第3節 ガメラの逆襲――金子修介・樋口真嗣が証明したこと
平成ゴジラが対戦相手を消費しながら自らの主題を薄めていったのとほとんど同じ時期、もう一つの怪獣は、まったく逆の方向に進んでいた。1965年から1971年まで大映が製作を続けた「昭和ガメラ」シリーズは、当初から子供の味方という位置づけの怪獣であり、東宝のゴジラシリーズに対する、予算の乏しい会社による対抗企画という側面を色濃く持っていた[i]。その大映も1971年に事実上倒産し、以後ガメラは長く休眠状態にあった。
1995年、この休眠状態のガメラを甦らせたのが、監督・金子修介、脚本・
伊藤和典、特技監督・樋口真嗣による『ガメラ 大怪獣空中決戦』である。
企画時点での予算はわずか5億円で、当初、金子と伊藤はむしろ『ゴジラVSモスラ』への参加を望んでおり、決して乗り気ではなかったという。低予算ゆえに一時はギャグ路線への転換すら検討されたが、金子の要望を受けて
徳間書店が日本テレビ・博報堂と契約を結んで予算を確保し、当時まだ実績のなかった樋口真嗣を特技監督に迎えることで、王道の怪獣映画を目指す
方針が固まった[ii]。
『ガメラ 大怪獣空中決戦』は、それまでの怪獣映画にないリアリティを
追求した脚本と、大胆なCGを導入した映像が話題を呼んだ[iii]。1995年と
いう公開年は、阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件という現実の災厄と
重なった年でもあり、これらの影響もあって興行的な大ヒットには至らなかったが、怪獣映画として史上初めてキネマ旬報の邦画ベストテンに入り、
ヨコハマ映画祭監督賞・ブルーリボン賞など複数の映画賞を獲得することになる[iv]。
ここで重要なのは、この経緯を金子・樋口という個人の作家的意図だけに
一元化して語らないことである。大映の企画部から「ゴジラの仇をガメラで取りませんか」と持ちかけられたことが平成『ガメラ』始動の直接のきっかけになったとはいえ、これを字義通りの「仇討ち」企画と読むのは誤解を
招く。金子自身、一人の特撮ファンとして当時の平成ゴジラシリーズの
ストーリーに不満を抱いていたことを自著で振り返っており、この誘いが
金子の中で受け入れられた背景には、単なる企画上の思いつき以上の、
ファンとしての実感があったと見るべきだろう。また脚本の伊藤和典は3作すべてで金子とコンビを組んでおり、シリーズの思想的な骨格を金子個人の作家性だけに還元することもできない[v]。樋口真嗣自身も、第1作を振り返って「時間も予算もなく、正直に言うと1作目は妥協の産物。高い評価を
いただけたのは各々のスタッフが頑張ってくれたことと、金子監督の協力に尽きます」と、共同作業としての性格を強調している[vi]。
第2作『ガメラ2 レギオン襲来』(1996年)は、この路線をさらに先鋭化させた。自衛隊の全面協力のもと、宇宙から飛来した群体生物レギオンとの
戦いを緻密な科学考証で描き、映画作品として初めて日本SF大賞を受賞した[vii]。とりわけ、自衛隊が、本作ではガメラと協力してレギオンに立ち向かう組織として描かれている。陸・海・空の実際の装備を用いた戦闘描写や、出動に至るまでの手続きを丁寧に追う演出は、それまでの怪獣映画にない
水準のリアリズムを備えており、防衛大学校の相澤輝昭准教授も、平成ガメラ三部作を、自衛隊の活動をより正確に紹介しようとする1990年代エンタメ作品の傾向を代表する例の一つとして位置づけている[viii]。
シリーズは1999年の第3作『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』をもって幕を閉じる。金子監督自身の証言によれば、三部作という構想は当初からあったわけではなく、1作目の時点ですでに2作目の製作が決まっていたものの、1、2作目とも高い評価を得ながら目標としていた配給収入10億円にわずかに届かず、3作目の製作許可はなかなか下りなかったという。3作目もまた目標に届かなかったことが、シリーズがここで終わった直接の理由であり、金子は、もし3作目が大ヒットしていれば4作目、5作目と続いていたかもしれないと述べている[ix]。
つまり、平成ガメラ三部作の「革新」もまた、無条件の成功物語ではなかった。それは、平成ゴジラシリーズに対する不満という土壌から、乏しい予算と限られた上映条件のもとで生み出され、興行的な目標には届かないまま、作品としての評価を勝ち取った、逆説に満ちた「革新」だったのである。
次節では、この同じ1990年代に、ウルトラシリーズがどのようにして自らの主題を根本から問い直し、「再生」へと至ったのかを見ていく。
[i] 「ゴジラ (平成VSシリーズ)」の前段の歴史として、氷川竜介ほか『日本のメディア芸術の潮流と表現の変遷に関する調査』文化庁、2013年、19頁。同書によれば、大映は1965年から1971年まで毎年『ガメラ』シリーズを製作し続けた。
[ii] 電撃ホビーマガジン編集部編『平成ガメラパーフェクション』KADOKAWA〈DENGEKI HOBBY BOOKS〉、2014年、200-205頁「平成ガメラ スタッフインタビュー 金子修介」。
[iii] 坂口将史「『特撮のDNA 〜平成ガメラの衝撃と奇想の大映特撮』レポート」メディア芸術カレントコンテンツ(文化庁)、2020年4月17日。同記事は、ファミリー向けエンターテインメントとして幅広い層に受け入れられていたゴジラに対し、ガメラは高い情報量のミニチュアセット、オープン撮影の多用、人の目線を意識したローアングルからの撮影といった手法によるハイクオリティな画面と、「現代の社会に怪獣が出現したらどうなるか」をリアルにシミュレートした硬派なシナリオで迎え撃ち、特撮ファンをはじめとする多くの人々から高い評価を得たと述べている。
[iv] 久保田和馬「金子修介、樋口真嗣両監督が証言!いまなお愛される『平成ガメラ三部作』"特撮"の魅力とは」MOVIE WALKER PRESS、2021年4月16日。
[v]竹之内円「金子修介監督、平成ガメラ三部作を語る!令和ガメラにも『やる気十分』」MOVIE WALKER PRESS、2021年1月28日。金子修介本人の証言として、1992~93年頃、大映の企画部から「ゴジラの仇をガメラで取りませんか」と誘われたことが、平成『ガメラ』始動のきっかけとなったと語られている。金子修介『ガメラ監督日記 完全版』小学館クリエイティブ、2024年、111-118頁。金子自身が一人の特撮ファンとして、当時の平成ゴジラシリーズのストーリーに不満を抱いていたことが記されている。 「ガメラ 大怪獣空中決戦」映画.com。スタッフ表に脚本・伊藤和典と記載されている。「ガメラ2 レギオン襲来」映画.comも参照。脚本が伊藤和典であることが、他作品と同様スタッフ表に記載されている。「ガメラ3 邪神<イリス>覚醒」映画.comも参照。脚本・伊藤和典、金子修介と記載されており、3作全てで金子・伊藤のコンビが継続したことが、各作品のスタッフ表を個別に確認することで裏付けられる。
[vi] 久保田和馬「金子修介、樋口真嗣両監督が証言!いまなお愛される『平成ガメラ三部作』"特撮"の魅力とは」MOVIE WALKER PRESS、2021年。樋口真嗣本人の言葉として、第1作が「時間も予算もなく、正直に言うと1作目は妥協の産物」であり、高い評価は各スタッフと金子監督の協力によるものだという述懐が紹介されている。
[vii] 「ガメラ2 レギオン襲来」映画.com。自衛隊の全面協力によるリアリティが高く評価され、映画作品として初めて日本SF大賞を受賞したことが紹介されている。日本SF大賞の歴代受賞作一覧は、同賞を主催する日本SF作家クラブの公式サイトでも確認できる。
[viii] 「自衛隊が初めて全面協力した特撮映画はゴジラ? ガメラ? 平成シリーズで変化」MAMOR-WEB、2023年5月5日。防衛大学校・相澤輝昭准教授へのインタビューとして、平成ガメラシリーズが実物の装備や出動手続きを丁寧に描いた「リアルな自衛隊像を描いた特撮シリーズ」であり、この時代のエンタメ作品には自衛隊の活動を正しく紹介しようとする傾向が見られると指摘されている。
[ix] 「金子修介監督、平成ガメラ三部作を語る!令和ガメラにも『やる気十分』」MOVIE WALKER PRESS、3ページ目。
