もーちのVR日記その14 佯狂者を知っていますか?
VRChatをプレイしている上ではあまり聞き馴染みがない言葉「佯狂者」について、突然言われてもあまりピンとこないかもしれないものの、今回はその本質を探ってゆきたい。
定義

俗世に心を煩わされずに専ら神に仕え、祈祷と斎(ものいみ)のうちに功を積んだ正教会の聖人は勤行者と呼ばれるが、そうした人々のうち、世を離れず、昼は市井にあってボロをまとって徘徊し、寒さ・暑さ・飢え・辱めを忍び、夜は聖堂の軒下などに野宿して祈る聖人がこの称号で呼ばれる。「佯」とは見せかけの意であり馬鹿を装いハリストス(キリスト)の真理を明らかにする者であるとされる
「佯狂」の辞書的意味は「いつわって狂気をよそおうこと。 また、その人。」([精選版 日本国語大辞典])であり、創作では映画「カッコーの巣の上で」の主人公マクマーフィーなどがその例と言えるかもしれない。
しかしキリスト教的な文脈における佯狂者とは、いつわって狂人のふりをしているような者ではなく、これは偉大なる聖ワシリイの伝記を読むにつけ思うのだが――本当に狂っている。つまり佯狂者とは聖者の中でもある種の知的・精神障害者につけられた尊称だったのである。
16歳のときにワシリイは家を出て、「佯狂者」となる。どんな天気のときでも裸で、モスクワの街を歩きながら、絶え間なく祈っていた。そして一見愚行と思われることをやっていたが、その背後には深い意味があった。
マグズーブ
…というイスラームの概念について見てゆく。


画像は「サイイッド・クトゥブ ペンでアメリカと闘った男」による。20世紀初頭のエジプトの村で慣習的に「マグズーブ」とよばれる人々がいたという記述である。
マグズーブは神から特別の恩寵をうけたため精神が狂ったと人々に信じられていた。彼に打たれると打たれた場所が治るとか、彼と一晩添い寝すると風邪が治るとかいった迷信があって、主人公のクトゥブ少年もシェイク・ナキーブに預けられそうになり恐怖に戦慄するが、この迷信を信じていなかった母親が反対したために事なきを得たというエピソードだ。
マグズーブについてもーちは「村に一人は居る精神障害者がこのような役割をもっていたのだな」と解釈したが、厳密には中世的な村落共同体にいる知的・精神障害者が役割を持って包摂されていたという話はいわゆる「村のアホ」、狂った人物が聖者として信仰されることは「聖なる狂気」というらしい。
ちなみに本の中のシェイク・ナキーブだが、魔法あるいは奇跡を使うと村人からかたく信じられていた。あるとき村にやってきた調査官がシェイク・ナキーブを見下した態度を取ったところ、怪我をして手を切り落とす羽目になり、不幸にもその傷口が化膿して死んでしまう出来事があったと述べられており、ここまで来ると聖ワシリイ顔負けの不思議な力をもっているといえる。
現代的に振り返ると知的・精神障害者が聖人視される文化というのは普遍的だったということができる。それでは近代化したあとの国で、これと似たような事例は無かったのだろうか。
アメリカ王
あらゆる佯狂者は聖権力だが、アメリカに住むある狂人は世俗の権力に手を伸ばし、ほしいままにした。ただしそれは19世紀のアメリカ皇帝という存在しない地位だったが。
あきらかに精神に問題のあるジョシュア・ノートンという男が突然自身を「合衆国の皇帝ノートン1世」と名乗りだしたのだ。人々はおもしろがって彼を尊敬した。
大衆は公然と「皇帝ノートン」を敬愛していた。ほとんど金を持たなかったにもかかわらず、彼はしばしば最上級のレストランで食事をとり、そこのオーナーは「合衆国皇帝ノートン1世陛下御用達」と刻んだブロンズのプレートをレストランの玄関に飾った。ノートンはこのような見栄を張ることを許しており、このプレートは実際にレストランの売り上げに寄与したという人もいる。
セントラルパシフィック鉄道は食堂車で食事をした「皇帝」に支払いを請求したために不興を買い、「勅令」によって営業停止命令を受けた。多くの市民が「皇帝」を支持し、反響に驚いた鉄道会社は彼に金色の終身無料パスを奉呈して謝罪した。
ノートン1世の地位には実際に公式な承認の細かい記録がある。1870年の国勢調査の統計表において彼は、「ジョシュア・ノートン、住所:コマーシャル・ストリート624番地、職業:皇帝」と記されている。彼はまた小額の負債の支払いのために独自の紙幣を発行しており、それは地域経済において完全に承認されていた。この紙幣は50セントから5ドルまでの額面で発行されていたが、今日のオークションではその希少価値のため1000ドルを超える値が付いている。
サンフランシスコ市はその「権力者」に名誉を与え敬意を表した。その軍服が古びてくると市当局は盛大な儀式とともに新品を買うのに足りる分を支出した。その見返りに「皇帝」は感状を送り、終身貴族特許状を発行した。
これはジョシュア・ノートン氏がたんなる「都会のアホ」を越えていわば世俗権力版のDivine madness状態に到達したと言えるのではないだろうか。
興味深いのは、たとえ宗教に依らなくても、迷信によらなくてもこのような権力化は可能であることが示唆されている点だ。
ちなみにこのエピソードは「BPS バトルプログラマーシラセ」の敵役であるアメリカ王の命名の由来になったと思われる。
日本では
それでは日本にはこのような事例はなかったのだろうか。日本では一休宗純が佯狂者のような人物ではないかとは評されているが、精神障害者はどれだけ権力をあつめようと資産というものを積み上げるということができないと感じているところ、一休宗純は妻や実子をはじめいろいろと積み上げていたのであまりピンとこないのが正直なところである。
日本における「聖なる狂気」の具体例としてアメリカ皇帝ジョシュア・ノートン氏のような人物として人々に愛された現代日本の人物「性の喜びおじさん」を推したい。
性の喜びを知りやがって!お前許さんぞ!
性の喜びを知りやがって自分たちばっかし、俺にもさせろよ!グギィィィ!…セックス…
コノヤロー…許さんぞ…自分ばかりしやがってよ…コノヤロー…
許さんぞこういうことは!
人の自由を剥奪しやがって。 性愛の自由を剥奪しやがって。
許 さ ん ぞ !
「性の喜びおじさん」はこのように、赤裸々にわれわれの思いを代弁することでインターネットを中心とした絶大な人気を集めた。一斉を風靡した、時の人とも言われるような大人物であり、大人気キャラクターだ。まだ知らないという方は是非動画を見てみて欲しい。
さて、ではその「性の喜びおじさん」はどうなったのか。殺された。
東京・世田谷区の東急田園都市線の車内で3月11日、男性が暴れ、乗客に取り押さえられた直後に死亡した。
ネットの有名人が乗客とのトラブルによって取り押さえられ死亡したという衝撃的なニュースだった(最初は確定報ではなかったが、のちに確定)
アメリカ皇帝や聖人にも肩を並べんとする人物を殺してしまう日本、その行く末はどうなってゆくのか。
