平安時代に日本は外敵に侵略されそうになったという事実…。
平安時代。
その言葉から、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。
雅な宮廷文化。
十二単をまとった姫君。
月を眺めながら詠まれる和歌。
藤原道長が栄華を極めた、きらびやかな貴族の時代。
しかし――。
その美しい時代の裏側で、日本列島は一度、外敵によって大きく揺さぶられていました。
対馬が襲われ、壱岐が襲われ、北部九州に異国の船団が迫る。
人々は殺され、家は焼かれ、そして多くの人々が海の向こうへ連れ去られた。
事件の名は、刀伊の入寇。
襲ってきたのは、女真系とも言われる大陸北方の集団。
日本史の授業では、ほんの数行で流されることも多いこの事件。
しかし見方を変えれば、これは平安時代の日本が直面した、最大級の安全保障危機でした。
そしてこの危機に立ち向かった男がいます。
その名は、藤原隆家。
藤原道長の時代に生きた、異端の貴族。
都の権力争いから外れ、大宰府にいたこの男が、結果的に日本の防波堤となったのです。
平安貴族は、本当にただの雅な人々だったのか。
日本はこの時、本当に滅びかけていたのか。
そして、なぜこの英雄の名は、あまり語られてこなかったのか。
藤原隆家に撃退された刀伊の軍勢は、
その後に高句麗と戦い敗ぼく…。
当時国交の無かった高句驪により、さらわれていた刀伊の捕虜の日本人たちは救出され厚くもてなされた…。
然し、日本側の高句麗に対する返礼や天皇からの感謝の言葉も一切無く、そのお役所対応に高句麗の使者はブチキレたんだとか😓
日本を救った藤原隆家でさへ、朝廷の指示を待たず勝手に兵を動かしたと責められたんだとか🥲
あんまりやろ🥲
これにより、武士の貴族に対する不信感は増し増しになり、後の平家や源氏、鎌倉時代への流れになって行きました🙂✨
