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第5節 アナログの黄昏と継承――何が失われ、何が意識的に守られようとしているか

第3節で触れたように、准監督として『シン・ウルトラマン』に参加した
尾上克郎は、2012年の短編『巨神兵東京に現わる』の制作にあたって、光学合成を含む全編アナログでの完成を目指したが、すでに日本国内でオプチカル・プリンターが稼働しておらず、機材そのものが解体され「邪魔物扱い」されていたために、それが事実上不可能だったと証言している。この経験は、単なる一エピソードにとどまらない意味を持つ。尾上は特撮の魅力を、まさに合成という加工を経ない「アナログ」の生々しさに見出している[i]。飯塚定雄が60年にわたって手作業で積み上げてきた光学合成という技術基盤は、皮肉なことに、「アナログの魅力」を実現するための土台でありながら、その担い手たちが現役で活動している間に、機材ごと失われつつあったことになる。

もっとも、予算やアナログ的資源の制約は、必ずしも技術の劣化だけをもたらしたわけではなかった。樋口真嗣が特技監督を務めた平成ガメラシリーズは、この点で示唆的な逆説を示している。同シリーズは、東宝ゴジラシリーズと比較して制作できるミニチュアの数が限られるという制約のもとにあったため、樋口はまず絵コンテによってカメラアングルをあらかじめ決定し[ii]、それに合わせて必要な部分だけをミニチュアとして飾り込むという方法を採った[iii]

さらに、怪獣を正面からアップで捉えることの多かった従来のミニチュア
特撮に対し、平成ガメラでは怪獣を下から見上げる視点を徹底し、昼間の
シーンでは屋外にセットを組んで自然光のもとで撮影するという手法が取られている[iv]。これらの技法自体は、ウルトラシリーズなどですでに用いられていたものだったが、樋口はそれをより徹底することで高い効果を引き出したとされる。予算の制約が、必要な部分だけを効率的に作り込むという逆説的な様式的達成につながったことになる。

この逆説は、『シン・ゴジラ』(2016年)における新幹線爆弾のシーンにも、形を変えて現れている。同作の新幹線主観カットは、様々な撮影方法が検討された末、車両から東京駅ホームに至るまで、すべてCGで制作されることになった。車内の爆発描写についてはミニチュア撮影も検討されていたが、最終的には予算の都合により見送られている[v]

ここで興味深いのは、総監督の庵野秀明が、完成した新幹線のCG映像を
評して「HOゲージのようだ」(鉄道模型のようだという意味)と口にしたという逸話である。VFXプロデューサーの佐藤敦紀は当初これをダメ出しだと受け取ったが、庵野の真意は異なっていたとされる。あまりにリアルに作り込みすぎると、実際に起きた列車事故を想起させてしまう。だからこそ、模型を思わせる質感を残したままでよい、というのが庵野の真意だったと
いう[vi]

この逸話は、本章全体の主題にとって重要な意味を持つ。技術的リアリズムを最大限まで追求することが、必ずしもその作品にとっての最適解ではない。あえてミニチュア的な様式性を残すという判断が、倫理的な配慮――
実際の事故を連想させないという配慮――とも結びついていたのである。「美しく嘘をつく技術」の到達点は、したがって「本物とまったく見分けがつかない映像」ではない。どこまでリアルに近づけ、どこで意図的に嘘を
残すかという判断そのものが、技術の熟達の証だということになる。

こうした技術の喪失と様式的な工夫の物語と並んで、近年では、アナログ
技術を意識的に継承しようとする具体的な取り組みも進められている。2012年、庵野秀明・樋口真嗣・尾上克郎・三池敏夫らは、東京都現代美術館で「館長 庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」という
展示を開催した。特撮美術監督の三池敏夫は、ミニチュアやアナログの技法がいずれ消えゆくことは避けられないという認識のもと、単に資料やミニチュアを保存するだけでは技術は継承されないと考え、実技そのものに触れる機会を作ることを重視したと証言している。

この考えに基づき、2020年には福島県須賀川市に「須賀川特撮アーカイブセンター」が開設され、田口清隆監督を塾長とする「すかがわ特撮塾」が、
若者たちに実際の特撮制作を体験させる取り組みを、2024年時点で4年に
わたって継続しているという[vii]。飯塚が個人の手探りで確立した技術が
機材ごと失われていったのとは対照的に、ここでは技術の継承そのものが、個人の記憶や技巧に頼るのではなく、次世代が実際に手を動かして学ぶ場を制度として作るという、意識的な設計の対象になっている。

以上、本章では、火薬・光学合成・光線技術・造形・そしてアナログ技術の継承という五つの技術領域を通じて、「美しく嘘をつく技術」の担い手たちの職業史を見てきた。いずれの領域にも共通していたのは、技術的な達成の物語が、それを支えた身体的な危険や、機材への依存、作家間の対立、
そして継承の断絶といった代償と、切り離せない形で同居していたという
事実である。円谷英二が中島春雄や飯塚定雄といった若い担い手たちに、
前例のない職能の中身そのものを託し続けたように、特撮の技術史は、常に個々の職人の裁量と工夫によって切り開かれてきた。

次章では、こうした視覚と身体の「嘘」の技術から離れ、特撮を「鳴らす」音楽という、もう一つの見えない虚構の担い手たちに目を向ける。



[i] 「『特撮』を体験し、試行錯誤する『ものづくり』の精神 尾上克郎(前編)」CG-ARTS One、2026年4月27日。
[ii] 久保田和馬「金子修介、樋口真嗣両監督が証言!いまなお愛される「平成ガメラ三部作」“特撮”の魅力とは」MOVIE WALKER PRESS、2021年4月16日。
[iii] 寒河江弘「作品レビュー 『ガメラ 大怪獣空中決戦』」『別冊映画秘宝 平成大特撮 1989-2019』洋泉社、2019年、117頁。
[iv] モルモット吉田「平成ガメラの誕生」『別冊映画秘宝 平成大特撮 1989-2019』114-115頁。
[v] 庵野秀明企画・責任編集『シン・ゴジラ』公式記録集 ジ・アート・オブ シン・ゴジラ、カラー、2016年、372頁。
[vi] 『シン・ゴジラ GENERATION』ホビージャパン、2017年、66頁。
[vii] 野口光一「トレンド&テクノロジー / デジタルコンテンツの未来〜温故知新〜第19回:三池敏夫(特撮美術監督)」AREA Japan、Autodesk、2026年6月25日。なお、2026年時点でも、特撮塾の活動は続いている。すかがわ特撮塾、須賀川特撮アーカイブセンター公式サイト。


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