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仕事のできない人が転職しても、一生仕事ができない。でも諦めるな①

仕事のできない人が環境を変えて転職をしても、同じことの繰り返しです。

仕事のできない人は、どこに行っても、何をやっても一生仕事ができないというのが真実です。

仕事のできない人は、どうすればマシになるのでしょうか?

諦めないことだけが唯一の方法です

親の家業を継いだが不況で転職

繊維業界の卸売りだった実家を継いだが、海外からの安い工業製品に押されて同業他社が、あちこちで倒産していく。

実家の家業は両親に任せて、26歳で初めての転職の道選んだ。

私は人見知りがあり、接客や人員の管理には向いていないことがわかっている。大学時代は理工学部でモノ作りが好きだったので、製造業の道を選ぶことにした。

町工場での管理職

ハローワークで選んだ町工場の仕事は、生産工程の管理職の仕事だった。従業員の大部分はパートの主婦達で占められており、シフト管理、生産管理を担当していた。

モノを作る仕事は基本的にしない。経験も教育も無い状態で、いきなり指示を出して責任を取る立場だ。

町工場では、誰も仕事を教えてはくれない。

工程や取り扱いの内容は理解できても、実際にモノを作る技術を知らないので、詳しい指示が出せない。そこを作業員に見透かされて指示を無視されるようになった。

パートリーダーと何回も衝突し、その度に「だって、あなた何も知らないじゃない」と言われる始末。

悔しかったので、上司に頼んで、従業員と同じ仕事をできるまでやらせてほしいと訴えた。

努力の甲斐もあって、従業員と同じレベル以上に作業ができる様になったところで、工場長から「うちは作業員の社員はいらない」と”できない奴”として解雇された。

派遣で海外出張

管理職として解雇されたが、モノ作りは好きになっていたので、技術の高い作業員(職人)として生計を立てられる人になりたいと思った。

そこで派遣会社の海外の設備・プラントの生産技術スタッフの募集に、武者修行との意気込みで海外に渡った。

現実は果てしなく厳しい。半導体装置をセッティングして調整する生産技術系の仕事だったが、配管図の見方がわからない。

半年目で図面の見方が分かるようにはなったが、英語が喋れないので現地の外国人メンバーと意思疎通が図れない。結局は重労働の配管運びや、装置を動かして設置するだけの仕事だけをやらされて、あちこちの現場に回されることになった。

2年間は海外で働いたが、できない奴で解雇された。配管図の図面の見方とフォークリフト運転の技術しか得られなかった。

大手企業の工場派遣で挫折を味わう

日本に帰って、派遣社員として、大手企業の機械のオペレーション業務をすることになった。

専門的な機械で、これさえできればずっと役立つ技術だ。やっと念願が叶ったと喜んでいたところ、研修1週間後に不器用な私では扱えないと判断されて現場を外された。

管理職ができない人間が、職人の技術職を目指したのに・・どちらもできない。

もう詰んだ

ゴミ拾いをする日々

契約期間は6ヵ月であった為に、派遣の営業から「残りの期間はゴミ拾いをするか、自主退職するしかない」と告げられる。

何かをする当てもなく貯金も無いので、しばらくは続けることにした。

同じ派遣のメンバーからは続けることを疎まれた。「俺たちの稼ぎがお前の無駄な給料になる」「お前のせいで枠が無くなって、他の優秀な奴が入ってこれない」と罵られる。目の前でゴミを捨てられて「ほら、さっさと拾え」と嫌がらせをされた。

私は役に立てなかった負い目もあり、嫌がらせには無視しなければならなかった。

私は現場には行きたくなかったので、広い工場を回ってゴミを集めて廃棄する仕事を任せてもらった。

一緒にゴミ拾いをする人は、就業先の大手企業の高齢者枠で再雇用された人達である。

しばらくは何の感情も持たず、毎日服をドロドロにしながら、ゴミ拾いを懸命にしていたとき、ある高齢者の作業員から「仕事は楽しくやれよ」と叱られた。

「やりたくてやってるわけではありません」

「あのなー ゴミを拾うことは幸運を拾うってことだぞ」

え?何それ、良いこと言った気でいる訳?・・・

くだらないと思ったが、少し面白かったので微笑んだ。

楽しくしないと時間が経つのが遅いのは確かだった。

それから、工場内で効率よくゴミを集積する方法をみんなで考えた。一杯になったときに集積しないと無駄に何回も周ることになる。

各設備でゴミを出す時間は決まっている、更に生産状況に合わせて多いか少ないかも考慮する。試行錯誤して、時間帯によってチームを分けて効果的に集積する仕組みを考えた。

みんなも仕事が楽になったと喜んでくれた。

転機がくる

それから2カ月が過ぎた時に、就業先の大手企業の品質保証のSさんに呼ばれた。

君は理工学部卒だったよね。僕の仕事手伝ってくれない?」

「え?ゴミ拾いはどうするんでしょうか。」

「あれ、もういいよ。データを測定して入力する簡単な仕事だよ。エクセルで表を作って集計してよ。できない?」

「はい・・・やります」

PCなんて数年ぶりだった。久しぶりに参考書を買って勉強し、マクロを使い自動計算する仕組みを作った。

「へ~よくできてるね。しゃぁ。その調子で頼むよ」

それから1か月間、データを入力するだけではなく、データをグラフに直したり、規格の数値から外れそうな傾向があるときは報告する等、ひと手間掛けて工夫をするようにした。

ある日、現場でデータの入力作業をしていたところ、同じ派遣社員同士の飲み会にしつこく誘われた。最初は行きたくないと断ったが、営業も業務連絡を兼ねて参加するのでしぶしぶ参加した。

飲み会では案の定、やり玉に挙げられた。営業が帰ってから、私への攻撃は更にエスカレートする。

派遣のエリート社員?から「オマエみたいに仕事のできない奴は初めて見たよ」「無遅刻無欠勤だけが取り柄って?ある意味メンタル強すぎだわ」”仕事ができないとこうなる”体でイジられる。

最後に「俺たちの給料で飲む酒は美味いだろう。もっと美味くしてやるよ」とビールの中に靴下を入れて飲めと言われた。周りもはやし立てる。

悔しくて店から飛び出した。後ろで笑い声が聞こえた。

もう耐えられない 走りながら涙がポロポロ流れた。

次の日に営業に連絡して「今までお世話になりました」と自主退職の話を切り出した。この一連の流れはおかしい。私を辞めさせる気で仕組んでいたのだろう。

転職を決意したが・・?

それから数日間。私は仕事をする気力はなくなっていた。勝手に消えていなくなろうかと考えたが、それは相手の会社に失礼な気がしたので、辞める日程が決まるまで待つことにした。

週末に営業がやってきた。

営業に会って「自主退職の日程を教えて下さい」と告げると、営業は慌てて話を遮った。「ちょっと待ってくれ。この会社で君に話がある人がいるから、会って話しを聞いてくれ」

話がある?誰だろう?

営業は同席しないとのこと。応接室に入るとNさんが待っていた。

Nさんは、私よりも一つ年上で、大手企業の若手社員で気鋭の人だった。実力や才能はピカイチで部署の若手のホープだが、気性が荒く気難しい人なので他の派遣社員から恐れられていた。私は挨拶程度しかしたことはない。

応接室に入って開口一番に

「よぉ~噂の派遣の人。まぁ座れよ」

いつも噂されている様だが、誰が何の噂をしているのか知りたくもない

「オマエ、面白い奴だよな」

なんて答えればいいの、もう辛い・・

「明日から、俺の下で働いてもらう」

思いもよらないことを言われて驚いた。

「実は・・退職しようと思っています」

「おーい、勝手に話を進めるなよ。就業先の上司に失礼だろ。俺の受け持ってる仕事の一部を任せる。他の派遣会社の社員をまとめる管理職として働いてくれ」

私は管理職で自分の能力の無さを身に染みて経験していた。もう管理職はやりたくないし、できない。

私の今までの職歴や、ここでの仕事の成果を知っているのに、何でこの人はこんなこと言うんだろう?

憐れんでるのか?からかわれているのか分からない?

「私に管理職などできません。意味がわかりません」

「だ・か・ら~さっきから言ってるだろ」

「期間契約中は俺が決めるって。お前は、どこへ行ったって同じなの!」

それは、わかってるって、ほっておいてほしい。

心がもう、もう耐えれない

Nさんはトーンを少し落として、ささやくように言った。

「他の連中から何をされてたのかを知ってる」

私は驚いた。「どうして・・」

「お前は別の道を進め。そして俺を助けてみせろ」

#転職体験記


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