浮世絵師 歌川国芳── 猫と戯れ筆をとる
生まれは日本橋かつぶし問屋、今は深川の隠居猫、おたまですよ。
今日もむかし話をひとつ、お聞かせしましょうかねぇ。
猫好きの絵師がいるって?
あれはいつだったか、あたしが日本橋からこっち深川に移ってきてからの事…。
記憶が薄れちぃまったが、天保13年(1842年)頃の話だよ。
木場で仲良くなった猫仲間から
「近頃、向島にゃあ、猫をこよなく愛する絵師がいる」って噂話を聞いたんだよ。
それも、ただの絵師じゃない。喧嘩っ早くて、江戸っ子気質のチャキチャキで、気っ風が良くて、腕も確か。おまけに弟子もたくさん抱えてるらしいじゃないか。
気性の荒い町火消たちと親しくして、火事とあらば遠近問わず駆けつけて、消火を手伝う男気のよさ、ときたもんだ。
そんなべらんめぇな猫好き絵師、ひと目見てやろうって思ってね。
思い立ったが吉日、ちょいと足をのばして向島まで行ってみることにしたのさァ
途中道草を食いながら、一刻半。
見えてきたのは賑やかな家。普通の長屋とはちょいと違う、風通しの良さそうな造りでね、入口の向こうには絵師の弟子たちがずらりと並んで筆を走らせてたよ。珍しく女の弟子もいたねェ
それにしても、人間も多いが、まぁ猫の多いこと! 家の中にも外にも、あっちにもこっちにも、猫、猫、猫。お弟子さんの膝の上、畳の上。
へぇ、なるほど。こりゃ猫好きには間違いないようだねぇ。
そう思って眺めていたら、家の奥から巻き舌のでけぇ声が飛んできたんだよ。
「おっ、なんだあ、メぇ、新顔じゃあねぇか?」
ふと見上げると、縮緬のどてらに三尺帯をキュッと締めた、いかにも江戸っ子な男。
これはもう、まぎれもなく噂で聞いた猫好き絵師、その人だと思ったよ。

国芳は自画像を描くことは少なく、描いてもわざと後ろ姿。この自画像は、国芳が好んで愛用していた地獄絵図のどてらを着て、猫を侍らせ、誰かわかるようにしている。
カラッとした性格で、小さなことは気にしない。その日に得た画料はその日のうちに使ってしまうか、弟子にくれてしまう「宵越しの金は持たない」というような生粋の江戸っ子であったと言われています。
その絵師はあたしのことをじっと見て、
カァッと笑うと
「メぇ、なかなかのべっぴんじゃねぇか。ほら、ちィっとこっちに来てみな」
そう言って、ぽんぽんと膝を叩く。
ふん、あたしゃそんな簡単に人間に懐くような猫じゃありませんよ、てなもんだ。
じろりと睨むように見てみせたら、おかしそうに笑って、
「へっへ、そいつぁ気難しいこった。どっから来たのか知らねえが、まぁいい、ここが気ぃ入ったのかい?」
…ぷいっとそっぽを向いて、しっぽを揺らしたのさ。
すると「なるほどねぇ」と頷いて、勝手にこう解釈したんだよ。
「ほお、メぇさん、ここはまぁまぁだって顔してやがるな」
…ちょっと違うけど、まぁいいだろう。
中では、弟子たちがどの顔も真剣そのもので、熱心に絵を描いていたねぇ。

「暁斎幼児周三郎国芳へ入塾/図」
「先生、この──」
「芳年!!その呼び方、もいっぺんでも言ってみろ、ワッチャを先生なんざ呼ぶんじゃねェ、亀戸豊国(三代目歌川豊国(歌川国貞))にいいやがれ!」
「…ヘィ、──親方ぁ、この線はこうでいいんですか?」
「ん? 悪かねぇが、もっと思い切って引けよ。絵ってのは気持ちよく描くもんだろう!」
その男はそう言いながら、懐の中に猫を入れたまんま、するすると筆を走らせる。たった数筆で、そこに生き生きとした姿が現れるのを見て、弟子たちは目を輝かせてたねェ

「すげぇ…」
「へっへ、こんくらい描けるようにならねぇとな!」
と思えば、すぐそばで弟子達が取っ組み合いの喧嘩してらぁ。いつもの事だと止めるやつもいない様子、猫たちも慣れたもんだと眠ってやら。

国芳の弟子たちが取っ組み合いの大騒ぎ。
それにしても、たくさんの絵がずらりと並んでるね。人間みてぇな金魚に猫に、江戸の風景に、、これは団扇絵かい?

怪談を100語り終えたところで登場した怪物の猫に慌てふためく。
右:歌川国芳 「金魚づくし 玉や玉や」
玉や玉や、はシャボン玉売りのかけ声。水の泡かシャボン玉かよくわからないが、亀の子やオタマジャクシも夢中になっている。
江戸における戯画の名手、歌川国芳。
人物や事象をおもしろおかしく滑稽に比喩して、誇張した絵を「戯画」と呼びます。国芳は幕府の禁令に対抗し「戯画」の手法を借りた風刺画も多く描いた。国芳の戯画は深く知るほどに興味をかきたてられる世界です。

右: 歌川国芳「流行猫の曲鞠」
国芳の「動物見立て」猫も狸も狐も鳥も魚も、国芳の手にかかれば、たちまち道化となり、格好のモチーフとなりました。

左下:歌川国芳 「東都御厩川岸之図」
右上: 歌川国芳 「東都名所 かすみが関」
右下:歌川国芳 「東都名所 三ツ股の図」
国芳は自由気ままに江戸の町を歩きまっていた。面白く絶妙なアングルの風景画にもそんな国芳ならではの魅力が多く見られる。

左下:歌川国芳 「猫のすずみ」
右上: 歌川国芳 「銘酒揃 一文字」
右下:歌川国芳 「銘酒揃 しら玉」
団扇は、江戸っ子にとって夏の暑さをしのぐための必需品でしたが、同時にデザインを楽しむお洒落
のアイテムでもありました。国芳も団扇絵を積極的に手がけていました。
家の中には、猫の仏壇まであるね、って、よく見たら死んだ仲間たちの名前が書かれた位牌まできちんと飾られてら。
人にも猫にも面倒見がいい、一門を背負った、きさくな”親分肌”ってところだね。
国芳一門のにぎやかな日常
「親方は、こえぇとこもあるけど、やっぱりいっちゃん面倒見がいいんだよなぁ」
「自分みたいな貧乏な家の出でも、腕さえあれば芽ェ摘まず、見てくれるしな」
「それに、あの絵だろ? あの化け物退治の…」
「そうそう! なんだっけ、宮本武蔵の…」
「『宮本武蔵の鯨退治』! すげぇよなぁ、あんなのどうしたって考えつくのか、頭の中はどうなってんだ。」
「それに水滸伝の九紋龍史進、あの絵ェ見たときゃたまげたのなんのって。」



「武者絵は国芳!歌川国芳の右に出るもんはいねぇってな!!」
離れたところでは、弟子たちが自分とこのお師匠さんの絵の話で盛り上がってたよ。
通いの門下生に、弟子に、猫にと、まわりから随分慕われてんだね。

国芳とその一門が山王祭に繰り出す様子を描いたもの。国芳の人柄を慕って多くの弟子が集まり、おそらく浮世絵師のなかで、最も多くの門人を抱えていた。国芳の人間性に惹かれ集った「同志」であり、「家族」のような密接な関係で結ばれていた。
若い頃に不遇の時代を体験した国芳は弟子たちに同じような思いはさせたくなかったようで、門人たちのデビューに力を貸し、同門の弟子同士も、お互いに仕事を分け合い、助け合ったとされる。国芳一家は頼もしい国芳親分を中心に、楽しいことも苦しいことも共有していたに違いない。
左端には派手な着物姿が国芳。その柄は猫好きな国芳らしく「虎」。やはり後向きで顔は出していない。
…そんでェ、あの絵師は歌川国芳っていうのかい。
えっ、そんなことはじめから知ってたって?
そうかい、そうかい。
どうやらあの猫好きの国芳という男は、噂通りずいぶんと腕の立つ、有名絵師なんだねぇ。
まぁ、あたしはそんな光景を縁側でしっぽをぱたぱたと揺らしながら眺めてたのさァ
日が暮れかけたころ、帰ろうと伸びをすると国芳がまた近づいてきたんだよ。
「おう、けぇるのか!気ィ向いたらまたワッチィところ来な!そんときャ、マタタビでも呑ましてやらぁッ」
威勢がよく口も手もよく動く連中ばかりのこの家は、不思議と心地のいい場所だったのさァ。『そうさせてもらうよ』と国芳の目にそう伝えて、向島をあとにしたのさ。
それからしばらくしてのこと。
若い娘が道っ端で熱心に合巻を読んでいてね。
ちらりと覗いてみると、なんとまぁ!
あたしに似た猫が描かれているじゃないか!!
それに、かつぶし問屋の猫が主人公ときたもんだ。
「……かつぶし問屋の猫? これって、もしかしてあたしのことかい?」
いや、正確に言えば主人公の名前は「おこま」になっていたけれどさ。
表紙を見ると、『朧月猫草子』國芳画、京山作とある…。
国芳といえぁ、あん時の絵師だよ!!

〝おたま〟と〝おこま〟
もしかしたら、少しでも覚えてくれていたかと勝手に嬉しくなっちまってねぇ。喉はゴロゴロ鳴るわ、しっぽまで大きく揺らいじまったのさァ
朧月猫草子を見た、少しあと。
向島の長命寺行った帰りに、また国芳の家を訪ねてみたら、もういなかったのさ。
近くの仲間に聞いたら、国芳は向島から田所町(現:日本橋堀留町)まで、越しちまったようでさ。
気軽に遊びに行くことはできなくなっちまったのさァ
まぁでも、あんだけ慕われてたんだ。
あっちでも、たくさんの弟子達と猫に囲まれてよろしくやってるだろうねぇ。

多くの弟子に愛された国芳。国芳はこの「浮世よしづ久志」を通して、どんな人にも必ず良いところがある事を伝えてくれます。
「人の身の良し悪し話よしにしてなんでもかでもずっとよしよし」
人の良し悪しについてあれこれ言うのはやめて、受け入れるのがよい、何でもかんでも、ずっと、よしよし。
たまに江戸の町を歩きながら、地本問屋の軒先を覗いてみるんだよ。
国芳の描いた絵のなかに、時々あたしに瓜二つの猫がいるのさ。

それじゃあ、今日はこのへんで失礼するねぇ。
また次回も、江戸のよもやま話を楽しみにしておくれよ。
歌川国芳 ミニプロフィール
1798年(寛政9年)11月15日〜
1861年(文久元年)3月5日
江戸・日本橋(現在の東京都中央区日本橋本石町あたり)の紺屋の家に生まれる。
独特の型破りな発想力と大胆な筆づかいで、浮世絵の世界に新しい風を吹き込んだ絵師。
