元サッカー少年の同級生が育てた百合を届けてくれた話
まだ季節としては早い台風が明日上陸するというニュースが流れていた6月のある日。最近再会した高校の同級生から連絡が入る。
「台風が来ちゃうから、明日、出勤前に百合を届けるね!」
180cmを超えるごつめの元サッカー少年。
私が花の世界で全力で駆け抜けていた時代も知っている彼と再会したとき、「今度、庭で育てているスカシユリを届けるね」と約束してくれていた。
台風の日の朝。外はざわざわと風が唸り、激しい雨。台風で休校になった高校生の双子の息子たちのいつもより遅めの朝ごはんを作っている、そんな日常の真っ只中に彼は現れた。
色とりどりの鮮やかなスカシユリを抱えて、「今日は車で出勤することにしたよ」と。
実は、彼が庭で百合を育てているのは、 大正生まれのお祖母様のお名前が、「小百合(さゆり)さま」だったからなのだという。
無骨な佇まいと、お祖母様へのあまりにも優しく清らかな想いのギャップに私は感動していた。
これは恋とか、そういう色っぽい話では決してない。彼は元カレでも何でもなく恋だった要素がお互い一瞬もない存在だ。10代、20代をただの友人として一緒に過ごしていた男の子が、こんなにも純粋に植物と、そして家族の記憶と向き合う優しさを持った男性になっていたなんて。
知らなかった一面。時を経てスッとまた繋がれること。
「人生って、なんだか素敵だな」
キッチンに、リビングに、家に飾った色とりどりのスカシユリを生け直すたび、あの青春と呼べる日々と、今ここにある穏やかな日常をつなぐ世界線が奇跡のように思えて胸の奥がほっこりした。
そして、この一件は私にひとつの大切なことを思い出させてくれた。
――ああ、私はこういうエピソードに寄り添いたくて、花仕事を始めたのだったな
私の亡き父は仕事の合間に隙あれば庭にいるという人だった。私が幼い頃にサギソウを育てていて、四角い青い器に盆栽のように大切に苔と植わる白いサギソウが私は大好きだったのだ。
みんなそれぞれに、花を見て、大切な人を偲ぶ。それはなんて尊いことなんだろう。
父の日に寄せて。

