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第3節 円谷英二、もう一つの戦場へ——独立という名の半独立

『ウルトラマン』を生み出すことになる円谷プロダクションの設立は、独立への意志から始まった物語ではない。その出発点にあるのは、円谷英二が
味わった一つの挫折である。

1960年、当時プロデュース業に進出していたアメリカの俳優カーク・ダグラスが、円谷にアニメ映画の監督を依頼する話を持ちかけた[i]。これに応じた円谷は、アニメ制作会社ピー・プロダクションを設立していた鷺巣富雄に
協力を依頼し、「TSプロダクション」の設立構想へと発展させた[ii]。しかしこの構想は頓挫して、アニメ制作は実現しなかった[iii]。

つまり円谷プロダクションという組織の起点には、アニメという新分野への進出の話に食らいついた円谷自身の意欲が働いていた。

円谷特技プロダクションという組織は、1963年に忽然と現れたわけでは
ない。その起点は、円谷が公職追放中の1948年(昭和23年)、私邸内に設立した「円谷特殊技術研究所」にまで遡る。追放解除後いったん休眠していたこの研究所は、1956年(昭和31年)、円谷の自宅内に改めて設立され、さらにテレビ映画やCM制作という新しい需要に対応すべく、1963年(昭和38年)4月12日、円谷自身を社長とする「円谷特技プロダクション」として
正式に会社登記されるに至った[iv]。この新会社には、東宝からの資本が投じられている[v]。「独立」という言葉が連想させるような、東宝との関係を
断ち切っての船出ではなかったのである。

円谷英二の長男・円谷一はTBSに、次男・円谷皐はフジテレビに、それぞれ入社しており[vi]、この会社が既存のテレビ・映画業界の人脈網の内側で立ち上げられたことを示している。「独立」というより、東宝という母体を保持したままの拡張------「半独立」と呼ぶ方が実態に近い。
この半独立という性格は、設立直後の危機によって、さらに明確な形で露呈することになる。

円谷特技プロダクションが最初に本格的に取り組んだテレビ企画は、実は
1本ではなく2本立てだった。フジテレビ向けには、地球人に協力する宇宙
からの正義の味方を主人公とする『WoO(ウー)』が、TBS向けには、自然界のバランスが崩れたらという設定の『UNBALANCE』が、それぞれ並行
して進められていたのである[vii]。この企画の実現に向けて円谷は、合成に不可欠なオックスベリー社製のオプチカル・プリンターの発注を決断する[viii]。ところが『WoO』は契約上のトラブルで頓挫してしまう。それでも
発注したオプチカル・プリンターはすでに船積みされて日本に向かって
おり、当時の邦貨で数千万円ともいわれるこの機械の代金を、作品を失った円谷特技プロが単独で負担するあてはなかった[ix]。

この危機を救ったのは、皮肉にも、映画界とは別の場所------テレビ局側の
判断だった。最終的にTBS編成局の決断により特殊撮影室が設置され、機械の引き取り先が確保されたのである[x]。円谷特技プロはこのオプチカル・
プリンターを活かすべく『UNBALANCE』の準備に本腰を入れ、1964年
(昭和39年)8月、制作が正式に決定した。この企画は後に『ウルトラQ』と改題され、TBSは「世界のツブラヤ」の知名度を生かした海外展開も
見据え、当時としては破格の制作費を投じたとされ、1966年(昭和41年)
1月から放映を開始することになる[xi]。

ここに、円谷プロダクションという組織の性格が凝縮されている。この会社は、東宝からの半独立という形で生まれ、フジテレビとの企画が頓挫し、
その穴を埋めるためにTBSに救済されるという、決して計画的とは言えない紆余曲折の末に、次の仕事にたどり着いている。「独立した精鋭集団が
新しい戦場を切り拓いた」という物語ではなく、「見通しの甘い設備投資が経営危機を招き、その都度、別の後ろ盾に救われながら、なんとか作品を
作り続けた」という実態の方が、史実に近い。この危うさは、後年まで円谷プロにつきまとうことになる。

もっとも、この危うい船出こそが、結果として『ウルトラマン』へと
つながる道を開いた。次節では、『UNBALANCE』が『ウルトラQ』へ、
そして『ウルトラマン』へと姿を変えていく過程——怪獣だけの世界に
ヒーローが立つまでの経緯——を見ていく。



[i] 講談社編『キャラクター大全 特撮全史―1950~60年代 ヒーロー大全』講談社、2017年、154頁。
[ii] 同上。
[iii] 同上。
[iv] 氷川竜介「2.2.1 円谷英二による『特撮の主役化』の戦後史と特撮専門会社『円谷プロダクション』の成立」(庵野秀明・樋口真嗣監修)『日本特撮に関する調査』メディア芸術総合情報事務局、2013年、31頁。https://mediag.bunka.go.jp/article/tokusatsu_report-916/
設立日(1963年4月12日)は円谷プロダクション公式サイト「企業情報」でも確認できる。
[v] 氷川、前掲論文、32頁。
[vi] 氷川、前掲論文、31-32頁。
[vii] 氷川、前掲論文、32頁。
[viii] 同上。
[ix] 同上。原文は機械の代金を「当時の邦貨で数千万円もするもの」とする。
[x] 同上。
[xi] 同上。

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