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ボトムアップ処理とトップダウン処理 国語の読解と絡めて

「読む」という行為はどう成り立っているか
僕たちは意識の如何を問わず、さまざまな知識や技法を駆使しながら文章を読む。

石黒圭『「読む」技術』(光文社新書)には、僕たちが文章を読む際に「文体」ならぬ「読体」を使い分けて読んでいることを、さまざまな具体例を盛り込みながら書いている。

二つの読み方──ボトムアップ処理とトップダウン処理
大きく分けると文章の読み方にはボトムアップ処理型とトップダウン処理型がある。

ボトムアップ処理は、一文一文を丁寧に読みながら、要素を組み合わせて意味を立ち上げていく読み方だ。

一方のトップダウン処理は、読み手が頭の中に持っている知識を出発点に、一文一文に意味を与えていく読み方である。

じっさいには、人が文章を読む際には、この二つのどちらかだけを使っているというわけではなく、両方を組み合わせた統合的なモデルで読んでいるらしい。

このほかにも、『「読む」技術』の中にはさまざまな読解法が紹介されており、何かを読むということに関心がある人なら、ぜひ一度読んでおいたほうが良いと思う。

国語教育と読み方の訓練
ほかにも「スキーマ」の話など、詳しく書きたいことがたくさんあるが、今回は最初に述べたボトムアップ処理とトップダウン処理について、国語の読解法と絡めて少し述べたい。

一般的な国語の読解カリキュラムの中には、積み上げ式的なものと、全体を一気に把握する方式的なものの、両方が入っている。

たとえば、単語や文節わけ、指示語・接続語の理解、段落、段落相互の関係、というような、ある種「要素還元主義」的なトレーニングがある。これらは、最初に述べた二つのうちの、ボトムアップ処理に近いと思う。

そして、話題、要旨/主題、あるいは文化論などのテーマ論的な単元で扱う内容は、トップダウン処理的な読み方を学ぶものだ。

やはり、実際に文章を読むときは、統合モデルと同じく、どちらの読み方も使っている。

国語を「教えること」の難しさ
国語を教える上で、あるいはカリキュラムを組むうえで悩ましいのは、個別のスキルを教えるよりも前に、すでにそれらのスキルを暗黙の前提として、だれもが読解をする上で使っているし、使わなくてはならない、ということではないだろうか。

日本語で文章を読み書きできているということは、暗にどちらの読み方もできている可能性があるということ。

だから、国語を学習する生徒たちは、自分たちがすでに知らず知らずのうちにやっていることを、精緻化・構造化して捉え直す、という作業をしている、という側面がある。

「国語は勉強しても仕方ない」?
ここに、「国語は勉強しても仕方ない、と言われる理由の一つがある。

つまり、読める人は何もしなくても読めるということ。もっというと、国語の読解の勉強をする以前に、本を読んだり、会話をしたりする中で、自然にトレーニングを積んできているということかもしれない。

逆にいうと、読めない人はこのあたりのトレーニングが足りないわけだから、しっかりと国語の読解の勉強をすることによって、ボトムアップ処理とトップダウン処理を学ぶ必要があるわけだ。

「文章を読む」だけが国語じゃない
今回書いたのは、あくまで二つの読み方に引きつけての話であり、実際には他にも国語で学ぶべき読み方はたくさんある。

また、国語の読解で学んでいるのは、文章の読み方だけではない。設問への接し方、読み方という問題もある。それはまた、別の話である。

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