第3節 ジャッカー電撃隊、あるいは「5人になっても足りなかった」瞬間
ゴレンジャーの2年間にわたる大ヒットを受けて、1977年4月、その後継番組として『ジャッカー電撃隊』が始まる。この第2作は、当初、4人のサイボーグ戦士によるチームとして出発した[i]。5人という編成からの出発ではなかった点は、まず押さえておく必要がある。にもかかわらず、この作品は、スーパー戦隊シリーズの歴史上、唯一「打ち切り」という形で幕を閉じることになった。全35話という、シリーズ最短の話数だ[ii]。
なぜジャッカーは苦戦したのか。この問いに先立って、まず確認しておくべきことがある。ジャッカーは、迷走の末に生まれた失敗作ではなく、明確な戦略のもとに設計された作品だった、という事実である。東映のプロデューサーの吉川進は、後年こう振り返っている。「当時の私には『まったく同じようなものを続けてもなぁ』という気持ちもあったんです。ですから、『後番組は「ゴレンジャー」とは一味違うよ』といったテイストのものを石ノ森先生と詰めていったんです」[iii]。ジャッカーがサイボーグという改造人間
設定を採用し、犯罪組織「クライム」との対立を、コミカルな怪人退治ではなく、スパイアクションとして描いたのは、前作の路線をなぞる保守的な
選択ではなく、前作を「超えよう」とする野心的な路線転換だった。
しかし、この野心は、狙い通りには機能しなかった。放送開始当初こそ20%台の視聴率を記録したものの、次第に下降線をたどっていく[iv]。その要因として、全員サイボーグという設定がもたらす悲壮感、そしてリーダー格の
桜井五郎とハートクイン・カレン水木との恋愛描写が、当時の子供の視聴者層には理解しづらいものだったという見方が、示されている[v]。原作者・
石ノ森章太郎自身、この時期のインタビューで「人間の陰の部分を描かないことには生身の人間を描くことにはならない」と自らの作家性を語っており[vi]、桜井五郎役の丹波義隆も、この恋愛描写について「さすがに子供には
理解できませんよね」と後年振り返っている[vii]。娯楽性を抑え、ドラマ性とメカニック描写を重視したシリアスな作風という、吉川の狙い自体が、
皮肉にも、メインターゲットである子供の実感からは遠いものになってしまった可能性がある。
制作側もこの傾向を座視していたわけではない。第13話以降、機械怪物の
外見をゴレンジャーの仮面怪人に近づけ、子供の出番を増やすといったテコ入れが図られる[viii]。そして第23話から、5人目のメンバーとして、行動隊長「ビッグワン」(番場壮吉)が新たに加わった。演じたのは、前作ゴレンジャーでアオレンジャー(新命明)を演じた俳優・宮内洋である[ix]。ここで
ジャッカーは、結成当初の4人から、ゴレンジャーと同じ5人という編成に、初めて追いついたことになる。しかし、この「5人化」は、番組を救わなかった。それどころか、ジャッカーの4人を差し置いて宮内洋の存在感がひときわ強くなり、番組は「脱ゴレンジャー」を掲げて出発したはずが、気づけばゴレンジャーに似たような路線に着地してしまう[x]。独自路線を打ち出そうとした企画が、迷走の末に、否定したはずの前作の模倣へと回帰し、しかもその模倣的な5人化をもってしても、視聴率の低下には歯止めがかからなかったのである。
もっとも、ジャッカーの苦戦を、単に「内容が悪かった」という一言に還元することはできない。ここで見落とされがちなのが、ジャッカーという番組がそもそもなぜ、この時期に生まれなければならなかったか、という制度的な背景である。1977年4月1日、NET(現・テレビ朝日)は社名を「テレビ朝日」へと変更した。当時、東映のプロデューサーを務めていた鈴木武幸は、この社名変更が番組編成に及ぼした影響について、次のように証言している。「NETがテレビ朝日になるというので、いろいろな番組が終わらされ、そして衣替えしていったんです。たとえば『特別機動捜査隊』(1961〜77年)なんかも『特捜最前線』(1977〜86年)というふうに」[xi]。ゴレンジャーがまだ高い人気を保っていたにもかかわらず新番組へと切り替えられた背景には、番組内容の限界だけでなく、社名変更に伴う局側の編成方針という、内容とは無関係な外部要因が働いていた可能性がある。
つまりジャッカーは、二重の意味で「実験」だった。制作陣にとっては
「ゴレンジャーを超える」という内容面での実験であり、局にとっては、
看板番組すら例外としない社名変更後の編成の実験でもあった。その両方が、必ずしも狙い通りには運ばなかった。
この失敗が業界に与えた教訓は、小さくなかった。ジャッカーの後を継いで1979年に始まる『バトルフィーバーJ』以降、戦隊シリーズは「集団ヒーローに色分けを施し、コミカルさとカッコよさを両立させる」という、ゴレンジャーが確立した基本線へと回帰し、以後2026年まで一年も途切れることなく続くことになる[xii]。
ジャッカーの経緯が証明したのは、「5人という編成さえ整えば成立する」という単純な命題の誤りだった。ジャッカーは4人から出発して苦戦し、第23話でようやく5人という数字上はゴレンジャーに並んだが、それでも番組を延命させることはできなかった。5人という数は、ゴレンジャーという
成功の必要条件ではあっても、十分条件ではなかったのである。色分けの
視覚的なわかりやすさ、コミカルな怪人退治という子供向けの間口の広さ、そして前作から引き継がれた様式への信頼------これらの要素が同時に揃って初めて、集団ヒーローというフォーマットは機能する。ジャッカーは、その要素のどれか一つが欠けても、数合わせだけでは立ち行かないことを、身をもって示した事例だった。
もっとも、この教訓を次の成功へと転化させる過程で、東映はもう一つ、
まったく別の場所からの助けを必要とすることになる。それが、太平洋の
向こう側、マーベル・コミックとの提携である。次節では、この協業がどのようにして戦隊フォーマットに新たな要素------巨大ロボット------をもたらすことになったのかを見ていく。
[i] 「ジャッカー電撃隊 Vol.1」東映ビデオ公式サイト。
[ii] 石原久稔「スーパー戦隊で唯一の打ち切り『ジャッカー電撃隊』 今の戦隊があるのは彼らのおかげ?」マグミクス、2021年12月31日。
[iii] Luis Field「本格的すぎた?『ジャッカー電撃隊』 石ノ森先生の渾身作がヒットしなかった時代背景」マグミクス、2024年8月31日。
[iv] 石原、前掲。
[v] Field、前掲、2024年8月31日。Luis Field「てこ入れも報われず… 戦隊を一時終了させた『ジャッカー電撃隊』の子供ウケしなかった要素」マグミクス、2024年3月7日。
[vi] Field、前掲、2024年8月31日。
[vii] Field、前掲、2024年3月7日。
[viii] 石原、前掲。Field、前掲、2024年3月7日。
[ix] 石原、前掲。
[x] 石原、前掲。Field、前掲、2024年3月7日。
[xi] 『宇宙船』Vol.82「宇宙船談話室」朝日ソノラマ、1996年。假面特攻隊の一寸先は闇!読みにくいブログ(笑)「ジャッカー電撃隊 総論」がこの発言を引用している。
[xii] 鯨ヶ岬勇士「50年の歴史が幕を閉じる『スーパー戦隊』。ゴレンジャー、バトルフィーバーJ……印象的なシリーズの"見どころ"を振り返る」日刊SPA!、2025年12月27日。
