見出し画像

バックパッカーの果て。海外の安宿から抜け出せなくなった「沈没組」のヤバい歴史と今を語ろう!

こんにちは!「えひめITラボ」代表のせいけです。

前回、時代ごとの社会不適合者の居場所についてお話ししたんですが、その中でも「もっと詳しく知りたい!」と一部のコアな人たちから熱い視線を浴びるのが、1980年代から2000年代にかけて海外の安宿に大量発生した「沈没組」です。

日本の息苦しい社会から逃げ出し、物価の安いアジアなどの奥地で文字通り「沈没」してしまった若者たち。彼らは一体どんな人たちで、どんなヤバい場所を聖地とし、今はどこで何をしているのか?

今回は、ちょっとアングラで泥臭い、でもどこか人間くさい「沈没組」のリアルな歴史と現在、そして未来について、わかりやすく解説していきます!

(今日の一言: 耳痛くて耳鼻科いったら外耳炎でした)

そもそも「沈没組」ってどういう人たち?なぜ沈没したの?

理由:日本の「ちゃんとしなきゃ」から逃げたかった

沈没組になる人たちの多くは、犯罪者でも大金持ちでもありません。ごく普通の、でも日本の「新卒で会社に入って、満員電車に乗って、定年まで働く」というレールに乗るのがどうしても嫌だった若者たちです。

当時は日本とアジアの国々の物価にものすごい差がありました。日本で数ヶ月アルバイトして何十万円か貯めれば、アジアの物価の安い国なら1年くらい全く働かずに遊んで暮らせたんですね。

「ちょっと自分探しの旅に出てくるわ」と言って日本を飛び出したものの、現地のゆるーい空気と、何もしなくていい自由、そして安いビールと屋台飯の魅力に取り憑かれてしまい、「もう日本に帰りたくない…」とゲストハウス(安宿)のベッドから動けなくなってしまった人たち。それが沈没組の正体です。

年代別・沈没組のディープな「聖地」巡礼!

彼らが沈没した場所には、時代ごとに「聖地」と呼ばれるヤバいスポットがありました。年代順に見ていきましょう。

1970年代:伝説のヒッピートレイル「カブール」と「ゴア」

沈没組の元祖とも言えるのが、1970年代のヒッピーたちです。彼らはヨーロッパから陸路でアジアを目指す「ヒッピートレイル」というルートを旅しました。

当時の最大の聖地が、なんとアフガニスタンの首都カブールです。今のニュースを見ていると信じられないかもしれませんが、当時はとても平和で、世界中からヒッピーが集まる超自由な街でした。「チキンストリート」という通りには安宿が並び、正直に言うと、当時の彼らの目的の多くは安価で手に入るハシシなどのドラッグでした。社会のルールから完全に外れた、かなりアングラな空間です。

そしてもう一つの聖地がインドのゴア。美しいビーチにヒッピーたちが住み着き、夜な夜なトランスミュージックをガンガンに流して踊り狂う「レイブパーティー」の発祥の地となりました。音楽と自然に沈没していくスタイルです。

1980年代〜90年代:バックパッカーのメッカ「バンコク」とカオスの迷宮「香港」

80年代から90年代にかけて、普通の大学生やフリーターが気軽に海外を旅する「バックパッカーブーム」が起きます。ここで登場するのが、沈没組の代名詞とも言える2つの聖地です。

まずはタイのバンコク、「カオサン通り」です。
ここは世界中のバックパッカーが集まるベースキャンプ。安宿、屋台、安いマッサージ店がひしめき合い、道端では国際学生証の偽造屋が平気で店を出しているような無法地帯(当時)でした。居心地が良すぎて、インドやネパールに行くはずだったのに、カオサンから一歩も出ずに毎日ダラダラとビールを飲んで半年過ごした、みたいな沈没者が大量発生しました。

そして香港の「重慶大厦(チョンキンマンション)」。
香港の中心地にある巨大な雑居ビルなんですが、一歩足を踏み入れると、アフリカ系や中東系の商人、怪しい両替商、偽物時計の売り子が入り乱れる人種のるつぼ。窓のない狭くて暗い安宿のベッドで、怪しいビジネスの話をBGMにしながら沈没する日本人バックパッカーがウヨウヨいました。このカオスな熱気に当てられて動けなくなるんです。

2000年代:さらに奥地へ。ちょっと危険な「プノンペン」

2000年代に入ると、タイや香港が発展して物価が上がり始めます。すると沈没組は「もっと物価が安くて、もっとゆるい場所」を求めて移動しました。

その代表がカンボジアの首都プノンペン、特に「キャピトル・ゲストハウス」の周辺です。
当時のカンボジアは内戦が終わってまだ日が浅く、街のあちこちにちょっと危険な香りが残っていました。数ドル払えば観光客でも実弾射撃場でロケットランチャーが撃てるような、今の日本では考えられないアングラな空気が漂っていました。ビザの延長もお金を払えば簡単にできたので、社会から完全にドロップアウトしたようなハードコアな沈没組が、薄暗いカフェで一日中ぼーっとしている光景がよく見られました。

沈没先で彼らは何をしていたのか?

ズバリ「何もしない」です。

朝、遅い時間に起きて、近所の屋台で100円の麺をすする。宿の共有スペース(談話室)のハンモックに揺られながら、古本屋で買った日本語の小説を読む。他の沈没組が起きてきたら、「あそこの国はビザが取りやすい」「あの街の屋台は腹を壊す」といった旅の武勇伝をひたすら語り合う。そして夜は安い現地のお酒を飲んで寝る。

これを毎日、何ヶ月も繰り返すんです。生産性はゼロ。でも、日本の猛烈なストレス社会から逃げてきた彼らにとって、この「何もしない」という圧倒的なモラトリアム(猶予期間)こそが、何よりも贅沢な時間でした。

かつての沈没組は今、どこで何をしているのか?

さて、そんな彼らもお金が尽きればいつかは動かなければなりません。かつての沈没組は今、大きく3つのパターンに分かれています。

1つ目は、日本に帰国して普通の社会人に戻った人たち。
意外かもしれませんが、海外のわけのわからない環境でサバイバルしてきた彼らは、メンタルがめちゃくちゃ強いです。いざ日本の会社に入ると、「あのインドのボッタクリ親父に比べたら、日本の上司のパワハラなんて可愛いもんだ」と余裕で受け流し、あっという間に出世した人も実は結構います。

2つ目は、現地で起業した人たち。
日本に帰りたくない一心で、バンコクやカンボジアで日本人向けのゲストハウスを開業したり、旅行代理店や日本食レストランを作ったりした人たちです。好きな街に根を張り、現地の日本人コミュニティの顔役になっている人もいます。

そして3つ目が、帰国するタイミングを完全に見失い、今でもアジアの片隅で細々と暮らしている「高齢沈没組」です。現地の物価も上がり、生活はかなり厳しいはずですが、それでも日本の社会には戻らないという意地のようなものを持って生きている人たちも存在します。

これからの沈没組はどうなる?現代の新たな聖地とは

今の時代、日本とアジアの物価差はほとんどなくなりました。むしろ日本の方が安いモノもあるくらいです。だから、「貯金を切り崩して物価の安い国でひたすらダラダラする」という昔ながらの沈没は、事実上ほぼ不可能です。

でも、「日本の社会から離れて海外に居場所を見つける」というマインドは消えていません。
彼らは今、ITの力を使って「デジタルノマド」へと進化しました。

今はパソコンとWi-Fiさえあれば、世界中どこにいても仕事ができます。
現在の新たな聖地は、インドネシアのバリ島や、タイのチェンマイ、あるいは東ヨーロッパのジョージア(旧グルジア)などです。ジョージアはビザの条件がものすごく緩く、生活費も比較的安いため、日本の窮屈な社会が合わないフリーランスのクリエイターやエンジニアがたくさん移住しています。

昔の沈没組が「何もしない」ために安宿にいたのに対し、現代の沈没組はカフェでパソコンを叩いて「自分の力で稼ぎながら」海外に滞在しています。IT技術が、社会不適合な人たちに「サバイバルするための武器」を与えたんです。

まとめ:逃げ場はどこにでも作れる!

カブールのハシシから始まり、バンコクの偽造学生証、プノンペンのアングラな空気まで、沈没組の歴史は決して褒められたものばかりではありません。

でも、彼らが命がけ(?)で証明してくれたのは、「日本の普通のレールから外れても、世界にはいくらでも生きていける場所がある」ということです。

今はもう、危険な国に行かなくても、重慶大厦の薄暗い部屋にこもらなくても大丈夫です。ITというスキルさえ身につければ、世界中どこにいても、自分の好きなペースで、自分だけの居場所(現代の沈没先)を作ることができます。

今の社会がしんどいなら、無理に合わせる必要はありません。スキルを磨いて、自分らしく「ポジティブに沈没」できる場所を探してみませんか?

というわけで以上、せいけでした!また次回!

追記: 沈没組やってたよ〜って方いらっしゃいましたらコメントなどで当時の話教えてください!めっちゃ興味あります!