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自分という意味を編む -遠回りした私へのご褒美-

最近編み物が楽しい。
頭の中を無にできる。
数を数えひたすら同じことを法則に基づいて繰り返す。
最高の脳内リラクゼーションだと感じる。

便利な世の中だ。
編み物でさえレシピはすぐ見つかる。

欲しいものは、すぐ届く。
調べたいことは、すぐわかる。
作りたいものも、以前よりずっと手軽に形になる。

便利になったなぁと思う。

昔なら、電車に乗り、店を探し、本を探し、時間をかけて、手間をかけて、覚えなきゃできなかったことが、今は驚くほど軽やかにできてしまう。

それはすごいことだ。

でも、それでも人は「自分でやりたい」をやめない。

パンを買えばいいのに、こねたくなる。
家具を買えばいいのに、削りたくなる。
既製品で十分なのに、作りたくなる。

小さい子供がなんでも自分でやりたがるように
私もできるものなら、全部自分で作ってみたい。

たぶんそれって、“モノ”が欲しいんじゃないんだと思う。
結果や産物などどうでもいいんだと。

私の家系は、そういう血が濃い。

祖母は、素敵なものを見ると言う。
「あれ作れるなぁ」が口癖だ。

母もそう。
習ってもいないのに、見よう見まねでいろんなものを作る。料理のレシピを聞くと返ってくる答えは『ん?だいたいやん、そんなもん』がテッパン。

父は家業をしめたあと、木工職人になった。
誰にも教わってなどないけれど、むかしから0.1ミリ単位で精密なことをやりとげるこだわり派。

そして私も、何かを見ると「どうやって作るんだろう?」と思ってしまう。

パンを焼くのも好きだし、編み物も木工も、焼物もネイルも、何かを組み立てたり、形にしたりすることが好き。

便利な道具ですら、私にはいい意味で“おもちゃ”に見える。

効率だけを考えたら、やらなくていいことは山ほどある。やらなくていいことしかないきっと。

買えば早い。
頼めば済む。
もっと楽な方法はいくらでもある。

でも、人は効率だけで生きていない。

むしろ、遠回りの中にしかないものがある。

自分でこねたパンには、味以上のものがある。

自分で作ったものには、完成度じゃない価値がある。

不格好でも、少し失敗していても、「自分の手を通った」というだけで、そこに意味が生まれる。

たぶん人は、完成品が欲しいんじゃない。

“自分が関わった証”が欲しい。

私はここにいた。
私はこう感じた。
私はこれを選んだ。

そういう痕跡を、何かに残したい生き物なのかもしれない。

便利になって、手間が減って、効率が上がって。
それでもきっと、人は自分の手を使う。

自分という意味をそこに編むために。

遠回りは決して悪いことじゃないなって、そんな気持ちを綴った曲を今日は置いておくことにする。

『咲き誇る花知るよしもなし』

求められてもいないのに
探されてもいないのに
受入れようとせずに
認められたくてしょうがない

見つけようともせずに
どっかでわかったようなフリ
キレイごと並べた先に
ただ見失ってばかり

あのまま まっすぐ大人になっていたら
もっともっと近道していたのかな
それともどこかで大きな失敗して
今ごろいろんなこと諦めてたかな

ここまで歩いてきたから
見えてた景色がある
もしあの日 電車だったら
咲き誇る花知るよしもなし


幸せになるために
誰もが生まれてきたって
何処かの誰かが言ってた
ふと心よぎる母

信じてもいいかな
疑ってしまうかな
目の前光る信号
背中押すように青    

ここから まっすぐ続いてくこの道が
いつの間にか 気づけば弧を描いていた
幾度も迷った夢の通り道で
見知らぬ人と今日もすれ違う

十年前出逢ってたら
一緒にはいられなかった
遠回りした私への
神様からのご褒美

ここまで歩いてきたから
見えてた景色がある
もしあの日電車だったら
咲き誇る花知るよしもなし

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