第5節 菊池俊輔――怪奇アクションを鳴らした「菊池節」
菊池俊輔は1931年11月1日、青森県弘前市の鮮魚店の長男として生まれた。幼少期から映画館に通い詰める映画好きの少年で、高校時代から作曲を始め、音楽部を創設している。弘前工業高等学校を卒業後、弘前市役所に1年半勤務したのち退職して上京、日本大学藝術学部音楽学科に進学して作曲を専攻した。大学卒業後は、プロの映画音楽家を志して木下忠司に師事している[i]。
1961年、東映専属の映画監督・佐藤肇に見出され、映画『八人目の敵』で
映画音楽家としてデビュー。以後、佐藤からの依頼を中心に多くの映画音楽を手がけるとともに、1963年にはテレビドラマ『野菊の墓』で初めてテレビの劇伴を担当した。テレビアニメの仕事は1965年の『宇宙パトロールホッパ』が最初で、当時の「テレビまんが」に共通していたマーチ風の明朗な
曲調で作られている[ii]。
菊池の作風を転換させた画期が、1969年のテレビアニメ『タイガーマスク』の主題歌だったと、アニメ特撮研究家の氷川竜介は分析している。組織を
裏切って信念に生きる主人公の心情を歌い上げるにあたり、菊池は当時流行していたマカロニ・ウエスタン映画で多用される、ハイテンポでマイナー調の曲想を応用した。氷川は、この転換が「アニメソングの流れを変えた」と位置づけている[iii]。
菊池はこの時期、実写の世界でも『昭和残侠伝』(任侠アクション)や
『吸血鬼ゴケミドロ』(ホラー)、長期シリーズとなったアクションドラマ『キイハンター』のBGMなど、さまざまなジャンル映画・ドラマの音楽的
蓄積を積み重ねていた[iv]。
1971年、菊池は特撮テレビドラマ『仮面ライダー』の音楽を担当することになる。氷川の分析によれば、企画段階で「怪奇アクション」と銘打たれて
いた同作は、菊池が『キイハンター』で培った任侠・ホラー・サスペンスの蓄積の応用編、いわば子ども向けへのアダプテーションだったという。当時の子どもたちは、世間の裏側の陰謀や大人びたムードを漂わせる菊池のBGMから、「時代に即したダークネスと格好良さ」を受け取っていたのだと氷川は述べている[v]。激しく叩きつけるドラムとベース、鋭く刻むエレキギター、哀愁を帯びたトランペットを中心とする金管楽器――この情熱と哀愁とスピード感を兼ね備えた作風は、後年「菊池節」と呼ばれるようになった[vi]。
菊池は『仮面ライダー』から『仮面ライダースーパー1』(1980-81年)に
至るまで、シリーズの音楽をほぼ一人で作曲・編曲し続けた。当時のテレビ特撮・アニメの制作現場では、限られた予算と収録スケジュールの中で、
専用に書き下ろされた楽曲だけでBGMのすべてを賄うことは難しく、選曲
担当者が過去の担当作品や既存の音源リストの中から流用曲を組み合わせて劇伴を構成することが一般的な慣行だった。菊池ほどの多作家であっても
例外ではなかったこの制作条件は、第6節で改めて論じるテレビ特撮音楽のライブラリー的な楽曲運用の実態を、この代表的作曲家の仕事のなかにも
見出せることを示している。
『仮面ライダー』のヒットは、アニメ・特撮音楽の商品としてのあり方も
変えた。それまでソノシート中心だった主題歌商品は、この作品のヒットを受けて日本コロムビアがステレオ録音による高音質のレコードへと切り替え、さらに挿入歌を追加録音した全12曲入りのアルバムまで制作するに至った。氷川はこれを、アニメ特撮音楽が「繰り返し聴いて楽しむもの」へと
格上げされた画期として位置づけている[vii]。
菊池が確立したこの音楽的語法は、1990年代以降のカラオケボックスの普及とともに、「聴くもの」から「歌うもの」へとさらに役割を広げ、菊池自身が渡辺宙明と並ぶ「熱血系アニソンのツートップ」として記憶されることになった[viii]。
菊池俊輔は2021年4月24日、東京都内の療養施設で死去した。89歳だった。長年菊池の楽曲を歌ってきた歌手の水木一郎は、その作風について「雪国
出身者ならではの日本の匂いや哀愁的なニュアンスを持っている」と評している[ix]。菊池のインタビューで残された発言によれば、彼はアニメの劇伴について「映像ができる前に作ってしまう場合が多い」ため、内容やキャラクターの打ち合わせをもとに「溜め取り」――場面ができる前に、あらかじめ活劇の緩急を作曲側で作り込んでおく手法――を工夫していたという[x]。
渡辺宙明とはまた異なる形で、映像に先んじて音楽が物語の輪郭を作って
いたことになる。
伊福部・宮内・冬木・渡辺・菊池と、五人の作曲家の仕事を見てきた。転用と発明の境界、先駆者と後継者の協働、既存楽曲の大胆な引用、そしてライブラリー的な楽曲運用――ここまで繰り返し現れてきたのは、専用に書き
下ろされた音楽という牧歌的なイメージと、制作現場の経済的・時間的制約との間の緊張である。この緊張を正面から見据えたうえで、それでもなお
特撮音楽が半世紀以上にわたって観客の記憶に生き続けてきたのはなぜか。最後にこの問いに立ち返る。
[i] 「【特集】世界で愛される数々の名曲/弘前出身の作曲家・菊池俊輔さん」弘前経済新聞、2022年12月27日(「月刊弘前」2022年12月号を元に編集)。
[ii] 同上。
[iii] 「『シン・仮面ライダー音楽集』解説(アニメ特撮研究家・氷川竜介さん)」『シン・仮面ライダー』公式サイト、2023年5月8日。
[iv] 同上。
[v] 同上。
[vi] 同上。
[vii] 『シン・仮面ライダー』公式サイト、前掲。
[viii] 同上。
[ix] 弘前経済新聞、前掲。同記事によれば、水木一郎の評は菊池の訃報に際して寄せられたもの。
[x] 同上。「菊池俊輔作品集」からの引用として、同記事に掲載されている菊池本人の発言。
