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北海道旅行で訪れた博物館・資料館等の紹介【北鎮記念館編】

0 目次



1 北海道の博物館等について

 先日、北海道に長期旅行に行ってきた。
 北海道には、これまでにも何度もオートバイで行ったことがあったが、今回は幸運にもかなり古いがキャンピングカーをタダで入手できたため、キャンピングカーを使った。

 オートバイでの旅では、キャンプ泊が多くなるが、そうなると日々の設営や撤収で時間と体力を使ううえ、気候の影響を受けやすくなるというデメリットがあった。
 短期の旅行ではそれも良いが、長期滞在となるとなかなか厳しいものがある。

 その点、キャンピングカーだと宿泊が格段に楽になる。
 日中に活動できる時間も伸びるので観光もしやすいし、宿泊場所も柔軟に変えられるので、予定外の寄り道も気楽にできる。

 そこで今回の旅行では、道中の博物館や資料館にたくさん立ち寄ってみたのだが、それが思っていたより面白かったため、私が立ち寄った北海道の博物館等について、ご紹介していきたいと思う。

 かなり長くなりそうなので、不定期で少しずつ記事を書いていきたい。

2 北海道旅行で博物館等に立ち寄るメリット・デメリット

 まず、北海道旅行において、博物館等を観光することのメリットとデメリットを考えてみた。

【メリット】
 ① 一般的な観光地よりも観光客が少ないことが多く、ゆっくり観光できる
 ② 天候に左右されにくい(一部例外あり)
 ③ 歴史や文化を知ることで、北海道観光がさらに楽しくなる
 ④ 低コスト(無料~数百円くらいのところが多い)

【デメリット】
 ① 大自然やグルメに比べるとインパクトは小さめ
 ② 地元の資料館だと立地に難があり、他の観光地が近隣に無い場合もある
 ③ 博物館だけで一日使うほどのボリュームは無い場合が多い(1時間~半日くらい)

 私が考えるのは、こんなところだ。
 そのため、2,3日の短期の旅行よりは、1週間以上の長期の旅行の中にアクセントのように博物館観光を組み込むのが、個人的にはお勧めだ。

3 立ち寄った博物館等の一覧

 今回の旅で私が実際に立ち寄った博物館等は以下のとおり。

  • 北鎮記念館(旭川市)

  • 古代の里(苫前町)

  • オホーツクミュージアムえさし(枝幸町)

  • 北海道立北方民族博物館(網走市)

  • 羅臼町郷土資料館(羅臼町)

  • 北方館(根室市)

  • 帯広百年記念館(帯広市)

  • むかわ町穂別博物館(むかわ町)

  • 北海道開拓の村(札幌市)

  • 北海道博物館(札幌市)

 今回の記事では、「北鎮記念館」を取り上げたいと思う。

4 北鎮記念館(旭川市)【北の防衛と開拓を担った屯田兵等の歴史的資料】

外観

 所在地 旭川市春光町国有無番地陸上自衛隊旭川駐屯地隣
 入館料 無料
 休館日 月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日)、年末年始
 所要時間目安:1~2時間
 ホームページ:https://www.mod.go.jp/gsdf/nae/2d/hokutin2/top.html

 30万人超の人口を擁する北海道第二の都市、旭川市にある、陸上自衛隊旭川駐屯地に隣接した博物館。
 この博物館には、アニメ化や映画化もされている人気漫画「ゴールデンカムイ」のストーリー上、重要な立ち位置を占めている旧陸軍第七師団(だいしちしだん)にまつわる様々な資料が展示されている、ファンにとってのいわば「聖地」の一つと言える。
 また、ゴールデンカムイの作者、野田サトル氏も取材に訪れているとのことで、館内にサイン色紙も展示されている。
 なお、希望すれば、記念館の職員さんに館内を解説してもらうことができるので、ぜひ利用をお勧めしたい。

 旭川の中心部にあるため、車での移動であれば、旭山動物園や旭川ラーメン村などの観光地まですぐに行けるため、利便性も高いのもおすすめポイントだ。

館内に展示されているゴールデンカムイ関連グッズ(館内にショップもある)

 第七師団を構成したのは、主に北海道の屯田兵たち。
 南下する帝政ロシアに対抗するため、北海道の防衛と開拓、そして廃藩置県で窮乏する士族の救済を目的(後に平民の屯田兵も現れる)として、明治8年(1875年)に札幌の琴似を皮切りに、屯田兵の入植が始まった。
 明治37年(1904年)に屯田兵条例が廃止されるまでに、屯田兵とその家族合わせて約4万人が北海道の地に根を下ろしたという。

屯田兵たちの集合写真
屯田兵たちが故郷から持ち込んだ鎧兜等

 屯田兵には、屯田兵屋という住居や、家具や農具等の生活に必要な道具が支給されたり、税金が免除される等の特典があったが、北海道の厳しい寒さに耐えて未開の地を切り開く生活は、大変過酷なものだったようだ。

屯田兵の待遇
屯田兵屋(屯田兵に支給される住居)の模型

 旭川のまちの始まりは、明治18年(1885年)、後に初代北海道庁長官となる岩村通俊が、同じく二代目長官となる永山武四郎(さらに後、初代第七師団長)とともに、現在の近文山に登り上川の原野を望み、この地に一大都市を置くことを構想したことに始まるという。

 明治23年(1890年)に、札幌から旭川に至る道、「上川道路」が完成すると、旭川村が置かれ、屯田兵や開拓民により旭川の開拓がはじまった。

 上川道路は、現在の三笠市から旭川市までの約88kmの道路で、岩村通俊の命により、明治19年(1886年)に着工したのだが、その工事を担ったのは、樺戸集治監(刑務所)の囚人たち(西南戦争や戊辰戦争で敗れた旧士族が多かったという)だった。
 過酷を極める労働環境などから、多数の囚人が命を落としたといわれ、上川道路は中央道路とともに、「囚人道路」とも呼ばれた。

 なお、ゴールデンカムイの単行本9巻第85話で、元新選組の永倉新八が、樺戸集治監の剣術師範をしていた際に、函館戦争を生き延びて密かに収監されていた土方歳三と再会するという回想ストーリーが展開されるが、永倉新八が樺戸集治監の剣術師範をしていたことがある、という部分は意外にも史実である。

 明治27年(1894年)から日清戦争が勃発すると、翌年、兵力増強の必要性などから、北海道の屯田兵たちからなる「臨時第七師団」(後に常設の師団となる)が編成され、永山武四郎が師団長に就任した。
 当時の陸軍には、6個の常設の師団と近衛師団しか存在していなかったので第七の師団ということだが、「七」を「なな」ではなく「しち」と読むのは、明治天皇がそう呼んだからだという説がある(陸自の第七師団の場合は「なな」と読む)。
 また、師団の司令部も創設当時は旭川ではなく、札幌に置かれていた。

 こうして第七師団が創設されたが、東京での訓練中に日清戦争は終結したため、第七師団は日清戦争の戦場に立つことはなかった。
 しかし、明治37年(1904年)に勃発した日露戦争では、乃木希典率いる第三軍の指揮下に入り、激戦地である旅順要塞攻略や奉天会戦を戦うこととなる。 

 明治31年(1898年)に官設鉄道上川線の旭川駅が開業すると、明治34年(1901年)には、第七師団が札幌から旭川へ移駐してきた。

 ちなみに、ゴールデンカムイの単行本20巻第197話で、第七師団の鯉登少尉の回想の中で、鯉登の故郷の鹿児島を訪れた鶴見中尉と出会った際、鶴見が鯉登少年に月寒あんぱんを差し出すシーンがあるが、この回想は二人の会話の内容から、明治33年(1900年)頃と考えられるため、第七師団が月寒のある札幌から旭川へ移駐が完了する直前の出来事だったと考えられる。

敷地内の石碑 刻まれた★は北海道開拓を象徴する赤い星「北辰」(北極星)と思われる

 ともあれ、師団の兵力を一か所に集める、陸軍でも最大規模の兵営が建設され、「軍都旭川」が生まれた。これらによって、ますます人や物の往来も活発となり、旭川のまちは発展していった。
 旭川駅から兵営に至る道は、「師団通り」(現在の平和通り)と呼ばれ栄えたという。
 ちなみに、旭川市内に「永山」という地名があるが、これは初代第七師団長の永山武四郎の名前が由来だという。

師団通りの移り変わり

 ゴールデンカムイの単行本10巻第97話で、師団通りの賑わいを見た杉元が、港町でもない旭川がなぜこれほど栄えているのか不思議がると、同行していた土方歳三が、札幌と旭川を結ぶ上川道路が旭川の発展をもたらしたと説明する場面があるが、鉄道の開通や第七師団の移駐の影響も大きかったのだろう。

 なお、第七師団の兵営があった場所である陸自の旭川駐屯地には、現在陸自の第二師団の司令部が置かれており、陸自第七師団の司令部は千歳市にある。

大正2年当時の衛戍地(≒駐屯地)のジオラマ(金カム97話98話ではここを舞台としたストーリーが展開される)
かつて衛戍地にあった将校たちの集会所「偕行社」の模型(実物は現在は美術館になっている)
旧偕行社(現:旭川市彫刻美術館)

 北鎮記念館は、北海道開拓の歴史を「屯田兵」という切り口から見ることのできる博物館だ。
 ここで紹介したもの以外にも、たくさんの資料が展示していあるため、旭川に立ち寄った際には、見学をお勧めしたい博物館の一つだ。
 もちろん、ゴールデンカムイに興味がある方にもお勧めだ。


5 最後に

 今回は資産運用とは全く無関係の記事となった。今後も不定期で北海道の観光に関する記事を作成していく予定。まずは博物館関係を一通り紹介しようと思う。

 ここまで記事を読んでいただきありがとうございます。
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