第2節 五色・五人・五つの役割――「多様性の中の統一」の内実
ゴレンジャーが確立したのは、色分けという記号だけではない。5人のうち
1人を女性に据えるという編成もまた、以後半世紀続く戦隊フォーマットの定番となった。しかし、この「紅一点」という構造は、単純な女性の周辺化として片づけられるものではない。
モモレンジャーに変身するペギー松山は、それまでの特撮ヒーロー番組に
おける女性の扱いから、明確に一線を画す形で設計されている。従来の
ヒーロー番組において、女性の役割は基地で通信を担当する補佐役か、敵に捕らわれる人質要員にとどまっていることが多かった。これに対しモモ
レンジャーは、他の4人の男性メンバーと対等な戦士として、継続的に戦うヒロインとして描かれた最初の例である[i]。鈴木美潮によれば、先行する『好き!すき!魔女先生』や『トリプルファイター』にも戦うヒロインは
存在したが、それらと一線を画す「本格的な戦士」としての描写は、
ゴレンジャーにおいて初めて確立されたとされる[ii]。
この設計は、プロデューサー平山亨自身の問題意識に基づくものだったと
伝えられている。平山は、戦うヒロインを登場させた理由として、子供たちの「ヒーローごっこ」における女子の不遇な扱いを挙げていた。当時の主流だった『仮面ライダー』を題材にごっこ遊びをする場合、女子に割り当て
られる役柄は、怪人「蜂女」のような敵役か、さらわれるだけの人質役しかなかったからである[iii]。ゴレンジャー放映後、男子と女子が入り混じって「5人そろってゴレンジャー!」と名乗りポーズを真似る光景を目にした
平山は、「心底うれしかった」と語ったとされる[iv]。
もっとも、この「対等性」の評価を額面通りに受け取ることには、留保が
必要である。若松孝司は、モモレンジャーが実際に使用した武器の種類数――赤・黄の6種類、青の5種類に対し、桃・緑はわずか3種類にとどまる――という数量的な非対称性を根拠に、モモレンジャーが担っていたのは
戦闘そのものにおける主役ではなく、爆発物処理という頭脳労働を通じて
メンバーを支える「戦闘補助要員」としての役割だったと指摘している[v]。この観点に立てば、モモレンジャーが「対等」な立場を許されたのは、体力面での劣位を「優しさ・賢さ」による貢献で埋め合わせたからにほかならず、これは斉藤美奈子が「たくさんの男性と少しの女性」「『職場の花』としての紅の戦士」と呼んだ構図と地続きの評価だということになる[vi]。
ゴレンジャーが切り拓いたのは、女性を人質役から救い出したという意味
での前進であると同時に、性役割分業を戦隊というフォーマットの内部構造そのものに組み込んだ、最初の事例でもあったのである[vii]。
戦う対等な戦士として描かれながらも、それでもなお「5人のうち1人」と
いう比率そのものは動かなかった。この非対称性を象徴する偶然の符合として、しばしば指摘されるのが、モモレンジャーが登場した1975年が、国連が定めた国際婦人年だったという事実である[viii]。この符合が制作陣の意図によるものだったことを示す証拠はなく、あくまで結果的な一致として扱うべきだが、時代の空気とフォーマットの設計とが、無関係ではなかった可能性を示唆してはいる。
「紅一点」という比率は、その後も長く戦隊フォーマットの基本形であり
続けた。この構造が実際に動き始めるのは、1984年の『超電子バイオマン』で女性メンバーが2人に増員されて以降のことであり、これは翌1985年の
男女雇用機会均等法成立に先立つ変化だった。さらに1991年の『鳥人戦隊ジェットマン』では、女性が初めて司令官という管理職の役に就いている[ix]。「紅一点」という昭和の型が、令和の戦隊でどう再検討されることになるのかについては、フォーマットそのものの意図的な解体が進む時期を扱う第19章で、改めて論じることにしたい。
[i] 宮内洋×鈴木美潮「『スーパー戦隊シリーズ』50年の歴史に幕……初代ゴレンジャーが語るヒーロー番組の本髄」中央公論.jp、2026年2月16日。
[ii] 鈴木美潮『昭和特撮文化概論 ヒーローたちの戦いは報われたか』集英社クリエイティブ、2015年、124-125頁。ただし、変身ヒーローでない作品を含めれば、1964年から1966年にかけてテレビ放送された『忍者部隊月光』でも女性隊員の三日月と銀月が登場している。
[iii] 同書、126頁。
[iv] 同上。
[v] 若松孝司「ジェンダーフリーの時代の特撮ヒーロー/ヒロイン像」『愛知淑徳大学論集 文化創造学部・文化創造研究科篇』第9号、2009年、52頁。
[vi] 若松、前掲、52頁。同頁は斉藤美奈子『紅一点論――アニメ・特撮・伝記のヒロイン像』(ちくま文庫、2001年)7頁・48頁の表現を引用しつつ、この構図を論じている。
[vii] 本文(この対等性評価を性役割分業の内部化として位置づける結論)は、外部資料からの引用ではなく、本書独自の分析(根拠ある推論)である。
[viii] 宮内×鈴木、前掲。
[ix] 同上。
