第2節 光学合成という錬金術――フィルムの上で怪獣を実写に接続する
1957年、東宝撮影所でアルバイトの美術助手として働いていた19歳の飯塚
定雄に、円谷英二は「光学合成」という仕事を勧めた。当時、日本にはこの仕事の体系立った方法論が存在せず、飯塚自身が後年振り返っているように、技術も手順もすべてゼロからの手探りだったという[i]。ミニチュアの
建物に「汚し」の着色を施す美術助手だった一人の青年に、円谷は怪獣映画の光線表現そのものの発明を託したことになる。これは、前章で見た中島
春雄への「動きの設計の一任」と同じ構造の判断である。円谷はスーツアクターにも光学合成技師にも、前例のない職能の中身そのものを、個人の裁量に委ねるという采配を繰り返していた。
飯塚はこの仕事に60年以上携わり、ゴジラの放射能熱線、キングギドラの
引力光線、『ウルトラマン』のスペシウム光線など、東宝・円谷両特撮を
代表する光線表現の合成を手がけ続けた[ii]。中でも興味深いのは、キングギドラの引力光線の着想源である。飯塚によれば、このイメージは太平洋戦争中に間近で目撃した米軍機の曳光弾射撃の記憶が参考になったという[iii]。
荒唐無稽な宇宙怪獣の必殺光線という、この上なく「嘘」めいた表現の内実に、少年時代に見た実際の戦火の記憶が組み込まれていたことになる。
「美しく嘘をつく技術」の材料が、しばしば作り手自身の生々しい実体験に由来していたという事実は、本章全体が扱う「嘘」の技術史に、単なる技巧の系譜には収まらない厚みを与えている。
もっとも、この「嘘」は無制限な派手さの追求を意味したわけではなかった。『宇宙大戦争』(1959年)でロケットの噴射を勢いよく派手に描いた
ところ、円谷から「宇宙空間でそんなでかい噴射が出るか」と一喝され、
その後も何百枚もの原画を没にされたと飯塚は述懐している。それでも飯塚は納得してもらえるまで描き直しを重ねたという[iv]。第1節で見た井上泰幸の「とにかく派手にしよう」というポンポン砲の設計思想と、この飯塚の
エピソードを並べると、東宝特撮の「嘘」の作り方が一枚岩ではなかった
ことが見えてくる。火薬効果においては画面上の派手さそのものが目的化しえたのに対し、光学合成においては、円谷自身が――たとえ観客の大半が
気づかないであろう科学的整合性であっても――一定の内的な説得力の基準を課していた。「美しい嘘」は、どんな嘘でも許されるわけではなく、それぞれの技術領域ごとに異なる水準の「もっともらしさ」の規律を課されて
いたことになる。
飯塚が築いたキャリアは、個人の職人技にとどまらなかった。1972年、飯塚は光学合成技師の中野稔、そして特技監督の高野宏一とともに「デン・
フィルム・エフェクト」を設立している[v]。ここで注目したいのは、中野稔と高野宏一がいずれも、前章で見たスペシウム光線のポーズ確立に直接関わった当事者だったという点である。中野稔が「手が動くと光線がぶれる」という技術的指摘を古谷敏に伝え、特技監督・高野宏一がその後の微調整を
加えたことは、すでに述べた通りである。この二人が、飯塚とともに、単発の現場協力にとどまらない、会社設立にまで至る長期的な職業的関係を築いていたという事実は、スペシウム光線の型が、行きずりの現場判断の産物ではなく、その後何十年も特撮の光学合成を担い続けることになる技術者集団の、いわば結成前夜の共同作業だったことを示している。
光学合成技師というキャリアが、必ずしも「裏方の技術者」という枠に収まらないことは、川北紘一の経歴にも見て取れる。川北は1965年に光学撮影
部門へ異動し、光線作画などの光学合成を主に担当するようになった。彼が初めて手がけたテレビ番組での仕事は、円谷特技プロダクション制作の
『ウルトラQ』第12話「鳥を見た」の合成だったとされる[vi]。この光学合成技師としてのキャリアを出発点に、川北は1972年、『ウルトラマンA』で
テレビ特技監督としてデビューし、後に平成ゴジラシリーズ全6作の特技
監督を務め、シリーズを代表する演出家となった[vii]。
光学合成技師から特技監督へというこの越境的なキャリアパスは、「技師は裏方、監督は表舞台」という単純な図式に対する反例である。フィルムの上で怪獣を実写に接続するという地道な合成作業への習熟が、後年、怪獣映画全体の演出を統括する立場への足がかりとなった。光学合成という技術は、火薬効果のように演者の身体に直接働きかけるものではなく、俳優の演技
からは一歩離れた場所での「嘘」の構築でありながら、それに携わった者
たちのキャリアそのものは、決して現場から切り離された孤立した営みではなかったのである。
続く第3節では、こうして確立された光学合成という技術的基盤の上に、
具体的にどのような「見えないエネルギーを可視化する」技法が積み重ねられていったのかを、スペシウム光線からライダーキックへと射程を広げて
見ていく。
[i] 飯塚定雄「ウルトラ光線、私の必殺技 円谷英二と戦った光学作画」NIKKEI STYLE、2017年2月17日。
[ii] 同上。
[iii] 同上。
[iv] 同上。
[v] 『日本特撮に関する調査』(平成25年度)、2014年、181頁。
[vi] 東宝ゴジラ会「第二章 円谷組スタッフインタビュー INTERVIEW12 山本武、鳥海満、鶴見孝夫、川北紘一」『特撮 円谷組 ゴジラと東宝特撮にかけた青春』洋泉社、2010年10月9日、161頁。
[vii] 森ビル株式会社『日本特撮に関する調査』(平成24年度メディア芸術情報拠点・コンソーシアム構築事業)、2013年、49頁「2.2.2.1.4.5. 川北 紘一(かわきた こういち) 撮影・合成・助監督を経て特技監督」。
