第5節 本編監督と特技監督――特撮における二重の演出
本多猪四郎と円谷英二という二人が、1953年の『太平洋の鷲』以来一つの
体制として『ゴジラ』へと引き継いだ、監督と特技監督の分業については、すでに第5章・第7章で見た通りである。田中友幸が本多を「おとなしすぎる」と評しながらも十年以上にわたってこの体制を維持し続けたこと、そして円谷自身が怪獣映画というジャンルの量産化に内心では距離を感じていたとされることも、そこで確認した。本節が問うのは、本多と円谷という二人の間に何があったかではない。この二人が作り上げた「本編監督と特技監督」という分業のかたちそのものが、二人の個人的な関係を超えて、後続の作り手たちにどう引き継がれていったかである。
その答えの一端は、東宝における「特技監督」という肩書の継承のされ方に表れている。円谷英二を初代とすれば、『ゴジラ』の撮影から東宝特撮に
携わってきた有川貞昌が2代目にあたる。有川は円谷の愛弟子として厚い
信頼を得ており、円谷英二譲りの合成技術を活かした画作りと、操演技術を駆使した怪獣演出に采配を振るった[i]。1970年に円谷が死去すると、円谷のもとで助監督・特技助監督を務め続けてきた中野昭慶が、1973年の『日本
沈没』で3代目の特技監督を襲名した[ii]。以後、川北紘一が4代目として
1980年代から90年代の東宝特撮を率い、その系譜は樋口真嗣、佛田洋、尾上克郎、田口清隆といった、現在も第一線で活動する作り手たちへとつながっている[iii]。本編監督と特技監督という体制は、本多と円谷という特定の二人の間で一度きり成立した個人的な関係ではなく、肩書とともに次の世代へ
受け渡されていく、一種の徒弟制的な組織構造として東宝の中に制度化されていったのである。
この制度化の実際を示す事例が、『日本沈没』(1973年)である。監督を
務めた森谷司郎は、本多や円谷の系譜に連なる人物ではなく、黒澤明作品でチーフ助監督を務めた経験を持つ、まったく別の出自の映画人だった。その森谷に、3代目特技監督となったばかりの中野昭慶が組み合わされた。中野は、怪獣映画とは異なるパニック映画というジャンルの重責を担い、この
起用に応えている[iv]。製作費は当時の金額で5億円、そのうち特撮費が2億5千万円だったと伝えられており、本編と特撮とに、ほぼ折半に近い予算が
配分されていたことになる[v]。本多・円谷の関係に見られたような緊張が、その後の分業体制すべてに等しく当てはまるわけではないことを、この配分は示唆している。制度として受け継がれた分業は、怪獣映画という発祥の
ジャンルを離れ、パニック映画という新しい文脈でも機能し、興行的な
大成功を収めた[vi]。
この分業のかたちは、東宝という一つの会社の外にも広がっていった。1995年に始まる平成ガメラ三部作では、金子修介が本編監督を、樋口真嗣が特技監督を務めている[vii]。樋口はこの仕事で日本アカデミー賞特別賞を受賞し、特技監督としての名声を確立したが、樋口自身のキャリアはそこにとどまらなかった。2005年の『ローレライ』で長編本編監督としてデビューし、2006年には『日本沈没』のリメイクを監督している[viii]。そして2016年の『シン・ゴジラ』では、総監督の庵野秀明とともに、監督と特技監督という二つの役職を、樋口一人が兼ねることになった[ix]。
本多と円谷という二人の間の分業として出発し、肩書の継承を通じて組織の制度へと定着していった体制が、六十年余りを経て、一人の作り手の中に再統合されていく――この動きについては、第7節で改めて庵野秀明を扱う際に詳しく見ることになる。
次節では、この本編監督と特技監督という二重の演出体制のもとで、長期にわたってシリーズそのものを支え続けた「職人監督」たちの仕事を見ていく。
[i] 三池敏夫「『特撮映画』を支えた体制」『日本特撮に関する調査』(文化庁委託・平成24年度メディア芸術情報拠点コンソーシアム構築事業、森ビル株式会社、2013年)41頁。
[ii] 「特技監督 中野昭慶氏の直筆絵コンテ資料」須賀川市公式ホームページ。https://www.city.sukagawa.fukushima.jp/tokusatsu/archive/chosa/3/3618.html ↩
[iii] 三池敏夫、前掲、41、46頁。有川貞昌は1967年『ゴジラの息子』で東宝における2代目特技監督に昇進し、1973年『日本沈没』で中野昭慶が3代目特技監督を襲名、1990年代にこれを川北紘一が引き継いだと記されている。
[iv] 三池敏夫、前掲、46頁。同書は、中野昭慶が38歳で3代目特技監督に就任し、『日本沈没』の重責を担ったと記している。
[v] 「日本沈没(1973年)」映画ナタリー。
[vi] 三池敏夫、前掲、46頁。同書は、東宝が邦画の記録を塗り替える大ヒットとなった『日本沈没』の功績を認め、この後東宝特撮陣が次々と大作映画を手がけることになったと記している。
[vii] 「金子修介、樋口真嗣両監督が証言!いまなお愛される「平成ガメラ三部作」」MOVIE WALKER PRESS。
[viii] 「樋口真嗣監督が特撮の歴史から技術まで幅広く語る特別講義「特撮の魂」を開催」多摩美術大学公式サイト、2023年12月13日。
[ix] 「シン・ゴジラ」映画.com。スタッフクレジット欄に、庵野秀明を総監督、樋口真嗣を監督および特技監督として記載。
