訃報 高橋裕二さん(元CBSソニー、ポリドール、ポニーキャニオン)78歳で死去
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訃報 高橋裕二さん(元CBSソニー、ポリドール、ポニーキャニオン)78歳で死去
【Yuji Takahashi, Formerly Of CBS Sony among othersm Dies At 78】
訃報。
元CBSソニーを皮切りに、いくつものレコード会社で要職を務めてきた高橋裕二さんが、2025年9月12日死去した。78歳だった。癌と闘病していたという。
訃報
経歴などについては、こちらのミュージックマンの記事がインタヴューとともに詳しい。
インタヴュー記事
プロフィール・写真は上記記事より
PROFILE
高橋 裕二(たかはし・ゆうじ)
1947年 新潟県生まれ
1970年 秋田大学鉱山学部卒業
1970年 CBSソニー(現ソニーミュージック・エンタテインメント)入社 洋楽の制作・宣伝担当。
チェイス、アルバート・ハモンド、スリー・ディグリーズ、バーティー・ヒギンズ、ジェフ・ベック、ビリー・ジョエル等を担当。
1985年 CBSソニー大阪営業所長
1987年 EPICソニー洋楽部長 マイケル・ジャクソン等の宣伝を担当。
1988年 EPICソニー邦楽宣伝部長 佐野元春、渡辺美里、ドリームズ・カム・トゥルー等の宣伝担当。
1993年 ソニーコンピュータ・エンタテインメント取締役業務部長 プレイステーションのサード・パーティー、ナムコ、バンダイ、コナミ、スクウエア、エニックス等の獲得業務。
1996年 ユニバーサル・ミュージック宣伝担当取締役。 GLAY,山崎まさよし等の宣伝担当
1999年 洋楽インディーズ・レーベル、ネットワーク・レコード設立。
2002年 ドリーミュージック取締役就任。 柴田淳等の宣伝担当。
2003年 ポニーキャニオン洋楽部長 ボーイズⅡメン、サラ・コナー等を担当
2005年 ポニーキャニオン取締役
2008年 ポニーキャニオン取締役退任
経歴などについては、こちらのミュージックマンの記事がインタヴューとともに詳しい。
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高橋裕二さんの思い出
ついさきほど、元CBSソニーの喜久野さんのSNSを見ていたら、高橋裕二さんの訃報が書かれていて、大仰天した。まだまだお元気だと思っていたからだ。たしかに、名物ブログ「洋楽天国」があまり更新されてないなあ、とは思っていたが。調べてみると、2025年3月21日付のものが最後のようだ。
裕二さんと初めて会った日付はわからないのだが、1973年か1974年頃だったと思う。僕はソウル音楽評論家の桜井ユタカさんのお手伝いをするようになり、いくつかのレコード会社の方々を紹介された。その中の1人がCBSソニーの高橋裕二さんだった。
裕二さんは、フィラデルフィア・インターナショナル・レコーズ(PIR)の担当ディレクターだったので、オフィースに遊びに行くと、来たばかりのPIRの7インチシングル盤をよく聴かせてくれた。
これはすでに業界内では有名だったが、スリー・ディグリーズがPIRからヒットを出すようになり、それを日本で売り出すために、なんとスリー・ディグリーズに日本語で歌わせようということで、実際、日本語で歌ったものが世に出て、これがしっかりヒットする。
原題が「When Will I See You Again」に「天使のささやき」という邦題をつけ、しかも、日本語版まで作った。さらに、日本の作家、アレンジャーによる日本語楽曲「苦い涙」という曲もヒットさせる。これは、筒美京平作曲、作詞安井かずみ、アレンジは深町純という豪華作家陣によるもの。そうしたアイデアを全部、裕二さんは出して、それを作っていた。特に邦題作りにはそうとうこだわっていて、多くの名邦題を生み出している。
まあ、とにかくアイデアマンで、いろいろなとっぴおしもないことを思い付き、実行していた。よく言う典型的な洋楽の「名物ディレクター」だった。
僕が大学を卒業するころ(1978年3月)、「お前、就職どうするんだ?」みたいなことを聞かれ、「特に考えてませんけど、フリーでなにかやっていこうかと思ってます」というと、「一度は、音楽関係の会社に入って、勉強するのもいいぞ。それからフリーになっても遅くはない。音楽出版社紹介してやる」と言われた。おそらく、裕二さんはフジパシフィックを想定していたのだと思うが、僕は若気の至りで、どうにもサラリーマン生活がイメージできず、というよりも、朝早く起きて電車に乗って会社に行くことができそうになかったので、その後丁重にお断りした。それから10年、20年経ってみると、あのとき、もし音楽出版社に入っていたら、まったく違う人生になっていたかなあと思ったりすることもあった。
1987年エピック・ソニーに移ると、そこで洋楽部長になり、マイケル・ジャクソンなどの担当にもなった。
その後、ユニバーサルを経て、自身のネットワーク・レコーズというインディ・レーベルを始めたとき、そのオフィースとしていた青山の今ではギャガの試写室があるすぐ裏の秀和のマンションの一室に何度か呼ばれたこともあった。さらにその後のポニーキャニオンに移ってからもときどき連絡をいただいた。
ポニーキャニオンでは、ちょうど深町純さんの即興ピアノ作品を配給し始めていて、そこで、初めて深町さんを紹介された。そのとき、ちょうど深町さんは恵比寿のアートカフェで毎月最終土曜日に即興ピアノパーティーを始めたところで、その2回目から毎月通うようになった。
その後、裕二さんは、インターネットで「洋楽天国」というブログを始めるようになり、毎日チェックするようになっていて、ときどき、忘れたころにメールなどでやりとりするようになっていた。
最後のメールのやりとりは、2023年4月だったから、もう2年も前のことになる。
青山のギャガのあたりを車で通るたびに、裕二さんのオフィースだったマンションのことを思い出す。
たくさんのことを教えていただきありがとうございました。天国で「洋楽天国」続けてください。
■洋楽天国のブログ
■関連楽曲
■苦い涙 1975年2月4日放送『夜のヒットスタジオ』
名邦題「裏切り者のテーマ」
OBITUARY>Yuji, Takahashi> 1947 – 9.12.2025, 78 year-old
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