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第3節 社会批評を持ち込んだ書き手たち――上原正三と佐々木守

第11章第4節で見た『帰ってきたウルトラマン』第33話「怪獣使いと少年」と『ウルトラマン』第23話「故郷は地球」は、それぞれ上原正三と佐々木守という、金城の同僚・後継にあたる二人の脚本家の手によるものだった。
金城自身が、企画文芸室長という管理職の傍らで折に触れて社会批評的な
筆致を示したとすれば、上原と佐々木は、この主題をより恒常的な作家的
関心として引き受け、それぞれ独自の仕方で展開していった。ただし二人を「金城の後継者」として一括りに語ることは、両者の出自と作風の違いを
見えなくしてしまう。

上原正三は1937年、那覇市生まれ。中央大学卒業後、肺結核を患い25歳で
沖縄に帰郷した[i]。療養のかたわらコザの基地の街や嘉手納基地周辺を歩き、題材を探していたところ、母の友人の紹介で、当時映画『吉屋チルー
物語』の編集をしていた同郷の金城哲夫と出会う[ii]。1965年に円谷プロへ
入社し、翌年『ウルトラQ』でデビュー。1969年、金城の退社に合わせて
フリーとなった後は、『帰ってきたウルトラマン』『秘密戦隊ゴレンジャー』『宇宙刑事ギャバン』など数多くの子供向け番組でメインライターを
務めている[iii]。金城の円谷プロ在籍がわずか数年だったのに対し、上原の
特撮への関わりは、円谷から東映へと会社の垣根を越えながら、1960年代
から80年代まで数十年にわたって続いた。

「怪獣使いと少年」における差別という主題は、上原にとって一過性のものではなかったことは、本人の証言によって跡づけることができる。
上原自身、「ウチナーンチュを標榜して、ヤマトゥ(本土)で生きる」ことこそが自分のテーマだと語っており、上京前のアマチュア時代から、沖縄戦や米軍基地以外を題材にした脚本を書いたことは一度もないと証言している[iv]

この主題は、上原個人が味わった差別の記憶にも根ざしていた。上京後まもなく、契約したはずの下宿を「琉球人お断り」で断られ、見ず知らずの相手から「沖縄には『土人』がいるらしいよ」と声をかけられた経験を、上原
自身が語っている[v]。円谷プロを離れたのちも、この主題は形を変えて回帰し続けた。『ウルトラセブン』のために執筆しながら未発表に終わった「300年の復讐」は、薩摩藩による琉球侵攻を下敷きに、征服された琉球の側から歴史を描き直そうとした脚本であり、上原は、この時に処刑された
琉球の高官・謝名親方が自らの先祖にあたると明かしたうえで、この脚本を「ぜひとも実現したかった」と後年のインタビューで振り返っている[vi]

ともにスーパー戦隊シリーズで健筆をふるった脚本家・曽田博久は、この
主題が持続した条件について、上原の仕事の速さと多作ぶりに圧倒されたと述べつつ、そこに戦争を経験した世代ならではの生命力の強さを感じ取っていたという[vii]。金城が管理職としての仕事の合間に個人的な刻印を残したとすれば、上原はむしろ、本人が繰り返し表明してきたこの問題意識を、
数十年・数百本という圧倒的な物量の中で持続させ続けた書き手だったと
言える。

佐々木守は上原とは対照的な道を歩んだ。1936年、石川県の農村に生まれ、明治大学在学中は児童文学研究会に所属し、子供向けの冒険小説に親しんで育った[viii]。大学卒業後は松竹で助監督を務め、1964年に松竹を退社すると、大島渚が設立した独立系プロダクション「創造社」に参加し、『絞死刑』『日本春歌考』など、大島の政治的・実験的な映画の脚本を手がけるようになる。ちょうど同じ時期、大島の紹介で当時TBSのディレクターだった実相寺昭雄と知り合い、意気投合した二人は、『ウルトラマン』『ウルトラセブン』をはじめ、『怪奇大作戦』『シルバー仮面』など、数々の特撮テレビドラマで長期にわたるコンビを組むことになる[ix]。実相寺は佐々木を
「発想は奇抜、でも、構成は骨太。理想的な脚本家だった」と評している[x]

「故郷は地球」に見られる、国家に切り捨てられた個人という主題は、
佐々木が大島渚のもとで培った、権力と個人の関係を問う政治的な視座と
地続きにある。しかし佐々木は、この視座を特撮という一つのジャンルに
固定することはなかった。ABCでは"脱ドラマ"を標榜した実験的な番組
『お荷物小荷物』を手がけ、時代劇や刑事もの、さらにはアニメ『アルプスの少女ハイジ』まで、児童文学の素養を生かしながらジャンルを越境し続けた[xi]

同じ「社会批評」という言葉で括られがちな二人だが、その根はまったく
異なる場所に伸びている。上原の批評性は、沖縄という具体的な出自と、
そこで刻まれた差別の記憶に根ざし、数十年にわたる特撮というジャンルへの持続的な関与の中で保たれ続けた。佐々木の批評性は、大島渚門下という1960年代日本映画の政治的・実験的な潮流の中で形成され、特撮はその視座が横断していく数あるジャンルの一つにすぎなかった。金城が蒔いた種が、上原においては出自に根ざした持続的な主題として、佐々木においてはより広い文学的視座の中の一部として、それぞれ異なる仕方で育っていったのである。

次節では、この社会批評という主題からいったん離れ、長期シリーズそのものを構造として支え続けた「シリーズ構築者」たちの仕事を見ていく。



[i]ウルトラマンを支えた沖縄出身の脚本家・上原正三さん死去」沖縄タイムス、2020年1月3日。
[ii]ウルトラマン、戦隊、宇宙刑事…ヒーローの熱き戦いを描き続けた上原正三氏の功績を振り返る」マイナビニュース、2020年1月10日。
[iii]上原正三」imidas。 
[iv]対照的な2人のウルトラマン 沖縄出身の脚本家・上原正三さんが挑んだタブー」沖縄タイムス、2016年3月27日。
[v]時代の正体〈490〉上原正三さん語る〈中〉 正義を疑い「自由」うたう」神奈川新聞(カナロコ)、2017年6月30日。
[vi] 沖縄タイムス、前掲。
[vii] 曽田博久「上原正三と言う脚本家ありし」曽田博久のブログ、2020年1月9日。
[viii]佐々木守」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』講談社、コトバンク版。
[ix]佐々木守」デジタル脚本アーカイブズ。
[x] てれびのスキマ「温故知新〜テレビの偉人たちに学ぶ〜『佐々木守』篇」ビデオリサーチ、VR Digest plus。
[xi]能美市は脚本家・佐々木守氏の故郷」能美市公式サイト、2019年4月11日。「佐々木守」デジタル脚本アーカイブズ、前掲。

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