状態から動作になったlike(いいね)ーー石田光規『孤立不安社会』勁草書房
孤立を社会学的に研究した本書。「婚活」や「地域社会」などを対象に、エピソードの質的分析と、各種の量的データ分析の両方から、孤立とは何かを考える。
筆者の考察の骨格となっているのが、私たちの社会が血縁・地縁・社縁の「共同体的関係」から、資本と市場を土台とした「選択的関係」へと変化した、という認識だ。前者はときに「前近代的」とも批判されてきたが、共同体の存続を第一に皆で協力していくことだ。このとき個人の自由は抑圧されうる。対して後者は賃労働の拡大と資本主義の成熟、都市化によって推進され、自分の持っている資本・資源を用い、人間関係を選択的に構築していく。後者の方が圧倒的に自由だが、選ぶとは裏を返せば選ばれることで、選ばれるには自分が何か、すなわち経済的・象徴的な資本を持っていなければならない。不自由な共同体的関係は「つながり不満」を生むが、自由な選択的関係は「つながり不安」を生む。
この「つながり不安」は承認ビジネスを生み出し、筆者も分析する婚活サービスもその1つだ。地域社会研究では多摩ニュータウンのコミュニティセンターを取り上げているが、「地域のつながりを意図的に作り出すことの難しさ」を結論のひとつにしているのは印象的である。スマホ、SNSをとりあげた補論では、常時接続に加えコミュニケーションが記録され可視化されるため「つながり不安」が亢進する(既読スルー)と指摘している。
この指摘を読んで思ったのは、英語のlikeという動詞である。基本的に状態動詞で「好きである、気に入っている(状態)」であるのだが、facebookがいいねボタンとしてlikeを導入して以来、「いいねをする」という動詞でも使えるようになっている。動作としてのlikeは、いいねボタンを押し続けないと、承認を与え続けられない。コミュニケーションの記録は、数値として可視化されるものの決して安定した状態(承認されているという感覚)をもたらさない(から不思議である)。承認は、やはり数値化するものでないし、するべきではないものなのだ。
ひとたびちぎれてしまったつながりは元のようにはもどらないので、それっぽくする必要があると思うが、どうもテクノロジーが一枚噛むと、うまくいかなくなるのではと思う。人間が必要としている共同体はもっとアナログなものなのかもしれない。さいきんはloneliness influencerなる人たちも登場していて「孤独」の収益化はますます進んでいる(これについてはまた別の機会に書きたい。)
