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第5節 大野剣友会からJAC/JAEへ――擬斗の担い手の交代

大野剣友会が確立した殺陣の様式は、しかし東映特撮の現場に半永久的に
君臨し続けたわけではなかった。1970年4月、俳優の千葉真一を中心に
ジャパンアクションクラブ(JAC)が設立される[i]。当初、JACは大野剣友会が擬斗を担当する『仮面ライダー』『超人バロム1』といった作品に、
スタントやトランポリンなど補助的な役割で参加するに過ぎなかった。
しかし1973年の『ロボット刑事』からはJAC単独で擬斗を担当するようになり、以後、東映特撮のスーツアクションを供給する主体は、徐々に大野剣友会からJACへと移っていく[ii]

この移行の背景には、複数の事情が絡み合っていたと見られる。大野剣友会側では、後継者候補と目されていた高橋一俊の退会・独立(1976年)や、
看板作品の一つであった『秘密戦隊ゴレンジャー』の途中降板、そして1980年に大野幸太郎が代表の座を岡田勝に譲り会長に退いたことといった要因が重なったとされる[iii]。同時に、JACは剣術や柔道を基盤とする大野剣友会とは異なり、空手を主体とする格闘技的なアクションと、体操を基本とする
華麗な身体表現を売りにしており、両者はそもそもスタイルの異なる集団だった[iv]。大野剣友会が体現していた、時代劇由来の「殺陣」という様式的な身体技法(第4節)に対し、JACが持ち込んだのは、より直接的にスポーツ的な身体能力を前面に出す、別の系統の身体文化だったことになる。

JACという集団自体も、その後大きな転機を迎えている。1991年7月、JACは大新東グループの株式会社ジャングル(日光江戸村)と合併し、「ジャパンアクションクラブ事業部」として存続することになった。これに対し1996年、JAC出身の金田治・西本良治郎らが別資本で新たに「有限会社ジャパンアクションクラブ」を設立して独立し、これが後にジャパンアクションエンタープライズ(JAE)へと改称されていく[v]。第2節で触れた、平成仮面
ライダーシリーズを長年支えたスーツアクター・高岩成二は、この系譜に
連なる人材である[vi]。大野幸太郎から金田治・西本良治郎へと、擬斗を担う集団そのものが世代交代していったことになる。

大野剣友会からJACへ、そしてJACからJAEへという担い手の交代は、坂本浩一の参入(次節)に先立つ、もう一つの様式的な断絶と継承の事例として位置づけることができる。ここでもまた、様式は一人の天才の専有物としてではなく、それを担う集団そのものの交代を通じて更新されてきた。



[i] 「特集企画 スーパー戦隊の神業 JACの初期スーパー戦隊アクション」『スーパー戦隊 Official Mook 20世紀』《1981 太陽戦隊サンバルカン》講談社〈講談社シリーズMOOK〉、2018年8月25日、30-31頁。ウィキペディア「ジャパンアクションエンタープライズ」の該当記述もこの資料を典拠としている。
[ii] 同上。
[iii] 『宇宙船別冊 仮面ライダー怪人大画報2016』ホビージャパン〈ホビージャパンMOOK〉、2016年、176-210頁「仮面ライダー スタッフ・キャスト人名録2016年版」。「特集企画 スーパー戦隊の神業 JACの初期スーパー戦隊アクション」『スーパー戦隊 Official Mook 20世紀』《1981 太陽戦隊サンバルカン》講談社〈講談社シリーズMOOK〉、2018年、30-31頁、前掲。『仮面ライダーSPIRITS公式ファンブック 受け継がれる魂』講談社、2002年、161頁。
[iv] 「特集企画 スーパー戦隊の神業 JACの初期スーパー戦隊アクション」『スーパー戦隊 Official Mook 20世紀』《1981 太陽戦隊サンバルカン》講談社〈講談社シリーズMOOK〉、2018年、30-31頁、前掲。
[v]会社沿革」会社概要、JAPAN ACTION ENTERPRISE公式サイト。1991年7月の株式会社ジャングル(大新東グループ・日光江戸村)との合併、「ジャパンアクションクラブ事業部」としての存続、1996年11月の金田治による「有限会社ジャパンアクションクラブ」設立・独立という経緯を典拠とする。ウィキペディア「ジャパンアクションエンタープライズ」は、1991年の出来事を「商号を『株式会社ジャングル』に変更」、1996年の設立を「10月」とやや異なる形で伝えているが、運営会社自身による公式の記載を優先した。
[vi]"平成ライダー"支えたスーツアクターの矜持 アクション俳優の概念を打ち崩した『電王』の功績」オリコンニュース、2021年12月14日。


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