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第1節 ショッカーという発明――全体主義の恐怖か、量産のための装置か

1971年4月3日、『仮面ライダー』の放送が始まったとき[i]、そこには本稿がすでに第9章で論じたヒーロー像――怪物に改造されながら、なお人間の側に踏みとどまろうとする本郷猛――と対をなす、もう一つの発明があった。「ショッカー」という、世界征服を企む悪の秘密結社である。

原作者・石森章太郎は、この対立の構図に、たんなる「正義対悪」以上の
意味を込めていた。仮面ライダーを、公害や食糧危機、精神の荒廃といった同時代の文明批判を体現する「自然からの使者」として位置づける一方、
ショッカーの側には、歪んだ科学文明そのものを担わせている[ii]。漫画版ではショッカーが経営する工場が排煙と廃液を垂れ流し、近隣住民が反対運動を起こす場面まで描かれている[iii]。怪人たちの多くが動植物の力を外科手術で移植された「歪められた自然」の姿を取っていることも、この構図と符合する。

もう一つ、時代の空気を映す細部がある。ショッカーの拠点は劇中で一貫
して「アジト」と呼ばれるが、これは当時の学生運動・過激派組織が自らの拠点を指す語として一般化していた言葉である[iv]。脚本陣がこの語をどこ
まで意識的に選び取ったのかは現存する資料からは確認できず、ここでは「根拠ある推論」の水準に留めておくべきだろう。しかし少なくとも受け手の側にとって、「アジト」に立てこもり、正体を隠したまま暗躍する秘密
結社という設定が、1970年前後の学生運動から過激化していく政治運動への同時代的な不安を映し込む器として機能しえたことは、想像に難くない。

もっとも、この「全体主義の恐怖」という読みだけで、ショッカーという
発明のすべてを説明できるわけではない。ショッカーの造形と運用は、思想的な設計である以上に、まず何よりも「毎週新しい怪人を一体ずつ倒される」という、量産型ヒーロー番組の実務上の要請に規定されていた。放送
後半、ショッカーの基地セットが簡素化され、怪人ごとの意匠が省かれて
いった際の理由を、美術を担当したエキスプロダクションの八木功は「手が回らなくなったため」と証言している[v]。怪人という「敵の記号」を毎週
使い捨てにできる体制を作ることが、まず制作上の生命線であり、そこに
全体主義への恐怖という意味づけを与えることは、いわば後から接続可能になった二次的な効果だったとも言える。

したがって、ショッカーという組織悪は、(a)石森自身が込めた文明批判の意図、(b)同時代の政治的空気との偶然とも必然ともつかない共鳴、(c)量産体制という制作上の要請、という少なくとも三つの層が折り重なって成立したものと見るべきである。この三層構造――思想・時代・制作
事情――は、本章で以下に見ていく怪人の身体、幹部という発明、共感できる悪役の登場という、いずれの論点にも繰り返し現れることになる。



[i] 坂口将史「仮面ライダーとテクノロジー 第1回『大自然の使者』と『悪しき科学文明』の系譜」メディア芸術カレントコンテンツ(文化庁)、2020年10月9日、に基本情報が整理されている。
[ii] 坂口、前掲。
[iii] 同上。
[iv] 鈴木美潮「ヒーロー番組の『悪』は変わったのか?」imidas(集英社)、2013年8月30日。
[v] ウィキペディア「ショッカー」アジト。取材・構成 山田幸彦「STAFF INTERVIEW 八木功」『仮面ライダー 1号・2号・V3・ライダーマン総特集』 2394巻、宝島社〈別冊宝島〉、2015年、106–109頁を典拠としている。

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