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第2節 脚本家は世界を設計する――金城哲夫と伊上勝

金城哲夫と伊上勝(いがみまさる)は、奇妙なほど対称的な経歴をたどった二人である。一方は円谷プロという新興の特撮プロダクションで、もう一方は東映という老舗の映画会社で、ともに1960年代を通じてほぼゼロから一つのジャンルの文法を作り上げた。しかも二人とも、単独の脚本家という枠には収まらない役職――「企画文芸室長」「事実上のメインライター」――にあった。神話を作るという仕事は、しばしば管理職としての仕事と分かち
がたく結びついていた。

金城哲夫は、玉川学園卒業後まもない20代半ばという若さで円谷プロダクションの企画文芸室長に就任した[i]。この役職の実態は、単に脚本を書くことではなかった。シリーズ全体の企画概要を多くの脚本家に説明してまわり、各人が持ち寄るプロット(物語の梗概)を検討したうえで、どのエピソードを実際に制作するかを決めるという、今日で言う「シリーズ構成者」に近い仕事を担っていた。加えて、毎回登場する怪獣の特徴やネーミングにも積極的にアイデアを出し、脚本家たちの発想を造形デザインの現場へつなぐパイプ役も務めていたという[ii]。第8章で見た、成田亨に「これまでにないヒーローの形を」と依頼したのが金城であったという経緯も、まさにこの役職の延長線上にある。金城は、自ら筆を執る脚本家であると同時に、他の脚本家たちの仕事を束ね、造形・演出の現場と接続する結節点でもあった。この
事実だけでも、「神話創造者」と「シリーズ構築者」という二つの役割が、金城という一人の人物の中ですでに同居していたことが分かる。

もっとも、金城自身の筆による仕事の中には、単なる調整役を超えた、明確に個人的な刻印と呼びうるものが確かに存在する。第8章で見た「光の国」と沖縄の他界観「ニライカナイ」との連続性についての上原正三の証言、
そして第11章第4節で見た第42話「ノンマルトの使者」に見られる、侵略者と被侵略者の立場を反転させる筆致は、金城個人の作家性を語るうえで欠かせない事例である。

ただし、この個人的な刻印を金城の沖縄という出自と直結させて語ることには、慎重さが求められる。上原正三が語っているように、沖縄戦で母が足を失うほどの被害を受けたにもかかわらず、金城本人が戦争について語ることは全然なかったという[iii]。また、上原や幾人かの証言者はみな、「円谷プロ時代の金城はことさら沖縄問題を口にすることはなかった」という[iv]。ここには、第1節で確認した本章の方針――本人の直接証言と、作風からの推測とを区別するという方針――がそのまま当てはまる。「光の国」とニライカナイの連続性は、上原という共同執筆者の証言に支えられた根拠ある推論として扱いうるが、金城個人の戦争体験がそのまま脚本に反映されたという、より踏み込んだ物語は、金城自身の言葉としては確認できない仮説にとどめておくべきだろう。

金城は1969年、31歳で円谷プロを退社し、沖縄に帰郷する[v]。以後は沖縄
芝居の脚本・演出、テレビ・ラジオの司会、1975年の沖縄国際海洋博覧会
閉会式の企画・演出など、東京時代とは異なる形で旺盛な創作活動を続けたが、1976年、37歳で事故のため急逝した[vi]。円谷プロ在籍期間はわずか数年にすぎなかったにもかかわらず、その間に築いた「シリーズ構成者」と「脚本家」という二重の役割が、後続のウルトラシリーズの骨格そのものを規定し続けることになる。

伊上勝の経歴は、金城とは別の意味で対称的である。第9章で見たように、伊上はすでに宣弘社時代から『遊星王子』『隠密剣士』の脚本を手がけ、
東映に移る以前から一つの制作陣の中心的な書き手としての実績を積んで
いた。『仮面ライダー』についても、第9章で確認した通り、企画が「マスクマンK」から「仮面天使 マスクエンジェル」、「クロスファイヤー」へと変遷していく初期段階から、伊上はプロデューサー平山亨とともに企画を練る立場にあった。

平山と伊上の関係は、単なる発注者と受注者のそれではなかった。平山は
自身がプロデュースしたほぼすべての作品で、第1話の脚本を伊上に任せ、事実上のメインライターとしての役割を負わせていた。金城が複数の脚本家からプロットを募る調整役だったとすれば、伊上は逆に、プロデューサーの漠然としたアイデアを一人で具体的な物語の形に練り上げる役割を担っていたことになる。同じ「神話創造者」という括りの中にも、金城と伊上とでは仕事の方向性がほとんど正反対だったと言える。

金城は調整役として複数の書き手を束ねながら自らも筆を執り、伊上はプロデューサーの漠然としたアイデアを一人で練り上げ続けた。二人のこの対照的な働き方は、「神話創造者」という言葉が実は同一の職能を指すのではなく、集団製作というシステムの中で結果的に分岐した、異なる働き方の総称であったことを示している。次節では、金城の後を継ぐ形で『ウルトラマン』シリーズの社会批評という主題を担っていった上原正三と佐々木守、
二人の書き手を見ていく。



[i]金城哲夫の生涯」南風原町観光協会。
[ii] 同上。
[iii] 『別冊宝島「映画宝島」Vol.2 怪獣学・入門!』JICC出版局、1992年、74頁。
[iv] 同書、66頁。
[v]金城哲夫資料館」松風苑、および「ウルトラマン生みの親の実家を訪ねて」ANAグループ機内誌『翼の王国』。 
[vi] 同上。

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