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第1節 ウルトラシリーズの挫折と15年の空白

1996年、『ウルトラマンティガ』の登場をもって「再生」を果たしたと
語られるウルトラシリーズだが、この「再生」という言葉の重みを正しく
測るためには、まずそれ以前に何が失われていたのかを確認しておく必要がある。ウルトラシリーズは、平成三部作に至るまでに、少なくとも二度、
実質的な死を経験していた。

第一の死は、1975年に訪れた。1974年4月から放送された『ウルトラマン
レオ』は、第二次怪獣ブームと変身ブームの熱気がすでに沈静化し[i]、
第一次オイルショックによる物価高騰が特撮番組の制作費を直撃するという、シリーズにとってもっとも不利な時期に立ち上げられた作品だった[ii]。1971年の『帰ってきたウルトラマン』からわずか数年のうちに、シリーズを取り巻く熱狂の潮目は大きく変わっていた。全51話が放送されたのち[iii]、
実写のウルトラシリーズはここで一旦幕を閉じる[iv]。

この「幕引き」を、単に一つの番組が終わったという以上の出来事として
捉える必要がある。『レオ』は、シリーズの高揚期にも、変革期にも、新規開拓期にも乗ることのできなかった作品として位置づけられており、その
終了は当時すでに、ウルトラシリーズという枠組みそのものの限界を映す
出来事として受け止められていた[v]。

この空白は5年続いた。児童誌でのウルトラマン漫画連載が人気を保ち、
キャラクターとしての人気の火は消えていなかったにもかかわらず、新作
テレビシリーズは作られなかった[vi]。1979年、ようやく再開の試みとして送り出されたのが『ザ☆ウルトラマン』である。だがこの再開は、実写ではなくアニメーションという、シリーズ史上初めての形をとっていた。

なぜ実写ではなくアニメだったのか。背景には、『宇宙戦艦ヤマト』に象徴されるアニメブームの追い風という事情と同時に、円谷プロの財政をなお
圧迫し続けていた制作予算の問題があったとされる[vii]。実写特撮に不可欠なミニチュアや着ぐるみ、光学合成といった手間とコストのかかる工程を
経ずに「ウルトラマン」を映像化できるという点で、アニメという形式は、財政難にあえぐ制作体制にとって現実的な選択肢だった。『ザ☆ウルトラマン』は、シリーズの本流というより、あくまで実写路線が本格的に再開されるまでの繋ぎとして記憶されることになる。

1980年に放送が始まった『ウルトラマン80』は、この意味で、実写ウルトラシリーズの本格的な再起の試みだった。ここで注目すべきは、この再起に
あたって円谷プロとTBSの間に、シリーズの方向性そのものをめぐる路線
対立があったとされることである。円谷プロの元社長・円谷英明の回顧に
よれば、円谷プロ側は従来路線の踏襲を望んだのに対し、TBS側のプロデューサー陣は「80年代のウルトラマンが、それまでと同じでいいはずがない」という立場を取り、当時の社会情勢を踏まえた結果として、主人公が中学校教師を兼ねるという新機軸が導入されたという[viii]。ただしこれも、後に
同社の経営から離れることになった当事者自身による単一の証言であり、
他の記録と照らし合わせて慎重に扱う必要がある点は、後述する「教師編」終了の経緯と同様である。主人公・矢的猛は、教師、UGM隊員、そしてウルトラマンという三つの役割を同時に担うことになる[ix]。

この「教師編」を、単純な視聴率不振による失敗として片づけることには
慎重でありたい。「教師編」は第12話をもって事実上終了し、以後の矢的は学校での勤務を描かれなくなるが[x]、その正確な理由については、証言が
一致していない。円谷英明は、自著の中でこの時期の円谷プロとTBSの関係の軋みについて詳しく記しているが[xi]、この証言は慎重に扱う必要がある。いずれにせよ確実に言えるのは、「80年代のウルトラマンをどう再定義するか」という問い自体は真剣に追求されたということであり、教師編の短命さは、その模索が不十分な形でしか結実しなかったことの現れとして理解すべきだろう。

『ウルトラマン80』の放送終了とともに、実写ウルトラシリーズは再び長い沈黙に入る。今度の空白は、『ザ☆ウルトラマン』と『80』を挟んでもなお、15年続くことになる。1996年に『ウルトラマンティガ』が登場するまで、ウルトラシリーズは二度目の、そしてより長い死を経験していたことになる。

二度の挫折という前史を踏まえたとき、平成三部作の「再生」という言葉は、単なる新シリーズの開始以上の意味を帯びてくる。それは、レオの燃え尽きと、ザ☆ウルトラマンの繋ぎと、80の模索と頓挫という、三度にわたる試行錯誤の果てに、四度目にしてようやく見出された答えだったからである。次節では、この同じ1990年代に、対照的な軌跡をたどっていた怪獣――ゴジラ――に目を向ける。



[i] コートク「ゴジラ60年の歴史を振り返る 第4回」おたくま経済新聞、2014年11月28日。
[ii] 放送期間中の社会情勢については、テレビマガジン編集部「時代の狭間にあったヒーロー『ウルトラマンレオ』を正当に評価する」TELEMAGA.net(講談社)、2022年12月27日参照。加々美利治「オイルショックで味方全滅! 問題の数々が熱いドラマに昇華『ウルトラマンレオ』50年」マグミクス、2024年4月12日。
[iii] 二重作昌満「【お前の涙でこの地球が救えるか!】獅子の瞳が輝いて!ウルトラマンレオの成長とその後の物語とは?」Yahoo!ニュース エキスパート、2026年1月31日。
[iv] 加々美、前掲。
[v] テレビマガジン編集部、前掲。同記事は、『レオ』がシリーズの高揚期・変革期・新規開拓期のいずれの波にも乗れなかった作品だったと位置づけている。
[vi] 二重作昌満「【よみがえる究極のウルトラ超伝説!】昭和ウルトラマンと謎の超人メロスが繰り広げた熱き戦いの物語とは?」Yahoo!ニュース エキスパート、2025年6月28日。同記事によれば、漫画『ザ・ウルトラマン』は1975年から小学館の学習雑誌『小学三年生』で連載が開始され、その後も度々復刊されるなど人気を保った。
[vii] 片野「不評だったアニメ版『ウルトラマン』は『円谷プロ』を救っていた? ファンの声で歴史は思わぬ方向へ」マグミクス、2026年4月19日を参照。同記事は、『宇宙戦艦ヤマト』などによるアニメブームの渦中であったことと、当時の円谷プロの制作予算の逼迫を、アニメ化の背景として挙げている。
[viii] 円谷英明『ウルトラマンが泣いている――円谷プロの失敗』講談社現代新書、2013年、51-55頁。同書は円谷プロ6代社長を務めた著者による回顧録であり、円谷プロが従来路線の踏襲を望んだのに対し、TBS側のプロデューサーを中心に「80年代のウルトラマンが今までと同じでいいはずがない」という意見がまとまり、教師設定の導入に至ったという経緯を記している。
[ix] 二重作昌満「【ウルトラマンは中学教師!】一所懸命!ウルトラマン80と1年E組の生徒達との27年ぶりの再会とは?」Yahoo!ニュース エキスパート、2026年3月24日。
[x] 二重作昌満、前掲。教師編が第12話を最後に描かれなくなったことが記されている。
[xi] 円谷英明、前掲。同書は円谷プロとTBSの関係の変遷についても記述している。

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