第5節 ウルトラマンはまれびと——沖縄の宇宙観という根
第4節末尾で触れた「外部から来て、支配せず、去っていく」という
ウルトラマンの構造は、単なる思いつきではない。この構造には、
脚本家自身の証言に裏付けられた、具体的な文化的起源がある。
1929年、民俗学者・折口信夫は、沖縄・八重山地方に伝わる来訪神信仰を
典拠として、「まれびと」という概念を提示した[i]。折口によれば、「客人(まれびと)」はもともと神と同義語であり、常世(とこよ)という、人間の国土の外側にある異界から、定期的に村を訪れる存在だった。石垣島の「まやの神」の例を挙げながら、折口はこの神の性格を、祝福と懲戒と
いう、相反する二つの役割と権利を併せ持った神が、人間の国土の外側からやってくる、と説明している[ii]。まれびとは、村を訪れて祝福をもたらし、時に村人の過ちを戒めたのち、長くとどまることなく、再び常世へと去っていく[iii]。
ここで強調すべきは、この理論が机上の思弁ではなく、沖縄・八重山地方に伝わる来訪神信仰の民俗誌的研究から立ち上げられたという点である。折口自身、記紀や『万葉集』にみえる「常世」を沖縄の「ニライカナイ」と関連づけることで、この理論を組み立てている[iv]。
この事実を踏まえたとき、『ウルトラマン』の脚本を金城哲夫とともに
支えた上原正三自身の証言は、決定的な重みを持つ。上原は、ウルトラマンの故郷である「光の国」について、次のように語っている。自分たちが育った琉球には古くからシャーマニズムの伝統があり、闇に潜むものや精霊を
畏れ、神々は自然界のあらゆる場所に宿るとされていた。金城にとって、
怪獣もまた一種の神という感覚があった。そのうえで、ウルトラマンが光の国からやってくるという発想は、海の向こうに光と豊穣の国があるとする
沖縄の「ニライカナイ」という他界観に、直接つながっているのだという[v]。
ここで、論理を慎重に組み立てる必要がある。上原の証言は、金城・上原が折口信夫の学説を直接参照したことを意味しない。むしろ重要なのは、その逆の経路である。折口の「まれびと」論自体が、金城・上原の出身地である沖縄の来訪神信仰——ニライカナイ的な他界観——を理論化したものだった。つまり、金城・上原とまれびと論は、直接の影響関係ではなく、共通の文化的水源を分け持つ関係にある。ウルトラマンが「外部の異界から来て、地上に介入し、功績を誇ることなく去っていく」という構造を持つのは、
偶然の一致でも、後付けの深読みでもなく、脚本家自身が意識的に依拠していた沖縄の宇宙観——まさに折口が理論化しようとしたのと同じ対象——に、直接根ざした結果だと考えられる。
この理解に立てば、ウルトラマンとまれびと論の接続は、本稿独自の恣意的な仮説ではなく、一次資料——脚本家自身の証言——に裏付けられた、根拠ある推論として位置づけ直すことができる。
もっとも、なお留保すべき点も残る。上原の証言は、金城個人の発想の淵源について、上原自身の解釈を交えて後年語られたものであり、1966年当時の制作過程で「まれびと」という語そのものが意識されていたかどうかまでは分からない。また、折口のまれびとが共同体の内部に対する「懲戒」の機能を強く持つのに対し、ウルトラマンの戦いは怪獣という外部の脅威にのみ
向けられ、地球人自身を戒める要素を持たない——この構造的な差異は、
なお有効な留保である。加えて、上原自身の言葉に見られる「怪獣もまた
一種の神」という感覚——怪獣を単純な悪ではなく、それ自体の存在価値を持つ精霊的な存在として捉える視点——は、折口のまれびと論よりも、
むしろ琉球のアニミズム的な自然観そのものに近く、両者を安易に一枚岩として扱うことも避けなければならない。
それでもなお、この接続には第1節・第2節で確認した「正義の味方」の哲学——正義そのものにはなれない、あくまでその側に立つ存在という、川内
康範の謙抑的な自己規定——と響き合うものがある。川内の哲学が本土の
仏教的素養(月光菩薩という脇仏)から立ち上がったのに対し、ウルトラ
マンの造形は、沖縄のシャーマニズム的宇宙観という、まったく別の水源
から、構造的に類似した「介入者」の型へとたどり着いている。異なる文化的起源を持つ二つの系譜が、独立に、しかしよく似た「外部から来て、支配せず、去っていく」というヒーロー像に収斂したという事実——これこそが、ウルトラマンという神話が、単一の作家の発明品ではなく、複数の文化的水脈が合流する場所に立っていたことを示している。
もっとも、ウルトラマンの身体そのものにも、ウルトラマンが「支配せず、去っていく」ことを可能にする、もう一つの仕掛けが埋め込まれている。
地球での活動時間を3分間に限るという、あの「カラータイマー」の制約である。次節では、この3分間という設定が、いかに神話化されていったのかを見ていく。
[i] 「まれびと」の称は1929年(昭和4年)、民俗学者の折口信夫によって提示された。彼は「客人」を「まれびと」と訓じて、それが本来、神と同義語であり、その神は常世の国から来訪することなどを現存する民間伝承や記紀の記述から推定した。折口のまれびと論は「国文学の発生〈第三稿〉」(『古代研究』所収)によってそのかたちをととのえる。折口信夫「国文学の発生(第三稿)まれびとの意義」(青空文庫)は、沖縄・八重山地方に伝わる「まやの神」「あんがまあ」「赤また・黒また」「長者の大主」などの来訪神信仰の事例を典拠として、まれびと理論を組み立てている。
[ii] 折口信夫「『とこよ』と『まれびと』と」(青空文庫)。石垣島の「まやの神」は、農業の始めに村に渡って来て、家々を訪れ、その年の農業のことや家人の心を励ますような言葉を述べて回る。折口はこうした神々について、唯祝福と懲戒の責任と権利とを持った一種の神が、人間の国土の外から来る、と説明している。
[iii] 来訪神のまれびとは神を迎える祭などの際に、立てられた柱状の物体(髯籠・山車など)の依り代に降臨するとされた。その来たる所は海の彼方(沖縄のニライカナイに当たる)、後に山岳信仰も影響し山の上・天から来る(天孫降臨)ものと移り変わったという。折口信夫「国文学の発生(第四稿)」(青空文庫)は、来訪した常世神を邑落の神事において「快く海のあなたへ還らせようとする」と記述している。
[iv] 小川直之「折口信夫と沖縄文化――折口学の根底」國學院大學メディア(2022年5月19日)。折口は大正10年・12年に沖縄島を巡り、久高島・津堅島・伊平屋島、宮古島を経て石垣島を訪ねている。記紀や『万葉集』にある「常世」を沖縄のニライカナイと関連づけて常世論を進展させ、海彼から来訪する神が八重山にはアンガマア、アカマタ・クロマタ、マユンガナシとして祭られていることから、こうした来訪神に「まれびと」の名辞を与え、理論を構築した。
[v] 板倉君枝・大谷清英「ウルトラマンに込めたマイノリティーへの視線」nippon.com、2016年11月29日。
