第3節 占領下の撮影所——何が禁じられ、何が許されたか
円谷英二が沈黙を強いられていた時期、東宝の撮影所では別の種類の制約が映画人たちを縛っていた。
1945年秋、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は日本映画界に対する検閲体制を整えた。禁止されたのは戦争映画だけではなかった。GHQは映画行政において二つの組織を機能させた。脚本・完成作品の方針指導を担うCIE(民間情報教育局)と、完成フィルムの事後検閲を担うCCD(民間検閲支隊)である。映画はこの二重の検閲を受けた[i]。
規制の基準は「軍国主義・封建主義・国家主義の排除」に置かれた。時代劇のチャンバラ場面は、封建的価値観と武力崇拝を体現するものとみなされ、スクリーンから排除された。仇討ちを主題にした作品も禁止対象となった[ii]。日本映画の二大ジャンルであった戦争映画と時代劇が、同時に制約を受けたことになる。
では何が許されたか。
GHQが奨励したのは、民主主義・個人の自由・男女平等といった価値観を体現する作品だった。キスシーンは「民主主義のシンボル」として積極的に推奨された[iii]。恋愛映画・家庭劇・社会派ドラマが制作の主流となった。映画人たちのエネルギーは、これまで手がけてきたジャンルとは異なる方向へと向かわざるをえなかった。
しかしこの制約は、映画界に一様に作用したわけではなかった。
1946年から48年にかけて、東宝では大規模な労働争議が起きた。組合側は「民主的映画の製作」を掲げ、会社側と対立した。争議はGHQの介入によって収束したが、その過程で多数の映画人が東宝を去り、新東宝を設立した。撮影所の政治的分裂は、東宝という組織の内部構造を根本から変えた[iv]。
この政治的激動の中で、「怪獣映画」という題材が持つ意味を考えてみたい。
戦争映画は禁じられていた。時代劇は制約を受けていた。社会派ドラマは占領軍の価値観との整合を求められた。しかし怪獣映画は、これらのいずれの禁止項目にも直接抵触しなかった。怪獣は軍国主義の象徴ではなく、封建的な仇討ちの物語でもなく、占領軍が警戒する政治的メッセージを明示的に含んでいるわけでもなかった。
ただしここで注意が必要だ。「怪獣映画が禁止されなかったから作られた」という因果は単純すぎる。検閲の網をくぐり抜けるために怪獣という形式が選ばれたわけではない。むしろ問うべきは、様々な制約の中で映画人たちが蓄積してきた技術と表現への意志が、怪獣という形式と結びついたとき、何が可能になったかということだ。
1949年に映画業界の内部組織として映倫(映画倫理規程管理委員会)が設立されたことを契機に規制が段階的に緩和され、1950年には各社が一定の時代劇を制作できるようになった[v]。朝鮮戦争の勃発により、GHQの対日政策は民主化よりも日本の再建と安定を優先する方向へと転換しつつあった。占領期の制約は、固定されたものではなく、国際情勢の変化とともに揺れ動いていた。
この流動する状況の中で、1952年にサンフランシスコ講和条約が発効し、日本は占領期を終えた。映画界を縛っていた検閲は消えた。しかし検閲が消えたからといって、映画人たちの内側に刻まれたものが消えたわけではなかった。
戦争を経験した者、前線に送られた者、後方で技術を提供した者——それぞれが占領期という時間を、それぞれの仕方で生きていた。その経験が交差する地点に、次節で辿る3人の男たちがいた。
[i] Kyoko Hirano, ”The Banning of Japanese Period Films by the American Occupation,” ICONICS - International Studies of the Modern Image -, Vol.1, 1987, pp.193-208.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/iconics/1/0/1_KJ00004928437/_article
CIEおよびCCDの映画検閲については、下記の文献が詳しい。
平野共余子『天皇と接吻: アメリカ占領下の日本映画検閲』(草思社、2021年)。
谷川建司『アメリカ合衆国による占領期対日映画政策の形成と遂行』(2002年)。国立国会図書館デジタルコレクションで公開(要登録)。
https://dl.ndl.go.jp/pid/3185604
[ii] Hirano, op. cit.
[iii] Hirano, op. cit.
[iv] 佐藤郁哉「書評:井上雅雄著『文化と闘争―東宝争議1946-1948』新曜社,2007年」
『文化経済学』第6巻1号、2008年、pp.177-178。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jace/6/1/6_177/_article/-char/ja/
東宝争議について詳しくは、井上雅雄『文化と闘争―東宝争議1946-1948』新曜社,2007年を参照。
[v] Hirano, op. cit.
