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第7節 科学特捜隊——ヒーローを引き立てる人間の主体性

『ウルトラマン』は、ウルトラマン単独の物語ではない。怪獣や宇宙人が
引き起こす災害や超常現象の解決に当たる科学特捜隊と、それに協力する
ウルトラマンという、二つの主体の活躍劇として構成されている[i]。科学
特捜隊は、国際科学警察機構の下部組織という設定を持ち、一般の警察組織では手に負えない怪事件や異変に対処するために結成された、警察としての性格を持つ組織である[ii]。この設定は、前作『ウルトラQ』において、毎回異なる民間人が偶然怪奇現象に遭遇するという構造をとっていたのに対し、怪獣という脅威に専門的に対処する常設の組織を用意することで、物語に
継続的な骨格を与える役割を果たしていた。

なぜ、この人間の組織が必要だったのか。もっとも直接的な答えは、
ウルトラマン自身の制約にある。前節で見た通り、ウルトラマンが地球で
活動できる時間はごく限られている。物語の大半の時間、怪獣と対峙するのはウルトラマンではなく、科学特捜隊の隊員たちである。彼らが怪獣の生態を調査し、対抗策を練り、時には自ら武器を手に取って怪獣に立ち向かう
過程があるからこそ、ウルトラマンの登場は「最後の手段」としての重みを持つ。科学特捜隊は、単にウルトラマンの登場を待つだけの脇役ではなく、物語の大半を実質的に牽引する主体だったのである。

この構造がどれほど本質的なものだったかは、後年のシリーズが、これを
軽視したときに何が起きたかを見ればわかる。花岡敬太郎は、1970年代の第二期ウルトラシリーズを分析するなかで、次のような逆説を指摘している。ウルトラマンの力が強大であればあるほど、事件はウルトラマン一人の活躍で片付いてしまい、防衛チームは物語上の添え物へと追いやられていく。
しかし、それにもかかわらず、隊員同士や隊員と主人公の間に築かれる関係性こそが、ウルトラシリーズという物語形式を成立させる中核だったのだという[iii]。この指摘を裏付けるように、『ウルトラマンレオ』では、主人公おゝとりゲンと師匠であるモロボシ・ダンの一対一の関係に物語が収斂し、他の防衛隊員の存在感が極端に希薄になり、最終的には防衛チーム自体が
全滅して物語から排除されるという展開をたどった。その結果、物語は完全に主人公個人を描くものへと変質し、同番組は視聴率の低迷に苦しんだことが同研究で報告されている[iv]

この事例が示すのは、ヒーローの強さだけでは、この形式のドラマは成立しないということである。怪獣と対峙する人間たちの主体性——彼らの判断、失敗、人間関係、そして時に見せる勇気——があってこそ、ウルトラマンという神話的な存在は、単なる「必殺技を撃つだけの存在」ではなく、人間の物語に降り立つ「味方」としての重みを獲得する。科学特捜隊は、ウルトラマンという神を引き立てるための舞台装置であると同時に、その舞台がなければ神自体が成立しないという、相互依存の関係を体現した組織だったと言えるだろう。

なお、この組織の設定を具体的に誰が発案し、どのような経緯で現在の形に至ったかについては、今回の調査でも確度の高い一次資料を見つけることができなかった。この点は、今後の課題として残しておきたい。また、科学
特捜隊唯一の女性隊員であるフジ・アキコ隊員というジェンダー配置の当時における位置づけについては、本稿第27章「特撮とジェンダー」で改めて
論じることとする。



[i] 『ウルトラマン』作品あらすじ、円谷プロダクション公式サイト。
[ii]科学特捜隊」円谷プロダクション公式サイト。
[iii] 花岡敬太郎「1970年代初頭の人々の正義に関する思考様式――第二期ウルトラシリーズの制作過程分析を中心に」『文学研究論集』第48号、明治大学大学院、2018年2月、95-114頁。
[iv] 同上、109-111頁。

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