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霧の中の攻防 〜戦後ヘゲモニーの溶解と、見えない地図〜

いま私たちはどこにいるのか。霧の中にいて、よく分からない、ため息をついて、まずはそこからはじめよう。


一 土台ごと消えた

共産党・社民党の支持層が高齢化している。れいわ新選組は大敗し、混乱のなかにある。ネット上では「パヨク」という言葉が飛び交い、権利主張や反戦的言動を排斥する空気が強まっている。
一方で高市政権は今年2月の衆院選で圧勝し、改憲にまで進もうとしている。これを見て、右が勝ち、左が負けたと呼ぶ人がいる。しかしそれは正確ではない。勝者に見える側もまた、自らが立っている地盤の変化に気づいていない。ここには真の勝者はいない。では、これは何なのか。
そもそも戦っていた目的、あるいはその土台——戦後民主主義というヘゲモニーそのもの——が、静かに溶解しつつあるのだ。
ヘゲモニーとは何か。支配が続くためには、権力者が法律や強制力で人々を抑えるだけでは不十分だ。メディア、教育、文化人、知識人——これらが「そうあるのが当然だ」という空気を作ることで、人々が自発的に既存秩序を支持する状態を作り出す。この「権力と文化的同意」の複合体がヘゲモニーだ。
護憲・平和・人権・福祉。これらの価値は、戦後日本において左翼だけのものではなかった。55年体制の枠内で、与野党が共有していた「戦後的合意」の核心だった。自民党もまた、この合意の内側で統治してきた。高度成長・福祉の拡充・憲法を前提とした統治——自民党の長期支配は、保守の衣をまとった戦後的合意の管理者としての支配だった。
メディア・教育・文化人ネットワークは、この合意を日常的に再生産する文化的インフラとして機能していた。「朝日新聞的なるもの」「日教組的なるもの」は、単なる左派の陣地ではなく、戦後体制全体を支える文化装置だった。
その土台が、1990年代以降に崩れ始めた。この崩壊には、二つの層がある。
ひとつは、物質的な基盤の変容だ。終身雇用と年功序列を前提とした雇用構造が解体され、非正規雇用が労働市場の常態となった。それに伴い、家族形態もまた変わった。標準家族として前提されてきた夫婦と子どもという単位は縮小し、単身世帯・非婚・晩婚が社会の基本形となりつつある。国際的な安全保障環境も一変した。冷戦の終結は「平和の配当」をもたらすどころか、多極化と地域紛争の時代を招き、中国の台頭と米国の覇権後退が東アジアの秩序を根底から揺さぶっている。そしてグローバル化によって再編された経済構造は、国内の富の分配様式を変え、かつて中間層を支えた産業基盤を空洞化させた。戦後体制が前提としていた「成長・安定・家族・安全」という四つの柱が、ほぼ同時に崩れ始めたのだ。
もうひとつは、認識の変容だ。冷戦後に政治的社会化を経た世代には、保革対立という地図がそもそも存在しない。物質的基盤の変容が先にあり、認識の変容がそれに続いた。あるいは両者は同時に進行した。いずれにせよ、人々が政治を読む座標軸そのものが、静かに、しかし不可逆的に書き換えられてきた。
冷戦の終焉、バブルの崩壊、グローバル化の波——これらが戦後的合意の前提を次々と掘り崩した。そして自民党自身も、この溶解の中で変質を迫られた。55年体制の管理者から、新自由主義の推進者へ。その転換は、自民党が戦後ヘゲモニーを「守る」立場から「解体する」立場へと移行したことを意味していた。
左翼が失ったのは陣地ではない。陣地があった地盤そのものが、二つの層において、時代とともに変わったのだ。

二 解体という攻撃

地盤が溶解するとき、それを誰かが利用する。
戦後日本は「平和・民主主義・自由経済」という集合的仮面を纏うことで、国際社会への復帰を果たした。しかしユング心理学が示すように、仮面が強固であるほど、その裏側に沈む影は深くなる。ナショナリズム、戦前的誇り、「強い日本」への欲望——これらは意識の外に押し込められたまま、エネルギーを蓄え続けた。
地盤の溶解は、その影に帰還の契機を与えた。「朝日叩き」「日教組批判」「自虐史観との闘い」——これらが1990年代以降に激化したのは偶然ではない。戦後的地盤が崩れるなかで、長年抑圧されてきたものが噴出した。
人々の目には、これは左右の対立に見えた。攻める者は左翼的偏向の是正だと信じ、守る者は民主主義の危機だと訴えた。双方が必死だった。
しかし誰も気づかなかった。攻守の激しさの陰で、地盤そのものが失われていっていることに。
この攻撃が巧妙だったのは、その言語にある。「偏向している」「既得権益だ」「国民の声を聞いていない」——この言語は、守る側の反論を封じる構造を持っていた。反論すれば偏向の証拠になる。沈黙すれば陣地が削られる。「偏向の是正」という言語は実に非対称だ。守る側を最初から「偏っている側」として定義してしまうからだ。
そしてインターネットの登場が、この構造をさらに加速した。既存メディアへの不信を燃料に、オルタナティブな「常識」の空間がネット上に形成された。しかしそれは新しいヘゲモニーではなかった。既存ヘゲモニーの破壊によって生まれた、感情的な反動空間だった。
90年代に左翼的偏向の是正を掲げ、既存メディアや教育を攻撃した者たちは、ひとつの環境を作り出した。戦後的陣地を「偏向」と呼ぶことが、言論空間において正当化された環境だ。その環境の中で育った世代が今、SNS上で「パヨク」を排斥し、反戦・人権的言動を嘲笑する。彼らは攻撃しているという意識すら持たないかもしれない。それが「普通」の感覚として内面化されているからだ。
ここに、より根深い問題がある。
共産党・社民党は今もなお、自らを「革新」と定義している。しかし2010年代に実施された複数の計量政治学調査が明らかにしたのは、当時40代以下の有権者において、共産党は「革新」ではなく「体制側」として知覚されていたという事実だ。0を革新、10を保守とする11段階尺度で各政党の位置を尋ねると、40代以下では共産党が中間に急速に接近し、体制側の政党として知覚される。「革新」として認識されるのは、維新の会である。
その世代は今や50代以下にあたる。つまり現在の有権者の過半数が、すでに旧来の保革対立の地図を持たない可能性がある。そしてその下の世代——今の20代・30代——が同じ地図を持っていないとすれば、それはなおさらだ。
これは単なる無知ではない。構造的な帰結だ。
なぜか。55年体制下で「革新」の意味を習得した世代とは異なり、冷戦後に政治的社会化を経た世代には、そもそも保革対立の地図が存在しない。彼らが使う座標軸は「改革対現状維持」だ。その軸において、自民も共産も社民も立憲も、等しく「現状維持の側」に見える。
守る側の最大の危機は、「負けた」ことではない。「対抗軸として認識すらされていない」ことだ。
守る側は城壁を修復しようとしている。しかし若い世代の目には、その城壁も、攻める側の砦も、同じ「旧い建物」として映っている。どちらも自分たちを代表しない。
90年代に帰還した影は、戦後的陣地を叩いた。しかしそれは、自らが立っている床そのものを壊す行為だった。戦後的陣地——メディア、教育、労組、地域共同体——は、単に左翼の砦だったのではない。戦後体制全体を支える社会的インフラでもあった。それを「偏向」として解体することは、対抗軸を弱体化させると同時に、社会の結合組織そのものを引き剥がすことでもあった。
攻撃する側はそれに気づかなかった。解体の後に何が残るかを、誰も問わなかった。残ったのは、保革も左右もみな古い地図しか持たない、昔の言葉でしか話さない「保守」だと認識する世代と、個に分断され、底の抜けた新しい社会の実態だった。
自らの手で床を壊した者が、今、その穴に落ちている。それが見えないのは、霧が濃すぎるからだ。

三 受動的革命の精巧さ

地盤が失われていく中で、自民党は変質した。55年体制の管理者から、新自由主義の推進者へ。しかしそれだけではない。自民党は同時に、もうひとつの転換を密かに果たしていた。変革の要求を、上から先取りする者への転換だ。
グラムシはこれを「受動的革命」と呼んだ。民衆が「賃金を上げろ」「生活を守れ」と声を上げる。そのままなら、それは既存権力への挑戦になる。しかし支配する側が先回りして「では我々がやろう」と政策に取り込んでしまえば——要求は吸収され、体制は揺るがない。変化したように見えて、権力構造は変わっていない。19世紀イタリアの統一運動において、ピエモンテ王国が民衆の統一要求を「上から」先取りして主導権を握ったように、自民党は「変化しながら変わらない」戦略を洗練させてきた。
自民党の「新ビジョン」はその典型だ。賃上げ、少子化対策、格差是正——本来であれば対抗軸が掲げるべき旗を、与党が先に掲げる。対抗勢力は言葉を奪われ、存在理由を失っていく。維新・国民民主との協調路線もこの文脈で読める。対抗軸を全体として解体するのではなく、個別に取り込んでいく。グラムシはこれをトラスフォルミズモと呼んだ。対抗ヘゲモニーは組織として解体され、個人として吸収される。
しかしここに見落としがある。
受動的革命は、矛盾を解消しない。吸収するだけだ。非正規労働者の苦境、氷河期世代の絶望、地方の空洞化——これらは「新ビジョン」に回収されても、構造としては手つかずのまま残る。
均衡しているように見える。しかしそれは、矛盾を解消した均衡ではない。矛盾を見えなくした均衡だ。見えない矛盾は消えない。それは水面下でエネルギーを蓄え続ける。

四 霧の中の攻防

こうして日本社会は、奇妙な状態に入った。

90年代以降の「解体」は、戦後的ヘゲモニーを弱体化させた。しかし、それによって安定した新秩序が成立したわけではない。むしろ生まれたのは、代表されない人々の巨大な堆積だった。

非正規雇用の拡大、地方の衰退、氷河期世代の固定化、家族形成の困難化——。かつてであれば労組、革新政党、地域共同体が吸収していた不満は、いまや受け皿そのものを失っている。ネット空間で噴出する怒りは、その「代表されなさ」の反射でもある。

だが重要なのは、その怒りがまだ歴史的言語を持っていないことだ。「反左翼」「反リベラル」「反既得権」という否定の言葉は存在する。しかし、ではどのような社会像を構想するのかという問いに対しては、沈黙が続いている。

そして今、第二の変動が重なりつつある。

団塊世代が政治的発言力を失い、舞台から退場するにつれ、戦後的認識基盤——保革対立という地図——を「常識」として共有する人口は不可逆的に縮小していく。攻める者も守る者も、自らは「左右の戦い」をしていると信じている。しかしその戦場を見ている有権者の過半数は、そもそも左右という座標軸を持っていない。自民党から共産党まで既成政党がすべて「現状維持=保守」として見なされる世界とはそういうことだ。これは価値観の変化ではない。認識の地殻変動だ。

攻める者は敵に向かって叫んでいる。守る者は旗を掲げている。しかし観客にはその言葉の意味が、その旗の指す方向が、もはや伝わらない。伝わるのはただ一点——あの人たちは、自分たちには関係のない何かに、ひどく執着している、という印象だけだ。

イデオロギーが社会的言語である時代は終わった。それに気づかない者たちは、かつての言語でかつての信念を語り続け、デモや座り込みでそれを表現し続ける。しかしその言語をはじめから知らない世代には、彼らの姿はただ、何かよくわからないものに強くこだわる人々にしか映らない。

これが霧の中の攻防の実態だ。霧の中にいるのは、戦っている者たちだけではない。彼らが使っている言語そのものが、すでに霧になりつつある。攻める者も守る者も、自らが立っている地殻そのものが変動していることに、気づいていないのだ。

グラムシはインターレグナムを、「旧きものは死にゆき、新しきものはいまだ生まれず」と定義した。今の日本はまさにその只中にある。戦後的地盤は失われた。しかし新しいヘゲモニーはいまだ未完成のまま、輪郭すら見えない。だから人々は、霧の中で戦い続けている。しかも互いに、異なる地図を手に。

五 地図を持つ者へ

新しいヘゲモニーは、単なる政権交代からは生まれない。
必要なのは、バラバラに存在している不満や孤立を、「共通の歴史経験」として接続する言語である。
氷河期世代の停滞、地方の空洞化、ケア労働の疲弊、中間層の没落、若年層の将来不安——。
これらは別々の問題に見える。しかし本来、それらは1990年代以降の新自由主義的再編のなかで生じた、同じ地殻変動の異なる表れでもある。
受動的革命は、それらの矛盾を吸収し、見えにくくした。しかし解消したわけではない。
見えない矛盾は、必ずどこかで回帰する。
ただし、ここで一点を確認しておかなければならない。
若い世代には、すでに固有の対立軸がある。「改革対現状維持」という座標だ。彼らにとって、維新が「革新」に見えるのは勘違いではない。旧来の保革対立を知らない世代が、自分たちなりの地図を使って政治を読んでいる、その結果だ。
問題は、その地図に目的地が描かれていないことだ。
「改革」という言葉は、何かを壊す方向性を示す。しかし、何を建てるかを示さない。維新が若い世代の「変化」への渇望を引き受けているとすれば、それは答えではなく、問いを仮託された状態にすぎない。
だから問題の核心は、言語の不在ではない。既存の言語と、若い世代がすでに手にしている別の言語との、接続の不在だ。
新たな歴史的ブロックとして、下から緩やかに結晶化するのか。
それとも代表回路を持てないまま、ポピュリズムの爆発、排外主義の台頭、あるいは無気力による社会の静かな崩壊として噴出するのか。
歴史は、そのどちらの可能性も示してきた。
もし次の歴史的ブロックが生まれるとすれば、それは「右か左か」という旧来の対立軸からではなく、断片化された経験を接続する地点からしか現れないだろう。それは若い世代の「改革」への渇望と、氷河期世代の「代表されなさ」の痛みとが、初めて同じ言語で語り合える地点でもある。
だが現時点で、その接続はいまだ起きていない。
だから人々は、霧の中で戦い続けている。
それでもなお、地殻変動に名前を与えようとする試みだけが、次の時代への微かな灯火になっている。

六 氷河期世代への問い

氷河期世代は今、どこにいるか。
古い地図を手に、まだその道を歩いてはいないか。保革という座標を信じ、左右という言葉で自分の怒りに名前をつけてはいないか。
戦後体制は終わった。しかしそこから何を学び、何を残すのか。新しい地図を、どこから描き始めるのか。
氷河期世代には、その二つの問いが投げかけられている。
それは外から与えられる問いではない。三十年にわたる停滞と分断を生き抜いてきた者だけが、その問いの重さを知っている。そしてその重さを知っている者だけが、次の地図を描く起点に立てる。
その問いをしっかりと受けとるとき、何かが変わり始める。

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