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観客強制動員化する授業

ここ数年,同じ教育分野の人が使う「登壇」という言葉が気になっていた。壇の上に登ると書くこの言葉は,高いところから複数の聴衆に向かって,何かを伝えるという行為だ。

デジタル大辞泉による定義はこうなっている。

とう‐だん【登壇】
[名](スル)
壇にあがること。特に、演説などのために壇にあがること。「講師が登壇する」⇔降壇
受戒のために戒壇にあがること。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

なぜ気になっていたかというと,この言葉が放つエゴイスティックなニュアンスが鼻をついたんだと思う。自分の教員としての授業という行為にも,類似性があるように思えたから,なおさら鼻をついたんだと思う。

一般的な全日制の小中高等学校では,生徒たちは通常,授業者を選ぶことはできない。これは,教育社会学の分野でいう,教師の『立場性』や『特権性』という概念でも指摘されていることと重なる。自分が有している高い立場や特権に無自覚のまま,相手が置かれた状況に対する配慮のかけらも感じられない発信は,とてもじゃないけど受け入れてもらえないと思う。

前に立って生徒に向かって話をすることは,相手の大切な人生の時間をいただいているということ。生徒たちはたいてい,教師の話を聞く時より,ペアやグループワークの時の方が生き生き考え言葉を発している。講義とアクティビティのバランスを考えながら授業をしているが,結局のところ,教師という職業は,エゴの塊のようなものに陥りやすい気がする。

鼻をつかない登壇者とは,一体どういう発信の仕方をしているのだろう。


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