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第4節 借り物の文明——ミニチュアの街が背負うアンビヴァレンス

第3節の終わりに、本書は一つの問いを残した。1954年の『ゴジラ』に
おいて、観客が「相矛盾する感情」を抱きながらも、なお怪獣の破壊する街を見つめ続けたのは、なぜなのか。その答えを探るには、空襲の記憶という表層をさらに掘り下げ、田畑が深層と位置づけた感情に踏み込む必要がある。それは、近代西洋文明そのものへのアンビヴァレンス——その文明に
依存しながら生きていることを認めつつ、同時にそれへの違和感も抱き続けるという、相反する感情が一人の人間の中に同時に存在する状態——である。

ここで、第1節・第2節で確認した技術の話に、もう一度立ち戻っておき
たい。ミニチュアの精巧さは、抽象的な「都市」を作るためのものでは
なかった。強遠近法によって奥行きを与えられ、カメラに映る面だけが作り込まれた建物群は、観客に「これは銀座だ」「これは東京だ」と認識させるための、具体的な精巧さだった。だとすれば、その精巧さが何を再現して
いたのかを、もう一段具体的に見る必要がある。観客に「銀座だ」と認識
させた建物とは、実際にはどのような建物だったのか。

田畑によれば、怪獣の都市破壊は、大戦時の空襲・原爆投下の記憶という
表層の下に、もう一つの感情を抱えている。それは、明治以来、借り物と
して導入された近代西洋文明への違和感と、日本人自身もまたその近代文明に依拠して生きているという意識との間の、アンビヴァレントな感情である[i]。怪獣が壊す「都市」とは、田畑の言う、この借り物の文明そのものだった。

この抽象的な議論を、もう一段具体的なレベルで裏付ける事実がある。1954年の『ゴジラ』には、ゴジラが銀座で和光ビル(旧服部時計店)を破壊する場面がある。劇中でゴジラは、この建物の時計塔が鳴らす鐘の音に反応して怒り、破壊するという描写になっている[ii]。和光ビルは、西洋風の時計塔を持つ、近代以降の建築である[iii]。ゴジラが、まさにその建物固有の、西洋的な時を告げる音に反応して破壊するという設定は、田畑が論じる「借り物の文明へのアンビヴァレンス」が、抽象的な議論ではなく、映画の具体的な
設定そのものに刻み込まれていたことを示す一例と言える。

田畑は、この借り物の文明への違和感を、もう一つの角度から裏付ける。
日本の怪獣の多くが恐竜を原型としているのは、すでに絶滅した太古の生物というイメージに、西洋化によって失われた日本の伝統を重ね合わせているからだ、と田畑は解釈する[iv]。ゴジラという、文明以前から存在する生命が、文明そのものを破壊して回るという構図は、単に力と力の対決では
ない。それは、伝統という、すでに失われたものの側から、借り物の近代という、現在進行形で生きられているものへの、両義的な攻撃だったことに
なる。

ここで、空襲の記憶という、第3節で表層と位置づけた論点に戻る必要が
ある。本書はすでに第4章・第5章で、ゴジラの進撃ルートが、東京大空襲の爆撃ルートと地理的には一致しないことを確認している[v]。この事実は、
ゴジラの都市破壊を空襲の単純な再現として読むことへの、慎重な留保と
して既に示した。田畑の階層構造に従うなら、この留保はむしろ正しい位置に収まる。空襲の記憶との心理的共鳴は、たしかにゴジラの都市破壊が観客に強い印象を与えた一因だったとしても、それは表層の現れにすぎない。
地理的な再現の精度が低くても構わないのは、ゴジラが再現していたのが
空襲という個別の歴史的出来事そのものではなく、より深い層にある、近代文明への両義的な感情だったからだ、と理解することができる。

この階層構造を踏まえると、第1章で確認した、怪獣が「社会が想像力を
通じて作り出す存在」であるという本書の基本的な立場とも、ここで接続が確認できる。ゴジラという怪獣の形は、何を恐れ、何を欲望し、何を排除
しようとしているかという、社会の構造を映し出していた。本章の文脈で
言い直すなら、ゴジラが踏みつぶす街の形は、その社会がどのような文明を、どのような感情を抱きながら生きていたかを、ミニチュアという技術を介して映し出していたことになる。

この読みを、さらに裏付ける事実がある。田畑は、半世紀以上にわたる怪獣映画を通覧した上で、怪獣が一貫して避けてきた対象を指摘している。怪獣は、皇居はもとより、神社仏閣にはまず攻撃を加えない。過去から伝わる
文化財にも、攻撃を加えることをしていない、と田畑は明確に述べる[i]。
怪獣が破壊する「文化財」は、大阪城のような、鉄筋コンクリートで再建
された建造物か、熱海城のような、もともと存在せず観光目的で建てられた新規建造物に限られている[ii]。事実、ゴジラは『ゴジラvsメカゴジラ』(1993年)に至るまで、寺社が密集する京都には出現していない。
京都タワーは熱線で吹き飛ばされても、清水寺などは合成によって遠景に
映し出されるだけで、その破壊が描かれることはない[iii]。ただし、この1993年の作品で初めてゴジラが京都を通過した理由について、田畑自身は別の説明を加えている。当時、製作が決定していたハリウッド版『Godzilla』(1998年)を強く意識し、それに対抗する意図があったのではないか、と
田畑は推測している[iv]。だとすれば、ゴジラが初めて京都という、伝統的
価値が密集する空間に足を踏み入れた理由も、伝統への配慮が薄れたからというより、競合作品への対抗心という、個別の事情によるものだった可能性がある。

類似の事情は、1999年公開の『ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒』にも見られる。特技監督・樋口真嗣は、当初クライマックスの舞台として清水寺を予定していたが、シナリオハンティングの際にグランドオープン直前の京都駅を目にし、急遽舞台を変更したと証言している[v]。結果として寺院は破壊されなかったが、その理由は伝統への配慮というより、新しい近代建築そのものへの視覚的・創作的関心だった可能性がある。これもまた、怪獣が伝統を
避けるという選択性が、いつも同じ「漠然とした尊重」によって保たれて
いたわけではなく、その都度の現場判断に左右されていたことを示す一例と言える。

田畑はこの選択性を、必ずしも確たる宗教観や政治観の裏付けがあるわけではないが、最大多数の日本人によって漠然と尊重されている伝統的な価値を、怪獣が攻撃しないという原則として説明している[vi]。怪獣が壊すのは、姫路城のような、本物の伝統ではない。怪獣が壊すのは、和光ビルのような、近代以降に作られた、借り物の文明を体現する建築であり、大阪城や
熱海城のような、伝統の外見を装いながら、実際には近代以降に建てられた、コンクリート製の模造品である。

ただし、この原則が当てはまるのは、すべての怪獣に対してではない。
『三大怪獣 地球最大の決戦』に登場するキングギドラは、浅間神社の大鳥居を明確に狙って破壊し、さらに松本城——大阪城のような再建コンクリート建築ではなく、現存12天守の一つとして国宝に指定されている、本物の歴史的建造物——も破壊している[vii]。田畑自身、この大鳥居の破壊については論じており、ゴジラのような「内側」の怪獣が、近代文明への両義的な感情を体現する存在であるのに対し、キングギドラは完全な外部からの侵略者であり、伝統そのものへの攻撃を隠さない、図式の異なる怪獣だと位置づけている。松本城の破壊は、田畑が直接論じていない事実だが、この図式にそのまま収まると解釈できる——キングギドラにとっては、信仰の対象(神社)であれ、建築的な伝統(城)であれ、区別なく攻撃の対象になる。怪獣が「漠然と尊重されている伝統的価値」を避けるという原則は、したがって、ゴジラのように、自らもその文明の内側に身を置きながら両義的な感情を
抱く怪獣にこそ当てはまるものであり、外部からの侵略者には適用され
ない。

ここに、本章がこれまで論じてきたミニチュアという技術との、もう一つの接続点がある。怪獣に壊されるミニチュアの街は、観客にとって最も親密で、最も具体的な、近代日本の文明そのものを縮小したものだった。その街がカメラのためだけに精巧に作られ、壊れやすい素材で組み立てられていたのは、単なる技術的な都合だけではない——壊されるべき対象が、最初から「壊されるためにそこにある」借り物の文明だったから、それを精巧に、
しかし壊れやすく作るという行為そのものが、文明への両義的な感情を体現する儀式のようなものとして機能していたと解釈することができる。

この読みは、まだ一つの問いを残している。怪獣が伝統的な対象を避けるという選択性は、田畑によれば、必ずしも明確な意図の産物ではない。それは「漠然と尊重されている」価値への配慮だという。しかし、京都を初めて
通過した1993年の作品をめぐる田畑自身の推測が示すように、少なくとも
一つの事例では、この選択性は、文化的慣習の無意識的な積み重ねという
より、競合作品への対抗心という、現場の具体的な判断によって動かされていた可能性がある。だとすれば、この選択性は、いつも同じ理由で保たれていたのか、それとも、その都度異なる、個別の現場判断の積み重ねだったのか。第5節では、この問いを糸口に、ミニチュアという技術が、デジタル
時代になってもなお選ばれ続ける理由——『タローマン』という、本章冒頭で触れた事例に、もう一度立ち戻る。



[i] 田畑雅英「なぜゴジラは都市を破壊するのか」『都市文化研究』第5号(大阪市立大学大学院文学研究科:都市文化研究センター、2005年3月)16頁。
[ii] 『ゴジラ』(1954年)映画本編1時間2分目。
[iii] 和光ビルの建築年・様式については、「和光と時計塔の歴史」株式会社和光公式サイト。
[iv] 田畑、前掲、19頁。
[v] 本書第4章・第5章を参照。
[i] 田畑、前掲、25頁。
[ii] 同上、25頁。
[iii] 同上、25頁。
[iv] 同上、25頁、注19。
[v] ウィキペディア「ガメラ3 邪神覚醒」。同記事の出典:樋口真嗣『ガメラ3 バニシングブック』48–50頁、徳間書店、1999年。
[vi] 同上、25頁。
[vii] 大鳥居の破壊については田畑、前掲、24-25頁。『三大怪獣 地球最大の決戦』の本編では1時間19分目。松本城の破壊については、映画本編55分目。

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