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第4節 阿部征司と塚田英明――ビジョンを実行に移す仕事

阿部征司は、1937年、秋田県鹿角郡花輪町(現・鹿角市)に生まれた。実家は映画館を営んでおり、早稲田大学教育学部社会学科ではシナリオ研究会に所属、同期には後のフジテレビジョン会長・日枝久がいた。1961年に東映へ入社し、東京撮影所で進行助手・進行主任を務めたのち、1968年にテレビ部へ異動、翌年『プレイガール』で初めてプロデューサーとなる。そして1971年の『仮面ライダー』以降、平山亨の右腕として、脚本の発注から予算の
配分、配役の起用まで、番組を裏で支え続けた[i]

平山が方向性を示し、阿部がそれを予算とスケジュールと配役へと翻訳する[ii]。この分業の中で、阿部の「作風」を語るファンやライターは、ほとんどいない。それは阿部の仕事に欠陥があったからではない。むしろ、この仕事の性質そのものが、作家性という尺度になじまないのだ。第1節で提示した「見えない作者」という仮説にとって、阿部征司はもっとも手厳しい反証例かもしれない。

世代を下って、同じ構図を異なる形で辿ったのが塚田英明である。1971年
埼玉県生まれ、早稲田大学の特撮サークル「怪獣同盟」出身の塚田は、1994年に東映へ入社し、京都撮影所で時代劇・事件ものの製作に携わったのち、2004年『特捜戦隊デカレンジャー』でチーフプロデューサーに昇格、2005年『魔法戦隊マジレンジャー』を経て、2007年『獣拳戦隊ゲキレンジャー』まで戦隊シリーズを率いた。その後は仮面ライダーへ軸足を移し、2009年『仮面ライダーW』、2011年『仮面ライダーフォーゼ』のチーフプロデューサーを務めている[iii]

スーパー戦隊のチーフプロデューサーとしての在任は、実際にはおよそ4年にとどまる。塚田のキャリアが本当に長く続いたのは、むしろ特定の番組の指揮官としてではなく、ライダーと戦隊という二つのシリーズを横断しながら現場に居続けたことにおいてだった。2023年の『仮面ライダーガッチャード』では、塚田は自らメインプロデューサーの座に立つのではなく、湊陽祐という若手をその座に指名し、後方から送り出す立場に回った[iv]

阿部と塚田を並べて見えてくるのは、プロデューサーという仕事の内部にもまた、ビジョンを示す仕事と、それを実行可能な形へと変換する仕事という、もう一つの分業があるという事実である。阿部はキャリアを通じて一貫して後者の側にいた。塚田は、その後者の位置から出発し、自らが前者として采配を振るう時期を経て、キャリアの後半で再び後者――今度は次世代を支える側へと戻っていった。

この分業は、「見えない作者」論にとって重要な意味を持つ。仮に作家性をプロデューサーという職能に認めるとしても、その作家性は職能のすべてに均等に宿るわけではない。阿部や、塚田のキャリアの前半と後半は、その中でもとりわけ徹底して「見えない」――見えないことこそがその仕事の条件であるような、そんな領域だったのかもしれない。次節では、この構図とは対照的に、東映特撮の現場で自らの判断によって具体的な決断を下し続けた、もう一人のプロデューサー――武部直美――に目を向ける。



[i] 鹿角市先人顕彰館研究員編『鹿角人物事典』改訂・増補版、鹿角市教育委員会、2024年3月、13頁「阿部征司」。1937年8月1日、花輪劇場の重吉とハツエの二男として生まれ、早稲田大学教育学部社会科学科在学中にシナリオ研究会に所属したこと(同期にフジテレビジョン代表取締役会長・日枝久)、作詞家としてのペンネーム(中瀬当一、田中守)と平山亨との共同筆名「海堂肇」、1961年東映入社、1968年テレビ部異動、1969年『プレイガール』での初プロデューサー就任、2012年12月29日の死去(享年75)を記載している。
[ii] 三池敏夫「『特撮テレビ番組』を支えた体制」『日本特撮に関する調査』(文化庁委託・平成24年度メディア芸術情報拠点コンソーシアム構築事業、森ビル株式会社、2013年)85頁。東映テレビ部では渡邊亮徳が特撮ヒーロー路線を強力に推進し、そのバックアップのもとで歴代プロデューサー平山亨・吉川進・鈴木武幸らが次々と企画を立ち上げたことを記載している。
[iii] 秋田英夫「『キラメイジャー』『仮面ライダーW』塚田英明Pが語る、脚本家を目指す人へ「自分の書いたものが映像化される喜び味わってほしい」」マイナビニュース、2021年1月4日。記事冒頭のプロフィール欄に、1971年生まれであること、1994年の東映入社、および『特捜戦隊デカレンジャー』(2004年)、『魔法戦隊マジレンジャー』(2005年)、『獣拳戦隊ゲキレンジャー』(2007年)、『仮面ライダーW』(2009年)、『仮面ライダーフォーゼ』(2011年)でのチーフプロデューサー在任を記載している。「塚田英明」プロフィール、HMV&BOOKS online。講談社キャラクター文庫『小説 仮面ライダーフォーゼ 天・高・卒・業』の著者紹介からの転載として、埼玉県生まれであること、早稲田大学在学中に特撮サークル「怪獣同盟」で活動したこと、東映入社後に京都撮影所で時代劇・事件ものの製作に携わってから特撮番組を手がけるに至った経緯を記載している。
[iv] 秋田英夫「東映・湊陽祐Pが語る『仮面ライダーガッチャード』誕生秘話、熱い特撮愛とアニメ制作の経験がガッチャンコ!」マイナビニュース、2023年9月24日。湊陽祐氏本人へのインタビューで、『王様戦隊キングオージャー』の準備を進めていた湊に対し、塚田英明が「次の仮面ライダーをやりなさい」と指令を出し、『仮面ライダーガッチャード』のメインプロデューサーに指名した経緯を、湊自身の証言として記載している。

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