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第8節 見えない作り手、もう一つの次元へ

本章の出発点に立ち返ろう。第1節で見た1954年の『ゴジラ』のクレジットには、原作者、脚本家、監督、特殊技術、そのもとで働く複数の技師の名前が並んでいた。それから七つの節を経て、私たちはこの集団製作という前提の内側に、決して一様ではない作家性のかたちを見出してきた。

金城哲夫は複数の脚本家を束ねる調整役でありながら自らも筆を執り、伊上勝はプロデューサーの漠然としたアイデアを一人で物語に練り上げ続けた。上原正三は沖縄という出自に根ざした問題意識を数十年にわたって持続
させ、佐々木守はその批評性をより広い文学的視座の中の一つの主題として特撮を横断させた。荒川稔久は個人の嗜好と切り離した職業的規律として
シリーズの型を守り、曽田博久は自らの生真面目さを型の内側に処理し、
小林靖子はキャラクターへの徹底したこだわりによってシリーズ構築という仕事の前提そのものに抵抗し、井上敏樹に至っては自分自身をほとんどそのままキャラクターに書き込んだ。

本多猪四郎と円谷英二が築いた本編監督・特技監督という分業は、肩書と
ともに世代を超えて継承される組織の制度となり、長石多可男、田崎竜太、村石宏實、北浦嗣巳、田口清隆といった職人監督たちが、その制度を内側
から支え続けた。そして庵野秀明は、この産業の外側、一人のファンとして出発しながら、やがて古典そのものを書き換える立場に至った。

これらの書き手・演出家たちに共通しているのは、その仕事の痕跡が、
スーツアクターや造形家たちとは異なる形で不可視化されているという事実である。第12章・第13章で見た「見えない作り手」たちの不可視性は、
クレジット表記そのものが不安定であったり、身体そのものが着ぐるみの内側に隠されていたりするという、資料の水準における不可視性だった。

これに対し、本章で見た脚本家・監督たちの名前は、クレジットにも資料にも明確に残っている。彼らが不可視であるとすれば、それは記録の欠如に
よってではなく、観客の記憶のあり方そのものによってである。ゴジラ、
ウルトラマン、仮面ライダーの名前は、これらの作品を一度でも目にした者ならほぼ誰もが記憶している。しかし、その物語を書いた人物、その画面を演出した人物の名前を、同じ確からしさで挙げられる観客がどれだけいる
だろうか。

私たちは虚構の登場人物を記憶し、その創造者を忘れる。この非対称性は、特撮というジャンルに限った現象ではないのかもしれない。物語という形式そのものが、その中身であるキャラクターを、それを生み出した外部の人間よりも長く記憶にとどめるように、あらかじめできているのだとしたら――ここから先は、本書がこれまで確定事実や根拠ある推論として提示してきた水準を離れる、一つの哲学的な問いかけとして受け止めていただきたい。

ゴジラを作ったのは誰か。ウルトラマンを作ったのは誰か。仮面ライダーを作ったのは誰か。本章を通じて見てきた通り、この問いに単純な答えはない。しかし、脚本家と監督という、集団製作の中でもとりわけ「作者」に
近い位置にいた者たちについてすら答えが単純でないのだとすれば、彼らを支え、時に彼らの仕事そのものを可能にしていた者たちについては、なお
さらだろう。次章では、企画を立て、予算を組み、人を集め、そして時には脚本や演出そのものにまで介入していった、プロデューサーという仕事を
見ていく。

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