大河ドラマ「豊臣兄弟!」 豊臣秀長の家臣たち 藤堂高虎の他にもいるぞ
1573年ごろから豊臣秀長の家臣が増え始めた
NHKの2026年大河ドラマ「豊臣兄弟!」の主人公・豊臣秀長(1540~1591年)は「天下一の補佐役」とも呼ばれ、兄・豊臣秀吉による天下統一事業を支えた戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した武将です。
この記事を公開した2025年7月21日の時点では、NHKは豊臣秀長の家臣として、佳久創さん扮する藤堂高虎の登場を明らかにしています。
秀長の重臣の一人。巨漢で知られ、初めは近江の大名・浅井長政に仕えるも、主君を変えて転々とする。秀長と出会い、武勇だけでなく学問も重要だと教えられ、算術・鉄砲・築城など多くを学ぶ。やがて頭角を現し、豊臣秀吉の中国攻めや賤ヶ岳の戦いなどにも参戦。前線で戦うだけでなく、兵站(へいたん)を任されるなど、知勇兼備の武将となる。築城名人としても知られる。
もっとも、豊臣秀長は尾張国中村の百姓あがりの武将です。
生まれたときには家臣と呼べる人物はいなかったと考えられますが、1573年ごろに北近江を支配していた浅井氏を殲滅した頃から、のちに活躍する家臣たちが豊臣秀長に仕えるようになったようで、藤堂高虎もその1人であると考えられています。
豊臣秀長の20人の家臣たち
では豊臣秀長にはどんな家臣たちがいたのでしょうか?藤堂高虎を含めた20名の家臣たちを紹介しましょう。
豊臣秀長の家臣団の特徴
豊臣秀長の家臣団を見ていると、「槍働き」つまり「戦場の武勲」でのし上がってきた人物は少ないように見えます。
横浜良慶・羽田正親・小堀新介などは国や郡の行政や、木材などの資源管理などを任せられる、いわば「経営」の才覚に富んだ家臣が数多く仕えていたようです。
その中でも藤堂高虎は、軍事・行政だけでなく、築城や簿記などの名人でもあり、秀長家臣団の中でもトップクラスの人材であることがうかがえます(さらに千丸という行き場を失くした秀長の養子を引き受けたことも)。
こうした内政を委任できるような人材で、秀長の家臣団が構成されたのは、豊臣秀長の豊臣政権での立場に関係しているでしょう。
秀長は、自分の領地だけを監督していれば良いというわけではなく、四国征伐や九州征伐など、兄・秀吉の天下統一事業に「天下の宰相」として常に関与し続けなければならないという立場でした。
秀長は大和・紀伊・和泉といった畿内統治の要である国の支配を任されたといっても、自分が領国内に張り付いているわけにはいかず、要所に郡代や城代を置いて「間接的」に統治せざるを得なかったでしょう。
その結果、軍事よりも行政の腕を買われた人物が秀長の下に集まったきたという実情があったと考えられます。
なお、豊臣秀長の家臣に関する今回の記事は、以下の記事を参考としました。
その中でも藤堂高虎については、豊臣秀長との関係についても明らかにしています。
