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第6節 職人監督たちの系譜

「職人監督」という呼び方は、しばしば没個性という意味に誤解される。
しかし、以下で見る監督たちを貫いているのは、個性の欠如ではなく、個性を作品全体のブランドより優先しないという職業倫理である。彼らの多くは、撮影所や制作会社の末端――助監督、光学撮影、特撮の現場作業――から出発し、先行する作り手のもとで長く修業を積んだのち、監督として自立していった。そしてその作業の積み重ねの中で、それぞれに固有の作風を、意図せずして刻み込んでいくことになる。

長石多可男は1945年、広島県生まれ。1971年から『仮面ライダー』に助監督として参加し、原作者・石ノ森章太郎が自ら監督した回では、事実上の
共同演出を務めている[i]。1976年にテレビドラマ初監督、1987年に映画初監督を果たした後、2000年の『仮面ライダークウガ』以降は平成仮面ライダーシリーズの中心的な演出家となり、『仮面ライダー剣』『仮面ライダー電王』などを手がけた。2013年、68歳で死去している[ii]。

田崎竜太は1964年、東京都生まれ。早稲田大学在学中の1987年、『仮面ライダーBLACK』のサード助監督としてキャリアを始めた。以降、先輩助監督たちのもとで、東映特撮の現場での経験を長く積んでいる[iii]。『仮面ライダー龍騎』では8話を演出したほか、テレビスペシャルと劇場版も手がけた[iv]。その後も『仮面ライダー555』(2003年)までパイロット監督を務め、東映特撮を離れた時期には『Sh15uya』(2005年)や『小さき勇者たち〜ガメラ〜』(2006年)を手がけ、2013年からは『科捜研の女』にも継続的に参加している。2020年の『魔進戦隊キラメイジャー』で約22年ぶりにスーパー戦隊シリーズへ復帰した後は、2021年『機界戦隊ゼンカイジャー』、2022年『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』、2025年『ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー』とテレビシリーズ・劇場版の双方で監督を務め続けており、2026年には自身がパイロットを務めた『仮面ライダーアギト』の続編にあたる
劇場作品『アギト 超能力戦争』の監督も務めている[v]。

村石宏實は1947年、東京都生まれ。1967年に円谷プロダクションへ入社し、光学撮影部の技術スタッフとして『ウルトラマン』『ウルトラセブン』に参加した。『怪奇大作戦』終了後、助監督に転向し、三船プロダクションや東映などで経験を積んだのち、1973年に自主映画『OH!カオ』で監督デビューを果たしている[vi]。1993年に円谷プロへ復帰し、平成ウルトラシリーズ(『ティガ』『ダイナ』『ガイア』)の常連監督となった。ウルトラシリーズでスーツアクターを務めた権藤俊輔は、村石からはキャラクターについての具体的な指示を一切受けず、自分たちで考え抜いた演技プランを求められていたと証言している[vii]。台詞やドラマの制御ではなく、演者の解釈そのものに演出の余地を委ねるというこの姿勢もまた、村石という一人の
職人監督の個性の現れだったと言える。

北浦嗣巳は1952年、千葉県生まれ。東京造形大学在学中、実相寺昭雄監督の『あさき夢みし』(1974年)にアルバイトとして参加したのを機に、実相寺率いる制作集団「コダイ」に加わった。円谷プロダクションの『恐竜大戦争アイゼンボーグ』(1977年)に助監督として参加した後、実相寺のもとでチーフ助監督を長く務めている[viii]。第3節で見た佐々木守の盟友でもあった実相寺の薫陶を受けたこの経歴は、社会批評的な脚本家たちの系譜と、職人
監督たちの系譜とが、実相寺という一人の演出家を介してひそかに交差していたことを示している。1994年の『西遊記』で本編監督と特技監督を一人で兼任してデビューし、1996年の『ウルトラマンティガ』以降は平成ウルトラシリーズの常連スタッフとなった。

田口清隆は1980年、北海道室蘭市生まれ。中学生の頃から自主映画製作に
没頭し、20代は助監督・美術助手・視覚効果助手として現場を経験しながら、自主製作の怪獣映画『大怪獣映画 G』を手がけた。その後、5年連続でウルトラマンシリーズのシリーズ監督を務めている[ix]。田口の仕事は円谷
プロダクションの枠にとどまらない。2022年の東映作品『仮面ライダーBLACK SUN』では特撮監督を務めており、映画監督と特技監督という二つの肩書を、円谷・東映という会社の垣根を越えて行き来している[x]。長石・田崎・村石・北浦、そして石田秀範や竹本昇といった監督たちが東映・円谷それぞれの内側で築いてきた職人監督の系譜は、田口の世代に至って、一人の作り手が会社の垣根そのものを越えて渡り歩く働き方へと姿を変えつつ
ある。

助監督、光学撮影、特撮の現場作業――華やかな職能とは言いがたい場所から出発し、先行する作り手のもとで長く修業を積み、シリーズという構造を誰よりも忠実に支え続けたのが職人監督たちである。

次節では、この職人監督たちの対極に位置づけられることの多い、作家監督としての庵野秀明を見ていく。



[i] 「長石多可男監督が死去 「平成仮面ライダー」など東映ヒーロー支える 享年68歳」シネマトゥデイ。長石は1945年1月7日生まれで広島県江田島市出身、1971年から『仮面ライダー』に助監督として携わったと報じている。「仮面ライダー〔84〕 危うしライダー!イソギンジャガーの地獄罠」放送ライブラリー公式ページ、公益財団法人放送番組センター。同話のクレジットに「監督:石ノ森章太郎、監督補:長石多可男」と記載されている。
[ii] 「長石多可男監督が死去 「平成仮面ライダー」など東映ヒーロー支える 享年68歳」シネマトゥデイ。
[iii] 「第1回 田﨑竜太監督 前編」映像∞文化のまち ねりま。大学在学中の1987年に『仮面ライダーBLACK』へサード助監督として参加した経緯、および東映東京撮影所での長年の経験について、田﨑本人が語っている。
[iv] 「第11回 映画監督 田﨑竜太さん その1」練馬アニメーションサイト。
[v] 「田﨑竜太:プロフィール・作品情報・最新ニュース」映画.com。「新スーパー戦隊『ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー』脚本は井上亜樹子氏が大抜てき 父は『ドンブラザーズ』井上敏樹氏 監督は田崎竜太氏」ORICON NEWS、2024年12月25日。
[vi] 白石雅彦「村石宏實 監督」『別冊映画秘宝 『電人ザボーガー』&ピー・プロ特撮大図鑑』洋泉社〈洋泉社MOOK〉、2011年11月14日、56-59頁。
[vii] 「[インタビュー]権藤俊輔」『宇宙船』vol.169(SUMMER 2020.夏)、ホビージャパン、2020年8月3日、96-97頁。
[viii] 「監督インタビュー 北浦嗣巳」『宇宙船YEAR BOOK 1999』朝日ソノラマ〈宇宙船別冊〉、1999年5月1日、50頁。「実相寺組インタビュー 北浦嗣巳」『別冊映画秘宝 実相寺昭雄研究読本』洋泉社〈洋泉社MOOK〉、2014年6月15日、212頁。
[ix] 「ウルトラマンシリーズを手がける監督・田口清隆 書き下ろし!」GREENFUNDING。田口自身の言葉による、中学生時代からの自主映画製作、20代の助監督・美術助手・視覚効果助手としての経験、5年連続でのウルトラマンシリーズ監督について。
[x] 「白石監督×樋口氏×田口氏による特別インタビュー記事公開」仮面ライダーWEB【公式】、東映。田口清隆が『仮面ライダーBLACK SUN』の特撮監督として参加した経緯を、田口本人が語っている。

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