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プロローグ


1954年11月3日。日比谷映画劇場の客席に、説明しがたい感覚が走った。
スクリーンでは、巨大な生き物が東京を踏み荒らしていた。人形じみた着ぐるみ、精巧とは言いがたいミニチュアの街。当時のマスコミは、この映画を「ゲテモノ」「キワモノ」と呼んだ。生き物が火を吐くわけがない。そんな批判は、まったくもって正しかった。

にもかかわらず、観客たちは泣いた。
劇場に詰めかけた観客のうち、少なくない者が涙を流し、震えていたことが、後の証言によって伝えられている。一方、批評家の大半がゴジラを嘲笑した。多くの批評家にとって、ゴジラを褒めることは知性への裏切りのように思えたようだ。

しかし観客は、批評家が見えていなかったものを見ていた。
これが本書の出発点である。なぜ、最も「嘘くさい」映像が、最も深い恐怖を喚起したのか。

この問いに答えるためには、1954年という年に立ち戻らなければならない。
その年の3月1日、南太平洋ビキニ環礁で、アメリカが水爆実験を行った。
マグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員23人が「死の灰」を浴び、無線長の
久保山愛吉は被爆から約半年後に死亡した。「原子マグロ」への恐怖が列島を覆い、放射能に汚染された水揚げ魚が大量廃棄され、漁業界は大打撃を
受けた。日本人は、9年前の広島と長崎の記憶を、突然、現在の出来事として再び生きることを強いられた。

占領期(1945〜52年)の7年間、連合国軍最高司令部(GHQ)は広島・長崎の被爆記録の公開を禁じていた[i]。核の恐怖は、語ることを封じられたまま、人々の内側に沈殿し続けた。その蓋を、ビキニの「死の灰」がこじ開けた。

同じ年の11月、自衛隊が初の観閲式を行った。政界では造船疑獄が揺れ、
戦後日本はまだ戦争の廃墟を片づけ終えていなかった。映画『ゴジラ』が
公開されたのは、まさにそうした年の、11月3日だった。

監督の本多猪四郎は後のインタビューで語っている。撮影に入る前、田中
友幸プロデューサー、特殊技術担当の円谷英二と話し合い、固く確認し合ったことがあった——「この映画は作る側が照れてしまってはいけない。まず自分たちが驚きをもって製作にあたろう」[ii]と。本多の証言によれば、自身の戦争体験が『ゴジラ』には反映されており、ゴジラは単なる生き物ではなく、原爆を象徴する存在として描かれた[iii]。

観客たちは怪獣映画を見に行ったのではなかった。彼らは自分たちの傷を、スクリーンの上に見た。

ただし、ここで立ち止まらなければならない。「ゴジラ=核アレゴリー」という解釈は、一見自明に見えて、実は多くの問題を抱えている。第五福竜丸事件(3月)から映画公開(11月)まで8ヶ月しかなかった。田中プロデューサーがゴジラを企画したのは、インドネシア出張から帰る機中での即興的な着想だったともされている。本当に「反核の思想」が最初にあったのか、
それとも商業的な企画が偶然に核の恐怖と共鳴したのか——この問いは、
第5章であらためて向き合うことになる。さらに言えば、ゴジラへの恐怖は「日本は被害者だ」という一方向の語りに収まりきらない。怪物の怒りは、日本人が与えた傷への復讐でもありえた。観客が流した涙の奥には、被害の記憶だけでなく、語られない加害の記憶もあったかもしれない。単純な解釈は常に疑われなければならない。しかし、その複雑さこそが、ゴジラという映画の豊かさである。

ここで1つの問いを立てなければならない。そもそも「特撮」とは何か。
最も一般的な定義は、技術的なものである。文化庁の日本特撮アーカイブでは、まず「特撮」を「実写のカメラと実景、あるいは通常サイズの室内セットでは撮影不可能な映像を、さまざまな工夫の組み合わせによって実現可能とする総合的な『技術』」と定義する[iv]。

この定義は精密で有用だが、本書では「特撮技術」と「特撮」を区別する。特撮技術はあくまで手段であり、その技術を用いて何かを「見せようとする行為」と、その行為が積み重なって生まれた文化の全体を指す語が必要だからである。

なお、日本特撮アーカイブでの定義にある「実写のカメラ」という語は重要な含意を持つ。アニメはセルや画像データを素材とし、実写のカメラを基盤としない。したがって本書の定義においてアニメは特撮とは別の映像文化として扱う。もっとも、特撮とアニメは産業的にも美学的にも深く絡み合っており、両者を包摂する「空想映像文化」という概念を提唱する研究者もいる[v]。この問題については第25章であらためて論じることにしたい。

別の定義もある。「特撮」という語が1960~70年代に定着して以来、日本の大衆文化の中でこの語は徐々に「ゴジラ・ウルトラマン・仮面ライダーに
代表されるジャンル」を意味するようになった[vi]。しかしこれは語の文化的定着であって、定義ではない。ジャンルとしての境界は常に揺れており、「あれは特撮か」「これは特撮か」という問いに、この定義では答えられ
ない。

「円谷英二が日本の特撮を始めた」とする見方がある[vii]。英雄的な個人に始まりを帰属させるこの語り方には魅力がある。しかし、「見えないものを見せたい」という衝動の歴史はさらに古い。円谷以前に円谷の師・枝正義郎がすでにミニチュアと合成を使ったトリック撮影を行っていた[viii]。さらに遡れば、フランスのジョルジュ・メリエスが1902年に『月世界旅行』という映画を作った。江戸の歌舞伎には「宙乗り」「早替わり」「引き抜き」があった。神話の語り手は、聴衆に見えない神々や怪物を「見せよう」とした。これらはすべて「特撮の前史」である。特撮技術が誕生して初めて、特撮は特撮になった。

では、本書における「特撮」と「特撮技術」をそれぞれ次のように定義する。

【特撮技術】実写のカメラと実景、あるいは通常サイズの室内セットでは撮影不可能な映像を、さまざまな工夫の組み合わせによって実現可能とする総合的な技術(文化庁・日本特撮アーカイブでの定義)。
【特撮】実写のカメラを基盤とした特撮技術を用いて、人間が想像力によって「現実にはないもの」を「現実のように見せようとする行為」、およびその行為の産物として生み出された文化の総体。

この定義において重要なのは、2つの概念の役割分担である。特撮技術は手段であり、特撮はその技術を駆動する意志と、それが生み出した文化の総体だ。見えないものを見せようとする衝動が先にあり、その衝動が特撮技術を選び取る。着ぐるみであれ、ミニチュアであれ、光学合成であれ、CGであれ、技術の形は変わる。変わらないのは、その技術を使って何かを「現実のように見せようとする」行為の本質である。なお、この定義はハリウッドのSF映画など「特撮技術を使うが日本特撮の系譜に属さない映像作品」を排除するものではない。本書が扱う守備範囲は、日本の特撮産業とその影響圏に属する作品群である。これは定義の問題ではなく、本書の射程の問題だ。

この定義はいくつかの帰結をもたらす。
第一に、特撮には前史がある。神話・歌舞伎・見世物・無声映画のトリック撮影——これらは「現実にないものを見せたい」という同じ衝動から生まれたが、特撮技術が存在しなかった時代の産物である。本書の第1部がこの前史を扱うのは、特撮の本質を理解するためには、特撮技術が生まれる以前の「見せようとする行為」の歴史を知らなければならないからだ。

第二に、特撮は「嘘をつく技術」であると同時に、「見る者の心の中に本物の何かを生み出す技術」でもある。観客が日比谷映画劇場で流した涙は本物だった。その涙を引き出したものは何だったのか——それが本書の根本的な問いである。

第三に、この定義においてCGは特撮を殺さない。特撮技術の形がどれほど変わっても、「現実にないものを現実のように見せようとする行為」は続く。特撮の本質は技術の種類にではなく、その技術を使う行為と意志の中にある。

本書は、この定義に照らしながら、特撮の歴史を辿る試みである。
第1部では、神話・見世物・映画という3つの系譜をたどり、人類が「怪物を発明する」衝動をいつ、なぜ持ったのかを問う。第2部では、ゴジラの誕生から東宝特撮の黄金時代まで、怪獣映画が戦後日本の集合的無意識といかに共鳴していたかを見る。第3部では、ウルトラマン・仮面ライダー・スーパー戦隊という3つの「変身」——外から来る神、内側から変わる個人、集団としての戦い——が、それぞれ何を体現していたかを考える。第4部では、スーツアクター、火薬師、音楽家、そして脚本家・演出家・プロデューサー等の「見えない作り手たち」の仕事を通じ、特撮がいかに作られてきたかを論じる。

第5部では平成の特撮が直面した存亡の危機と、そこから生まれた刷新を
追う。第6部では、日本の特撮が世界に輸出され変容する過程を検証し、「トクサツ」が固有名詞として国際化しつつある現在を描く。第7部では、庵野秀明の「シン」シリーズとCG時代が突きつける現代的な問いに向き
合う。第8部では、特撮と日本人のアイデンティティという最も根源的な
テーマを扱い、グローバル化の波と地域に生きる特撮という対照的な現在を照らし出す。第9部では、70年に及ぶ特撮史の旅を締めくくり、プロローグで立てた問いへと回帰する。生成AIという新しい「民主化された嘘」が、「CGは特撮を殺さない」という本書の結論にいかなる新しい条件を突きつけるのかを問い、気候変動やAIという「名前のない恐怖」が次にどのような怪物の姿を取りうるのかを展望する。

これらを貫く問いは1つである。人類はなぜ、怪物を作り、怪物と戦い続けるのか。

あなたは映画やテレビを見て泣いたことがあるか。スクリーンの向こうに
感情移入し、現実には存在しない何かに、本物の恐怖や喜びを感じたことがあるか。もしそうなら、あなたはすでに本書の謎の中にいる。

なぜ人間は、嘘を本物として受け取るのか。なぜ「作り物」と知りながら涙を流すのか。なぜ着ぐるみの怪物が、核の恐怖の代わりに心を揺さぶることができるのか。これらは「特撮とは何か」という問いであると同時に、
「人間とは何か」という問いである。

1954年の日比谷映画劇場の観客たちは、ゴジラのうろこが広島の被爆者たちのケロイドに似ていることに、気づいていたかもしれない。いや、気づくまでもなく、体が先に知っていたのかもしれない。説明できないまま、彼らは泣いた。震えた。

この謎は今も解かれていない。本書はその謎に、特撮史という迂回路を通じて答えようとする。神話の時代から現代のCG映画まで、その全体像を見渡すとき、「特撮」と呼ばれてきたものの本当の姿が浮かび上がってくると、私は信じている。
(以下、第一章へ続く)



[i] 1945年9月19日発令、9月21日に発布されたSCAPIN-33「日本に与うる新聞遵則」(通称「プレスコード」)による規制である。
[ii] 中島紳介「本多猪四郎と戦争・ゴジラ・原水爆 「101年目の本多猪四郎」特別編(上)」Ishiro Honda.com、https://ishirohonda.com/contribution27/、2016年11月17日公開、2026年6月5日閲覧
[iii] 同上。
[iv] 『平成24年度日本特撮に関する調査』第1章4頁。メディア芸術カレントコンテンツのウェブサイト下記ページでダウンロードできる。https://mediag.bunka.go.jp/article/tokusatsu_report-916/
[v] 氷川竜介『空想映像文化論 怪獣ブームから『宇宙戦艦ヤマト』へ』KADOKAWA、2025年
[vi] 『平成24年度日本特撮に関する調査』第1章4-8頁。
[vii] 「館長 庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」展覧会紹介はじめに、2012年公開、2026年6月5日閲覧、https://www.ntv.co.jp/tokusatsu/exhibition.html
[viii] 1917年の『西遊記』と1934年の『大仏廻国』。

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