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プラダを着た悪魔2 -エンドロールだけが唯のリアル -

誰と会うわけではないのに、少しいつもと違う服を選びメイクをし、まだ静かな街中を急足でかけぬけた。

座席はネット予約、ドリンクもポップコーンもモバイルオーダー。明らかに進化していた映画館の様子に、自分がいかに劇場離れしていたか思い知らされる。

お目当ての『プラダを着た悪魔2』
ど真ん中のシートに大きなポップコーンを抱えて座る。
何だろうこの保証された自分時間という満足感は。

そんな自分のことはいいとして、映画の感想をまず述べる。

もう、大、大、大満足。
今の私を隅々まで満たしてくれる最高の時間だった。

ネタバレにならないよう気をつけて言葉を並べてみるけれど…

前作は20年前、どれだけアン・ハサウェイが美しくとも、メリル・ストリープが素晴らしくとも、時は平等にながれている。

時代の変化、また、映画技術の変化、文化の進化、なにより自分の変化にシリーズ2というものがどう映るのか。それが今回私にとってとても興味深いテーマだった。

ひとつとても嬉しかったのは、前作のファンを裏切らないディテールにこだわった表現や、音楽、思わずニヤリとさせられ、そのたびに心くすぐられる思いだった。

とはいえ、王道のザ・ハリウッドストーリーは、やっぱりわかりやすく面白い。

どうしても手元で気軽に映画を見られるようになってから、映画館に来る機会が本当に減ってしまったこと、それが何だかとても悔やまれた。(隣でやってた、スーパーマリオでさえも観たかった)

ものづくりや音楽を作っている日々の中で、確信に変わってきている思いがある。

それは『フェイクの中にこそ真実がある』ということ。
物語や作品といういわば『つくりもの』とされるものにこそ、作り手という『人』が一番滲み出るものだと感じられるからだ。

世の文豪と呼ばれる、夏目漱石や芥川龍之介、太宰治。彼らを語るどんな書物より、彼らの物語をいろいろと読む方が彼らを深く知れたように思えた。

また私が仕事でインタビューを受けた際、それを記事にしていただいたことがある。その言葉が、どうも自分のようで自分でない。このぬぐいきれない違和感もまた、ことの真実を語るのは『作品』ではないかとおもえるようになった大きな出来事だ。

時として
誰のものでもない人生覗きこんで
涙ながしては 他人を生きた午前2時

止まらない
涙の理由 貴方にわかるのなら
教えてほしいよ
救い出してほしいよ

虚しく流れる 偽物の証
エンドロールだけが唯のリアル

『REAL』

この曲を書いた頃は、たくさんの物語に触れていた。
映画、本、音楽、落語、講談、何もかもの定義を考えることで、私の中のパラダイムシフトが止まらなかった。( だから『風詩歌伝』というアルバムを作れたともいう )

『プラダを着た悪魔2』エンドロールの長さ分の人の思いがきっと作品に宿っている。それを全身で浴びることができた。

とてもいい時間だった。

客席を立ち、外のショーウィンドウに映る自分が、いつもより少し背筋を伸ばそうとしていた。『この仕事が、たまらなく好きなのよ』と言い切ったミランダの美しさが私の心を捕らえて離さない。

今日ばかりはこの言葉で終わりにしなければ。

『That’s all』

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