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「違い」を「不安」にすると”詰む” ー指令:脳内自動変換を解除せよ。

小学生の頃、テレビの中の人は特別なんだと思っていました。
同様に、お医者さんとか、世界を股にかけてる人とか、ガンジス川に浸かる人とか、公園で野宿する人とか…も、”だれかがやる” と思っていました。

でも、ある時気がついたんです。

その”だれか” は、

”私” でもいいんだってことに。

中2(病)真っ只中の次男に、

「お母さんにターニングポイントってあった?」

って唐突な質問を受けました。

あれは、私の人生で一番のターニングポイント。

いま、読んでいる朝井リョウさんのエッセイ。
最寄りの図書室で3冊借り、1冊目の『時をかけるゆとり』をもうすぐで読み終わるぞというところで目に止まった文章、朝井さんが小学生の時の自分を振り返り、自身の体験をこんな風に書いていました。

そのころよく連れて行ってもらっていた隣の市の図書館は、まるで迷路のようだった。(略)本は、幼いころの私にとって、宇宙みたいなものだった。(略)そして、こんな宇宙を生み出すことのできる「小説家」たちは、(略)自分と同じように生きてはいない。「自分と違う生き物」なのだと、ずっと、そう信じて疑わなかった。

朝井リョウ 著『時をかけるゆとり』       
「直木賞を受賞し スかしたエッセイを書く」


なんじゃ、このシンクロ!

そうか。小学生って、みんなこんな感じだったのかな。そして、発動しがちな「違い」→「不安」自動変換システムの存在が怖い。大谷翔平さんは例外として…。

いや、気づくのが早いか遅いか、一生気づかないか(笑)の違いなのかもしれない。

「どんなに素晴らしい功績を残していても、所詮みんな同じ人間なのだ」ということに。

私は、日々、”すれ違う見知らぬ人々を勝手に「〇〇仲間」と脳内変換して挨拶する”というミッションに高じている。

以前、その事をnoteの記事にして投稿し、とある企画に応募したけど落選だったな…。

『みんな地球に生きるひと』という題名の本を書いたのはアグネス・チャンさんだったか。

所詮 人、所詮 生き物、所詮 地球生命体、所詮 銀河系に存在する仲間、所詮 この世の微粒子の集合体、所詮 …脳みそ限界乙。

「みんなちがって、みんないい。」に抵抗がある人もいる。

「みんなちがって」は事実。「いい」は価値観。
「価値観」は「違ってもいい」。

「いい」「悪い」ではなく、ただ当たり前に存在している。そう考えると、世界の見え方はちょっとだけ変わるかもしれない。


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R 一生、手元に置いておきたくなるような詩集を作りたい。 こころが折れそうなときに力をくれる絵本を作りたい。

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