価値観という形。

形は受け継ぐことができる。

けれど、本当に受け継いでほしいものは何なのだろう。

形はいつかなくなる。

人の体も、いつかなくなる。

では、残るものは何なのだろう。

そんな親たちの姿を見ながら、

自分たち夫婦は何を生きてきただろう。

何を子どもに受け継いでほしいのだろう。

そんなことを考えていた。

今回は奥さんは参加していなかった。

だからだろうか。

様々な夫婦の話を聞きながら、

改めて、自分たち夫婦は何を大切にして歩いてきたのだろうと考えていた。

愛情だろうか。

信頼だろうか。

人を大切にすることだろうか。

真の愛。

永遠の愛。

無償の愛。

そんな言葉も浮かんではくる。

けれど、言葉だけを受け継いでも意味はないのかもしれない。

本当に受け継いでほしいのは、

そうしたものを体験した記憶なのかもしれない。

愛されたこと。

許されたこと。

大切にされたこと。

そして、自分も誰かを愛したこと。

親が何を語るかより、

親が何を生きるか。

案外、受け継がれるのは言葉ではなく、その体験なのかもしれない。

何を受け継ぐのか。

何を残したいのか。

そんなことを考えていた。

これだけ真剣に英語を聞いたのは久しぶりだ。

少し頭がパンク気味かな。

ひとまず今日は、この辺で。

2階のリビングから。

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