第8節 神話の中断——怪獣ブームの終焉と2年半の空白
『ウルトラマン』が生んだ熱狂は、長くは続かなかった。
1966年から1968年にかけて、『ウルトラQ』『ウルトラマン』の影響を
受け、『マグマ大使』をはじめ、『キャプテンウルトラ』、『光速エスパー』、『怪獣王子』、『ジャイアントロボ』など、巨大怪獣や変身ヒーローが登場する特撮番組が各局・各社から相次いで制作された。この社会現象は後年「第一次怪獣ブーム」と呼ばれることになる[i]。
ブームの本家であった円谷特技プロ自身は、この時期、財政的な行き詰まりに直面していた。第3節で見た通り、この会社は設立当初からオプチカル・プリンターをめぐる経営危機を抱えており、『ウルトラQ』からの累積赤字は深刻化する一方だった。1967年に始まった『ウルトラセブン』では、放送延長が決まった第3クール以降、上原正三の証言によれば、本当に予算も
ジリ貧になって、特撮よりもストーリーで勝負するしかなくなっていた[ii]。このため、着ぐるみを必要としない、人間と同じ姿の侵略者しか登場しないエピソードが作られるようになる[iii]。この展開が、ヒーローと大型怪獣との格闘戦を期待する児童層の視聴離れの一因になったとする見方が有力である[iv]。
同じ時期、『ゲゲゲの鬼太郎』の「妖怪ブーム」や『巨人の星』の「スポ根ブーム」が起こり、第一次怪獣ブームを鎮静化していった[v]。
『ウルトラセブン』はこの年の秋、放送を終了した[vi]。東宝も『怪獣総進撃』を最後に路線転換し、日活や松竹も怪獣映画から撤退している。大映
だけが『ガメラ』シリーズを従来通り1971年まで製作・続行した[vii]。円谷プロの後番組も、怪獣路線ではない『怪奇大作戦』へと舵を切った[viii]。
こうして、ウルトラマンという神話は、生まれてからわずか2年ほどで、
いったん途絶える。円谷プロによる新作の巨大ヒーロー番組は、1970年9月にダイジェスト番組『ウルトラファイト』(過去作の戦闘シーンの再編集)で命脈をつなぐのみとなり、実に2年半にわたる空白期間が生じることになった[ix]。
この空白を破ったのは、一つの番組ではなく、ほぼ同時期に生まれた三つの番組だった。1971年1月2日、ピー・プロダクションの『宇宙猿人ゴリ』(後の『スペクトルマン』)が放送を開始する。同年4月2日には円谷プロの
『帰ってきたウルトラマン』が、その翌日4月3日には東映の『仮面ライダー』が、それぞれ放送を開始した。この三本によって、後に「第二次怪獣
ブーム」と呼ばれる社会現象が巻き起こることになる[x]。
ただし、『仮面ライダー』は、当初の視聴率が芳しくなく、主人公を巨大化させる案が検討されていた[xi]。ところが、途中から登場した2号ライダー・一文字隼人が披露する「変身ポーズ」が子供たちの間で評判となり、これを真似た「変身ごっこ」が全国に広がったことで、番組は息を吹き返す[xii]。第一次怪獣ブームが「巨大な怪獣とヒーロー」という図式を核としていたのに対し、この第二次怪獣ブーム——「変身ブーム」とも呼ばれる——を特徴づけたのは、「変身」という、それまでのウルトラマンの物語にはなかった新しい概念だった[xiii]。
ウルトラマンは、遠いM78星雲から地球に降り立ち、地球の危機が去れば
また宇宙へと帰っていく、外部からの来訪者として設計されていた。これに対し、仮面ライダーが体現する「変身」は、恐怖からの逃走ではなく、みずからの内部にある力を意志的に呼び覚ます行為である。外から来る神と、内から変身する人間——この対照こそが、次章で見ていく仮面ライダーの物語の核心である。
[i] 氷川竜介『空想映像文化論 怪獣ブームから『宇宙戦艦ヤマト』へ』KADOKAWA、2025年、71-89頁。
[ii] 白石雅彦「セブンの光と影 資料・証言・上原正三」『別冊映画秘宝 ウルトラセブン研究読本』洋泉社、2012年、293頁。
[iii] 具体的には、第33話「侵略する死者たち」、第37話「盗まれたウルトラ・アイ」、第43話「第四惑星の悪夢」が挙げられる。
[iv] 片野「大人も楽しめる『ウルトラセブン』、そもそも子供向けだった? 背景に『視聴率と制作費』」マグミクス、2021年6月28日。
[v] 磯部正義、原口正宏「TVアニメ50年史のための情報整理 第6回 1968年(昭和43年)劇画の台頭とスポ根アニメ、妖怪アニメの登場」WEBアニメスタイル、2012年7月9日。https://animestyle.jp/2012/07/09/857/
[vi] 氷川竜介『日本特撮に関する調査』(文化庁、2013年)34頁。『ウルトラセブン』は1967年(昭和42年)10月1日から1968年(昭和43年)9月8日まで全49話がTBS系で放送され、東宝の総決算作『怪獣総進撃』(同年8月公開)とほぼ同時期に幕を閉じた。https://mediag.bunka.go.jp/article/tokusatsu_report-916/
[vii] 氷川、同上19頁。同書によれば、大映は1965年から1971年まで毎年『ガメラ』シリーズを製作し続けた。
[viii] 氷川、同上35頁。同書は、『ウルトラセブン』の後番組『怪奇大作戦』を怪獣ブーム冷え込みの象徴と位置づけ、番組開始当初は主役だった「特撮」がシリーズ中盤から後退したこと、同年に「特技」の語を外した「円谷プロダクション」への社名変更が行われたことを、その傍証として挙げている。
[ix] 円谷プロダクション公式サイト「円谷ステーション」、「ウルトラファイト」紹介ページ(m-78.jp)。1970年(昭和45年)9月、TBS系列で月曜から金曜までの帯番組として『ウルトラファイト』(過去作品の戦闘シーンを再編集したダイジェスト番組)の放送が開始された。
[x] コートク「ゴジラ60年の歴史を振り返る 第4回」おたくま経済新聞、2014年11月28日。
[xi] 秋田英夫「『仮面ライダー』50年前の7月3日は仮面ライダー2号が初登場した日、番組最大の危機乗り越え『変身ブーム』へ」マイナビニュース、2021年7月3日。
[xii] 同上。一文字隼人=仮面ライダー2号が新しい日本の守りとなるストーリーが第14話より描かれることになった。『仮面ライダー』の人気爆発のきっかけとなった「変身ポーズ」も、一文字隼人の登場と同時に採り入れられている。
[xiii] 氷川竜介『日本特撮に関する調査』23頁。同書は、『仮面ライダー』のヒットを機に特撮ファンの低年齢層化が進み、児童層のあいだで「変身ブーム」が主流化したと指摘している。
